小説 | ナノ





あの日、学校帰りの道でいつも通り友達に別れの言葉を告げた私は、マンホールでもないのに何故か突如として地面に空いた大きな穴にわけもわからず落っこちた。友達に対して気軽に発した「ばいばい」が、まさか今まで生まれ育った世界への永遠の別れの言葉になるなんて思うまい。そうして、気付いた時に目の前にいたのは漫画の世界にいたはずの存在だった。ドンキホーテ・ドフラミンゴ。私の大好きだった漫画の主人公と敵対関係にあたる海賊だが、記憶している風貌よりも少し若い。トレードマークであるピンクのもふもふの下には見慣れない黒いシャツを着込んでいる。




「フッフッフッ、お嬢ちゃん、お前は誰だ?ここには限られた人間しか入れねぇはずなんだが、一体どこから入った」

「……ッ」

「聞かれたことには返事をするもんだぜ」




恐怖のあまり言葉なんて出てこなくて、ただこれが夢であるようにと願う。非現実的すぎる。ドフラミンゴの手がしなやかに空を切ったのを見て、彼がどんな能力者だったかを思い出してぞっとしたのも束の間、今まで上がっていた彼の口角が警戒したようなそれに変わった。それからコツコツという靴音を響かせて近付いてきたドフラミンゴは、私の襟元を掴んでいとも簡単に持ち上げる。高い、苦しい、怖い。あまりの恐怖に視界が歪む。私はここで、状況すら把握出来ないままに死ぬのだろうか。




「何故、能力が通用しねェんだ」

「……。」

「お前は何だ?」




イトイトの実。私の記憶が間違いでなければドフラミンゴが食べた実はそんな名前だったはずだ。さっきの手の動きはきっと私を操ろうとでもしたのだろう。なのに、なぜか私にはそれが通用しなかったらしい。その理由はきっと、私がそんなものたちとは無縁の世界から来た異分子だからだろう。ぎり、と締め上げられる首元と、読んだ漫画で繰り広げられていたこれから起こるであろうこと。それを踏まえた上で、一か八かで私が発した言葉は一つしかなかった。




「ドフラミンゴ、さん。私を、貴方の仲間に、してください」

「……あ?」




だって、自分の命が一番大切なのだ。そして、今すがることが出来そうなのは目の前の男しかいない。それだけの話。運良くどうにか生き延びられたら他の人物に助けを求めるなり何なりすれば良い話だ。尤も、漫画をしっかり読んでしまっていたせいで海軍側にも若干の不信感があることは否めないけれど、それでも。何をするにしてもとりあえず生き延びることから始めなければならない。私のそんな言葉を聞いた目の前の大男がサングラスの奥の瞳にどんな色を浮かべていたのかはわからない。ただその口元は、愉快そうに歪められていた。







この世界に来た日、つまり、私が若様に出会った日から随分と時が経過した。あの日、奇跡的に生き延びることに成功した私は今やまさかのドンキホーテファミリーの一員である。異世界から飛ばされた私の体には能力者の一切の攻撃が効かないという素敵なオプションがついていた。つまり、若様に操られることもなければ、シュガーちゃんに触られて玩具にされることもない。もっと言えば赤犬のマグマグや青雉のヒエヒエだって私は無効化させてしまうだろう。ただ、結局むこうの世界では何の取り柄もない学生だったため、肉弾戦となれば話は別だ。多分あっけなく怪我をするし運が悪ければ死ぬだろう。結局の所めちゃくちゃ弱いのはどうしようもない事実である。

若様はあの日、気紛れで私を仲間にして、傍にいることを許してくれた。最初の頃こそ疑いの眼で私を観察していたけれど、私が能力を無効化すること意外は至って普通の少女であると理解してからは随分と良い境遇を用意してくれたのだ。彼はその立場から、よく色々な人の怒りを買っていた。そんな人々に誘拐されかけたことも何度もあったけれどそのたびに私のことを助けてくれたのも彼だ。一般世間的に見ると若様は筋金入りの悪い人で、それはもう変えようもない。漫画知識のせいで、若様のためにどれだけの人が嘆き悲しんできたかも知ってる。漫画でそれを読んだ時は確かに怒りを覚えていたはずだ。それなのに今は、それを知っていてもなお自分の意思でここにいる。ドンキホーテ・ドフラミンゴは、一度懐に入れた人間にはどこまでも甘い人物だった。




「若様、またベビー5の婚約者を町ごとやっちゃったんですか?」

「まぁな」

「まあどうせロクな男に引っ掛かってなかったんでしょうけど」

「よくわかってんじゃねェか」




困ったものですよね、と笑ってみせれば愉快そうに体を揺らす。この男の傍は居心地が良い。気付けばもう、失いたくないと思ってしまっていた。私が困っていれば必ず助けてくれる彼は最早私のヒーローだ。純粋に、他人事のようにルフィを応援していた私はもういない。リアリティにまみれたこの世界でそんなことは言っていられないから私は出来うる限りの手段を尽くして、自分の居場所を守るだけだ。正義なんて、見方次第で変わる曖昧なものだろう。なにが正しいかなんて、結局の所は自分で決めるしかない。




「お前は浮いた話の一つもねェな」

「若様より素敵な男性なんて中々いませんからね」

「フッフッフッ…良い子だ、何でも好きな物を買ってやろう」

「若様が何でもくれるから欲しいものなんてないです。でも…そうですねえ……」




私に甘くてとても優しくて、生きる場所を与えて守ってくれている若様。平穏とはかけ離れているけれど、失いたくないと思える場所と仲間達。ここには今の私の全てがある。裏では沢山の人の涙が流れていることも、若様が犯した数えきれない程の罪も、理解しているつもりだ。それでも、筋金入りの悪い人である若様を好きになってしまったのだから仕方ない。ずっとこの人の傍にいたいと思える程に心酔してしまったのだから、もうどうしようもないだろう。




「…ずっと、私を守って下さいね」




当たり前だろ、と乱暴に頭を撫でられて幸せを感じた。もう私はここを離れられはしないだろう。それならば来るべき未来に、悪役として散る道を選ぶだけだ。最後まで若様の傍にいられるなら、それもひとつの正解なのだろう。だから、それまで。この物語の「主人公」に倒される日まで、私が自分で決めた愛すべきヒーローに付き従う、そう決めた。



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