私達が付き合うことになった時、「俺は多分重たいぜよ」と彼は言った。その頃の私の中では仁王くんはクールな人というイメージだったから、ああ冗談を言っているんだなぁと笑ったのだっけ。
でも、全く冗談ではなかったことを知るのは早かった。毎日一緒に登校をして、部活があって一緒に帰れなかった日の夜は電話をして。今日みたいな休日があればデートだってする。と言ったってまだお互い中学生だから至って健全な仲なのだけどそれにしたって彼の甘えっぷりには度々驚かされているわけだ。
そう、それは例えば今。彼の部屋に招待された私は、至極嬉しそうな笑顔を浮かべているだろう彼に後ろからぎゅうぎゅう抱きしめられている。時折首筋に顔を埋められたり頬をすりすりされたりされるがまま。くすぐったくても身じろぎなんてすれば、さらに強く抱きしめられるのは目に見えている。
「仁王くーん」
「んー」
「苦しいんですけどー」
「んー…」
駄目だ、聞いちゃいない。甘ったるい声で、幸せに浸っているのが丸わかりだ。私も私で、その声に弱いから始末に負えなかったりもする。私だって本当は、大好きな彼氏に甘えられたら悪い気はしないけど、このまま甘やかしたら付け上がって大変なことになるのは目に見えてるから、流されるわけにはいかない。
「仁王くーん、ほんとに放してー」
「…嫌じゃ」
「困る!」
「…プリッ」
仁王くんは、ひょいっと顔を覗き込んでくる。捨てられた仔犬のような瞳は御丁寧に涙でうるうるとしていた。さすが詐欺師あざとい、超あざとい。何も悪いことをしていないのに良心がちくちくと痛む。心を鬼にしろ私!駄々っ子は見逃したら悪化するんだ!
「離れたくないぜよ…」
「う…」
「嫌…」
「…じゃあ、どうしたら放してくれる?」
「………。」
そう声をかけると、彼は私を後ろから抱きしめたまま微動だにしなくなった。どうやら何かを考えているらしい。果てしなく嫌な予感しかしないのは気のせいだと思いたい。
「…ちゅう」
「は?」
「は?とは何じゃ。…お前さんがちゅうしてくれたら離れてやってもええ」
「……ちゅう、って…」
なんだその恥ずかしい要求。だけど彼は至って本気らしく、少しだけ腕の力を緩めて私がくるりと彼と向かい合わせになれるようにした。やばいやられた、これ、逃げ場がない。じーっと窺うように見つめられたら、途端に心臓が跳ねる。可愛いのにかっこいいなんて反則だ。
「ほら、観念しんしゃい。なんなら、ずっとこのままでも俺は構わんよ?」
「なん、か…立場逆転してない?てか近い!近いよ!」
「…してくれんの?」
しゅーん、という効果音が聞こえてきそうな、眉を下げた悲しげな表情で小首を傾げられたらもうダメだ。結局私は彼の思うがままに手の平で転がされているだけなのだと感じつつも、甘く甘く支配されていく感覚に負ける。そして、それ以上に彼が私のことを好いていると全身全霊で表現してくれるから嫌とは思えないというのがまた、どこか癪に触る。もうやだ、なんでこんなに可愛いの!
早くしろ、とでも言うように仁王くんは目を閉じる。切れ長の瞳を縁取る睫毛は私よりずっと長くて悔しくなった。
「じ、じゃあいきます」
「…ムードないのう」
「笑わないでよ、結構恥ずかしいんだから…!ああもう本当に…仁王くんのばーか!」
「はいはい」
ドキドキしながらも意を決して、仁王くんにキスを落とす。ふに、という感触が私の唇に当たった。一瞬だけで、すぐ離す。あ、ちなみにキスしたのは頬だ。唇は…なんというか、うん。恥ずかしすぎてまだ出来そうもない。
嬉しいけど何かもやもやしています、と。目を開けた仁王くんがそう訴えている気がしてちょっと笑った。詐欺師さん、わかりやすすぎるんじゃないですか。
「何でほっぺなんじゃ…」
「ちゅうはちゅうだもん、約束は守りましたー」
「…仕方ないのう」
若干不服そうにしながらも渋々私を解放した仁王くんが、「ま、最初はこんなもんか。次が楽しみぜよ…」と至極楽しそうに呟いたのを、私は聞き逃さなかった。…でも、聞かなかったことにしておこう。
(甘え上手と乙女心)
どうせもうこんなに好きになってしまっているんだから、離れられないのは私だって同じなんだ。
END