小説 | ナノ






「なあ岩融、おれを殺してくれよ」




俺の主は、時折このような戯れ事を口走ることがある。唇を噛み締めながら、俺にすがるのだ。勿論、俺がそんなことはしないとわかった上の言葉なのだろうから、それは一種の甘えなのだろう。昔はあんなに意固地だった主が甘えてくるようになった、それがどうにも嬉しくて口元が緩む。「殺せる筈なかろう」と優しく優しく囁いて俺より随分と小さな体を抱き締めれば小刻みに震えていた。ああ、今日はどんな恐怖や不安と戦っているのだろうか。心が読めるわけではないので計りかねるが、臆病な主のことである。他人から見れば大したことではないのだろう。

宥めるように主の背をさすって、冷や汗のひとつでもかいていたのであろう額に唇を落とす。どんなに気弱で臆病であろうとも、これは俺の愛しい主なのだ。心配せずとも俺が何もかもを受け入れてやるから、はやく諦めたら良いのに。元は薙刀であるから自殺の概念はよくわからないが、愛しているのだから許すわけにはいかない。死にたい死にたいと尚も譫言のように繰り返す唇を己の唇で塞いでやれば、どことなく甘やかな味わいだった。どことも知れぬ彼岸なんぞに、この存在は渡しはしない。



「愛しているぞ、主」




戦に敗れて折れていく仲間に泣いてくれた、心優しき人の子。日々膨らんでいく不安に耐えかねて、心を砕かれていく弱い存在。どうしようもないことをわかっていながら受け入れられぬ、心の脆い男。そんな主だから、たとえ何があろうとも傍にいようと思ったのだ。

俺に主は、殺せない。



*



人間には人間の領分というものがある。それを超えてしまったことに気が付いたのはいつのことだっただろう。うっかり本丸の階段の上から下まで頭からまっさかさま落ちてしまった時、怪我ひとつなかった。不慮の事故で包丁が腹に刺さってしまった時、血の一滴すら流れては来なかった。おれが死ねなくなったことを周りの刀剣達は何故かものすごく喜んだが、おれにはそれすら恐怖でしかなかった。だって、終わりがあるからこそ、はじまりがあると信じていたのだ。「死」という明確な終わりがあるからこそ人は生きていこうと思える。それを奪われてしまったおれはどうすれば良いのだろうか。この本丸で、人ならざる刀剣達と、悠久を過ごせというのか?

考えれば考える程に恐ろしいことだった。周りの刀剣達のことは自分の息子のように愛していたけれど、結局それは自分の霊力を分け与えているから、そんな自己愛の延長線に過ぎない。先など見えないのに、正体もわからぬ敵と戦って戦って戦い続けて、その後になにがあると言うのだろう。確信めいた予感だが、おれは多分逃げられないのだろう。




「愛しているぞ、主」




宥めるように吐き捨てられるその言葉も、今は恐怖そのものだ。なあ岩融、お前らは一応、神様の一端なのだろう?それならば俺の命くらい奪えるのではないか?お願いだから殺してくれと何度懇願してみても、刀剣達は悲しそうに唇を噛み締め首を横に振るだけだった。おれの最後の希望なのに、振るわれることが存在意義である刀剣達にとってそれは我慢ならないことらしい。ずっとこのままで良いと本気で思っている刀剣達はあまりにも人間とはかけ離れていて途端に恐ろしくなった。愛しているのも、愛されているのも、疑う余地などない本当のことだけれど。愛しているのならば、殺してほしい。おれがまだ人間の心でいられる内に、安らかに眠りたい。



「なあ、お願いだから、殺してくれよ…死ぬことさえ許されないなんて、まるでもうおれは人間じゃないじゃないか!逃げることなんて出来ないんだろ?なら、いっそ、その手で」

「ならぬ」

「……うん、わかってた」




今日も俺の岩融は、優しくてそして非情だ。そんな悲しそうな顔で俺を抱き締めないでくれ、泣きそうに、なってしまうから。







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