小説 | ナノ





あの男は私の罪の象徴でした。

私は昔、ある新興宗教の中で研究者をしていました。簡単に言えば「永遠の命」の研究です。ジャシン教という名のその新興宗教は、「汝、隣人を殺戮せよ」という理念を掲げて活動している少し異端な集まりでした。けれどあの頃の私はそんなことはどうでも良くて、ただ自分の研究の成果を認めてくれる場所を求めて必死だったのです。数えきれない程の人数が研究における人体実験の犠牲となりました、恐ろしいことに、その時の私には犠牲となった信者の悲痛な断末魔など一つも聞こえてはいなかったのです。そうして何年かを経て、失敗を繰り返した後に、たった一度の成功がありました。敬虔な信者の、銀色の髪をした生意気そうな目の男。ジャシン様のためなら死んだって良い、そんな言葉を吐いた彼は儀式という名の人体実験を経て、不死身の体となったのです。(実際には、人間という形を保ったまま、頭部…というか脳さえ無事ならば後の部位はどうなろうと構わないというゾンビのような生命体になりました。脳回路から指令を出されれば体は動くけれど、肉にも血にも
心臓にも、大した意味はなくなってしまったのです。)


そして、私が自分の罪を自覚したのはそれからまもなくでした。「汝、隣人を殺戮せよ」。その教えに従って、少年は多くの人間を天の国へと導いたのです。血を掠め取って取り込んで、それから陣の中で「感覚をリンク」させて、そのまま自分の心臓を貫く。見ていて吐き気を催してしまう程におぞましい光景でした。私が目指していたものはこんなものだったのかと、目をそらしたくなりました。自らの心臓を貫いた彼は恍惚の表情を浮かべています。気付けば私はそこから逃げ出していました。私は罪を犯したのです。人間の摂理を歪めて、悲しい生き物を作り出してしまった。ひたすらに怖くて恐ろしくて、取り返しのつかないことをしたという思いを抱えて、それからは静かに生きてきました。




「久しぶりね、…飛段」

「……何だよ、…あー、その声覚えてるな……」




それは、贖罪にも似た何かだったように思います。または、どうしたって私の人生の最後まで付き纏うであろう後悔を少しでも緩和したかっただけかもしれません。全くもって狡い人間です。確かな筋から仕入れた情報通り、彼は静かな森の奥の深い地面の下にいるようでした。曰く、体をバラバラにされて生き埋めにされた、と。返事を期待していなかった言葉に当たり前のように返答されたのには少々面喰らいましたが、それでも、直接謝罪したいという気持ちもあったのでそれで良かったのだと思います。わかっています、ただの自己満足です。

私は知っています、不死身の体を手に入れた彼だけど、あの儀式をしなければいつかは死に至ることを。私は知っています、最低限の栄養も取れない状態であれば想像を遥かに超えた彼の肉体とて静かに朽ちて土へ還っていくことを。あるいはもう、そうであるのかもしれません。彼は意識を持ちながらにして、現在進行形で腐っていっているのでしょう。常人であれば耐えられないような感覚が、きっと彼に這い寄り襲いかかっているのでしょう。人間としての死まで取り上げてしまったのは私で、それはもう、覆しようがありません。消えぬ罪を再び刻まれた気がしました。




「ごめんなさい、…ごめんなさい、貴方をそんな体にしてしまってごめんなさい、人間として死なせてあげられなくて本当にごめんなさい、…ごめんなさい…」

「…死の快感」

「……え?」

「知らねーだろ?俺は…知ってる」




この場にそぐわないような、うっとりとした声でした。まるで、あの時、自分の心臓を貫いた時のような。もう自分がここから出ることはないことも、魂の解放が刻一刻と迫っていることも、どうやら彼は知っているようです。邪神に愛された彼は死を恐れてはいないようでした。最後まで思考に取り憑かれている彼のことが哀れで仕方がありません。宗教団体の裏側を嫌という程に見てしまっていた私は信心なんてものはとうの昔に捨て去ってしまっていました、若しくは、最初から持っていなかったのかもしれません。裁かれるべき存在があるというのならば、きっとそれは私のことなのでしょう。それなのに私は悠々と生き延びて、信仰という名の大きな何かに潰された被害者である筈の彼は生きながらにして死んでいく。彼にとって大切な頭部はきっと一番最後に土に還るのでしょう。それまではきっと、彼はここでこうしているしかない。冷たくて暗い闇の中を一人ぼっちなのです。




「もうすぐ、もうすぐだぜェ?ジャシン様のとこに俺も…」

「……。」

「ずっと気持ちイイのが続いてんだ…そろそろだ…」




実際の所、彼は首が胴体と離れようと死にません。首と胴体が離れたということを把握できる脳があってこそ、「痛み」を感じられるだけにすぎません。その痛み、痛覚だって本当はまやかしなのかもしれないのです。頭部から離れた体は彼は動かせません。なんのチャクラも力も通っていないそれらはもうすでに腐りきっていることでしょう。もし万が一、彼の信じる神が存在するとしても、人間としての命の形から大きく逸脱してしまっている彼を神は認めるのでしょうか?だって、普通の人間としての彼は随分前に私がこの手で殺してしまったのです。きっとあの日の嫌悪感も恐怖も、この手で殺してしまったはずの人間が人ならざる者になって動いていたから沸き上がってきたものなのでしょう。




「だから、謝ってんじゃねーよ」




穏やかな声色でした。その場で泣き崩れるしかなかった私に、それ以上彼が言葉を紡ぐことは終に無く、なんのための涙なのかすらわからないそれはとどまることを知りません。泣いたところでどうなることでもなく、贖罪のためにと訪れた筈なのに何一つ救われることもないのです。私も、彼も。いくら謝ったところで、もう何も変わりません。そんなのはわかっています。痛いくらいにわかっているのです。

私の罪の象徴である男は、私のせいで人間ではなくなりました。その罪は、例え彼が腐りきって土に還った後も私の中に深く深く残ることでしょう。そしてそれが、私が彼のために出来る唯一のことなのです。




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