小説 | ナノ






長い長い、幸せな夢から醒める心地はどんなものなのだろう。今も忘れえぬあの日の業火。全てを焼き尽くす美しいそれを少しだけ遠くから見ていた。


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あの日。明智様の軍の方が私を連れ出して、あの方の命令だとそっと耳打ち。さようなら信長様、濃姫様、蘭丸くん。とても悲しいけれど、きっと瞳を閉じればまた逢える。けれど我が儘を言うならば私は光秀様に殺されたかった。過ぎた願いだというのは承知の上、殺す価値がないと見做されたのも理解しているけれど。




「光秀様…。」




夜には似つかわしくない明るさだけが視界に映る。あの揺れる風景の中で在りし日の全てが幻となっていく。ここまで自分の無力さを痛感したことはない。愛した日々の一欠片さえ私は護れなかった。連れてこられたひっそりとした山。食料はある、きっと近くに民家もある。生き延びる術はきっと少なくない。生きる、それに意味はあるのだろうか。

両の拳を握りしめて考えても出て来るのは光秀様のお顔のみで。己の薄情さに涙が出そうになった。あんなに皆様が優しくしてくれたというのに、それを奪った光秀様を恨めない、憎めない。それどころか、愛しい。謀反を起こしたなら周りが黙ってはいないことは理解している。きっと光秀様ともう一度会える日はもはや来ない。それならば。




「……。」





私は探さねばならない、私に出来ることを。命を捨てることはそれからだって出来るのだ。私は近くの民家を頼り、噂に耳を傾けながら何日間か過ごした。謀反人、明智光秀が死んだという話を聞いたのは割とすぐだった。やり残したことがあるとするならば、それは何なのだろう。冬を越した後、私はそれを探すために民家を離れた。死に場所を探したかったのかもしれないし、自分を殺してくれる人を見付けたかったのかもしれない。あの頃の私が考えていたことなど永遠であるはずがなくて、ただ本能任せであったと反省している。



だが幸運にも天は私に味方した。無力な女なりに様々な手を駆使しながら私は様々なものを見ることになる。人間のしなやかさも、農民の苦しみも、数多くの屍も。乱世は迷走していく。いくつかの出会いと別れを繰り返した今は、全てが燃えたあの日からどのくらいの月日が経ったのだろう。意味も解らぬままお世話になっていた村が焼かれ、逃げた先の雑木林。

敵に見つかるのが先か私の意識が途切れるのが先か。酷使した四肢はとっくに音をあげ、もう動けない。何が間違っていたかなんてもうわからない。ただ、光秀様と過ごした日々達が走馬灯のように浮かんでは消える。そうだ、私はあの方が狂気に蝕まれる一方で真っ当な人間になることを渇望していたことを知っていた。知っていたのに、何も言わなかった。ただの一言、それがあれば何か変わったかもしれなかったのに。私にしてみればあの方は持て余すほど複雑な感情を宿してしまっただけの、ただの愛しい人間だった。




「ごめんなさい…」




言わなかったこと。共有しようとしなかったこと。永遠を望んでしまったこと。数え切れないほどの私の罪科。さようならすら言えなかった、誰も救えやしなかった、それでも忘れられないあの方の面影。それならばそれごと抱えて深い深い眠りへ落ちよう。命を引き換えに償えるというのなら、それはそれで幸福な話だ。唐突に眠気が襲って、微睡みが迫る。瞼の裏にはこんな時にもあの業火。今思えば、この世の何より美しかった。



+




「あ!天海様!目を覚ましたよ!」

「金吾さん、大きな声を出すものではないですよ」




微睡む暗闇から、薄目を開けるとそこには見間違うはずもない彼がそこに、静かに私を見下ろしていた。体を起こそうとしたけれど思うように力が入らず、浅い呼吸に上下する自分の胸。意識が覚醒するにつれて痛覚が浮かび上がって、眉をひそめることしか出来なかった。ここはどこで、あれから私はどうなった?縋るような視線を向けると彼は心得たように口を開く。




「貴女が雑木林で倒れていたのを金吾さんが見つけたのです。…ああ、申し遅れました。私は天海と申します。」

「てん、かい…?」

「クク…どこにでもいる僧ですよ、ただの…ね」




彼もきっと何かを失って、何を得たのだろう。少しの気付きと絶望を湛えながらも曾て冷眼と言われたその瞳は真っ直ぐ私を捉えていた。それでいい、それだけで良い。今日まで生き長らえたことに意味があるのなら、この瞬間を迎えるためであったと胸を張って言える。




「天海様!この人どうするの?」

「…私の元で保護致しますので、金吾さんはお気にせず。全ては慈悲です」

「そ、そう…良かったね、お腹いっぱい食べて元気になれるといいね!」




それだけ言って、金吾さんと呼ばれた男の人は姿を消した。まだまだ状況は把握出来そうもないけれど、寝起きの頭だ。何かを強く考えようとするとズキズキと痛むから一先ず考えることを放棄する。そんな私に、あの日の面影を残したながらも別の名で呼ばれている彼は一言呟いた。




「私は未だ人には遠く、…けれどあの日貴女に抱いた感情は、間違いなく……いいえ、違いますね、この場に相応しい言葉はただ一つ」

「………。」

「ご無事で、なによりです。」






(歪みを引き連れ祈祷せよ)




泣き出しそうになった。違う、違います光秀様、いえ…天海様。私も貴方もただ少し歪なだけ、それだけだ。何も言えず反射的に閉じた瞼の裏に、もうあの美しい業火は見えなかった。





END



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