小説 | ナノ





既視感まみれの夢を見て、涙を流しながら目を覚ました。遥か彼方、青い海の上。踊る金属の破片と、耳障りな喧騒。私を庇って真っ赤な血を流したのは船のお頭で、隣で呑気な寝顔を晒している男と生き写しのように瓜二つだ。そう、確かに「前」にも私達は出会っている。船に乗って旅をしたことなどない筈なのに、何故だか全てが懐かしい。記憶の一部としてもとより存在していたかのように急速に甦ってきた。それは前世、すなわち今の私とは異なる「私」の一生。掛け布団を握り締めて、深呼吸をする。まだ頭の整理は追い付いていない。




「……ユースタス・キャプテン・キッド」




名前を呼ぶと、隣で眠っている赤毛の恋人が小さく唸って寝返りを打つ。あの頃、私は船員の一人としてお頭のことを慕っていたのだ。叶うはずもない恋だったし、それを悲観することもなかった。秘めた小さな思いだったから、好きでいることそれ自体がただ楽しかった気がする。それが今生では普通に出会って普通に恋をして、恋人として一緒に暮らしている、なんて。昨日までは当たり前だったのに、全てを思い出した今となっては奇跡に思えた。頬に手を伸ばして意外と滑らかな肌をするりと撫でてみればじわりと熱が伝わってくる。この体温が消えていく瞬間すら明確に覚えているから、目頭が熱くなった。

何も問題のないはずの腕が時折思い出したように痛む、と首を傾げていた理由を今なら理解できる。目の前で消えていった命の灯火は今、めらめらと燃えて輝いている。もう何も望むことはない。ただ、再び失うのが怖かった。もうこの人は自由な海賊ではない。見た目が少し凶悪なだけの、ただの一般人だ。あの頃のような奇想天外な能力は持っていない。人間なんて脆いと知っているけれど、もう二度と失いたくたくない。腕の中で消えていった温もりがあまりにリアルだったから、この幸せが信じられなくなりそうで、ともすればすり抜けていきそうで、息が苦しい。破られない約束が欲しかった。確かなものが、どうしたって欲しかった。もう私を置いて逝ったりしないとキッドの言葉で言ってほしい。そうでもしなければ不安に押し潰されてしまうかもしれないのだ。



「キッド」


しかし、名前を読んで小さく揺すってみてもその瞼は開く気配がない。こんなに深く眠っているのに無理矢理起こすのも可哀想だ。寝巻きを捲り上げて耳をほのかに上下する左胸にピタリと当ててみると、どくりどくりと確かな鼓動が聞こえてくる。たったそれだけの当たり前のことなのに、心からの安堵を覚えた。命の火は、確かに赤く燃えている。一定のリズムを刻むそれがいとおしくて堪らなくて、思わず唇を寄せる。涙がぽろりと彼の体に落ちて、さすがに違和感を感じたのか眉を寄せて薄くキッドの目が開いた。




「…ンだよ、どうしたんだ?」

「キッド、キッド……」

「何で泣いてんだ?」

「ゆめ、見たの。お頭がね、私を庇って真っ赤になる夢」

「あー……」




我ながら訳のわからないことを言ったと思うのだけど、キッドは一瞬その鋭い目を見開いたかと思うと視線を不自然に逸らしてガリガリと頭を掻いた。そうして、よくわからない少しの沈黙を経てから不意に逞しい胸板へと私を引き寄せて、優しく優しく抱き締める。愛しい人の体温だ、安心出来ないはずがない。体に込められていたよくわからない力が次から次へと抜けていって、気付けばキッドに体重をかけて寄り掛かっていた。私なんかの重みではびくともしない。




「キッド……?」

「思い出さねえなら、それでも良いと思ってたんだ」

「……うん、そう、そっか、覚えてたんだね」

「悪ィな、でも、おれ、ここにいるから」




お前の傍でこうして生きるから、と囁かれたらもう駄目だった。次から次へとぐちゃぐちゃになった感情が箍を外したように急いて溢れだしてくる。そんな私を彼はただ優しく抱き締めた。お頭とこんな風になるなんて、あの頃の私は想像すらしていなかっただろう。言葉を交わしただけで浮き足立っていたような関係から、随分と進んでいる。目を閉じれば鼓膜に力強い鼓動が響く。




「すき」

「おう、おれもだ」

「あの頃の私と、今の私、二人分の気持ちなの。すき、すきだよキッド」

「あの頃のおれも今のおれも、お前が好きだ。じゃなきゃ庇ったりしねェよ」



まるで幼い子供をあやすように抱き締めて背中を軽く叩いて、心ごと包み込んでくれる。どうやらあの頃の私の想いは知らないところできちんと報われていたようだ。今回も、見つけ出してくれたのは彼のほうだった。幸せを噛み締めながら抱き締めかえせば鼻腔はキッドの香りでいっぱいで、抱いていた不安が少しずつ四散していくようだ。愛しい鼓動は、全てを優しく教えてくれる。あいしてる、と小さく呟いて震える睫毛を伏せた。



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