小説 | ナノ



※男主
※留三郎視点




ここ、忍術学園には数年前、「コーちゃん」という渾名の生徒がいた。ちなみに「コーちゃん」という渾名はそいつの本名にかすってすらいないのだが、幼い子供が友達を呼ぶときの渾名なんて適当なものだろう。伊作と同郷だというそいつは気の良い奴で、すぐに誰とでも打ち解けてしまうような明るい性格をしていた。生を受けてから今に至るまで不運続きだった伊作のことをよく助けていた気がする。留三郎がいるから俺の役目が半分になって助かると屈託のない笑顔で言われたことも何度かあった。性格の良さ以外は特に秀でた所があるわけでもなく劣った所があるわけでもない男だったが、俺がそいつと過ごしたのはたった三年間だ。

三年生の、夏。特に難しくもない実習に赴いたそいつは、いつになっても帰って来なかった。探しても探しても骨の一片すら出て来やしなくて、そのまま探索は打ち切られて、それで終わり。何処かで生き延びている可能性はかなり低い。俺達は全員それを理解して押し黙っていた。かく言う俺だって、もうあいつと遊べないのかと思えば悲しくて、だけどあまりにも呆気なくいなくなったものだから涙は出てこなくて。あの頃の俺はまだ十二や其処らのガキ、覚悟が足りなかったと言えばそれまでだ。突然の喪失に対して、どう反応すれば良いかすらまだ知らなかったのだと思う。

けれど伊作は俺たちの誰とも違った。三日三晩、ろくに食事も摂らぬまま声を上げてそいつの渾名を呼びながら泣き続けて、声が声にならなくなるまで呼び続けて。そして四日目の朝には何事もなかったように笑いながら「おはよう」と、泣き腫らした瞼を擦りながら挨拶をしてきたのだ。後で知った話だが、伊作の中からそいつの記憶だけが無くなってしまったらしい。過ごしてきた日々は、他の誰かと過ごした時間として塗り替えられてしまった。それでも、誰もそんな伊作のことを責められやしない。二人の仲の良さを、ずっと近くで見てきた俺達が伊作にかけてやる言葉など一つもなかった。何も教えず、口をつぐむこと。それが唯一の優しさだった。

そいつの記憶を捨てた伊作がただの骨格標本を「コーちゃん」と呼んで大切にし始めたのは、ちょうどその頃からだ。




「……なあ留三郎」




話は変わるが、日常には時折不可思議な、説明をつけられない現象が紛れ込むことがある。例えば、四年生の夏。ふと視線を揺らせば骨格標本の横でにこにこと笑っているそいつがいた。「コーちゃん!?」と大声を出すと傍にいた伊作が骨格標本の頭蓋骨を撫でながら「どうしたのさそんな大声出して」だの何だのとのたまってきたのだ。そっちじゃねぇよ、と言ってやろうかと思ったがあいつがここにいるはずなどない。見えないもんが見えるのは疲れているからだと思い込むことにして逃げるように部屋に戻って寝た。後で気付いたことだが、その日はそいつがいなくなった日付と全く同じだった。五年生の夏、その日は実習で学園を留守にしていたから何も起きていない。

そして、六年の夏。奇しくも今日はあいつがいなくなった、その日だ。伊作は留守、なのに何故か保健室ではなく俺達の部屋に骨格標本が置いてある。そして、二年前と同じように骨格標本の横でにこにこと笑っているそいつが、あろうことか先程から話しかけてきている。死人と口を利けば引き摺りこまれるかもと考えて無視を決め込んでみたが、そんなことをするやつだとも思えない。意を決して、視線を合わせてみる。




「なあなあ、お前留三郎だろ?随分でっかくなったけど、顔そのままだなぁ。」

「…何で、ここにいる」

「あ、なんだやっぱ聞こえてるんじゃん!散々無視しやがってこのやろう!俺寂しかったんだからな!」




目の前にいるそいつは、懐かしさすら感じる屈託ない笑顔を向けたあとに「留三郎にしか見えねぇみたいだし」と明るい調子で続けた。じゃあお前やっぱり幽霊じゃねぇか、と突っ込みたかったが本人のあまりの毒気の無さに言葉も出てこない。どうにか声を絞り出して「話でもするか」と誘えば嬉しそうに俺の正面に座った。いなくなった当時そのままの、まだ成長期が訪れる前の姿だ。幽霊の癖に半透明でもなければ足もある。何故他の奴らに見えないのかが逆に不思議な程だ。




「お前、死んだのか?」

「おう。じゃなかったら化けて出ねえだろ。」

「……どうして」

「ん?いや、そこまで覚えちゃいねぇよ。ただ実習行く途中で数人に囲まれて、応戦したけど後ろからなんか嗅がされて、そのまま。」




遺体すら見つからなかったことを告げてやると、あっけからんと「バラバラにされて埋められたか、獣に食わせたとかじゃねえかな」とまるで他人事のように言う。色んなやつに深い傷跡をつけていったのに、と心の中がどろりと濁る。誰もがこいつを死に到らしめた何かを憎んでいた。それなのに、本人もわからないとなれば永遠に復讐の機会を逃してしまったことに他ならない。俺は余程酷い表情をしていたのだろう、さすがのそいつもにこにこ笑うのをやめて静かに口を開く。




「留三郎。良いんだよ。忍者になろうと志してから、覚悟は出来てた」

「お前はそうでも、俺は、俺達は、お前を失う覚悟なんて出来ちゃいなかった」

「…あはは、お前も相変わらずだなぁ。うん、ありがと。お前と友達で良かったよ。…伊作なんて俺のこと忘れちまうんだもん、流石にちょっと悲しかったなぁ。…でも、さ、伊作が今も笑えてるならそれに越したことはないと思うよ。」





記憶にはない、寂しそうな笑顔だ。自分が忘れられてしまったことを知っていて、それを受け入れていたことに言い知れぬ衝撃を受ける。俺はきっと同じようには笑えないだろう。一番仲の良かった奴に忘れられたままだなんて、そんなのは耐えられない。何か大きな間違いを犯してしまったような、そんな気持ちが沸き上がってくる。それがどんなに残酷なことだとしても、伊作にこいつの存在を思い出させるのが正解だったのだろうか。だが、そんなことをすれば伊作の心は、きっと粉々に砕けていた。三年前に必死でこいつの名前を泣き叫んでいた声が脳裏に響く。だが、もう俺はあの時のように何も声をかけてやれなかった惨めな子供ではないのだ。ひとつひとつ言葉を選んで伝えてやれることは確かにある。




「伊作はお前のこと、すげぇ大事だったんだよ。だから、無くした時の重さに耐えられなかったんだ」




事実、それからの伊作は誰が命を落とそうともあそこまで取り乱したりはしなかった。命を一つでも多く救うために、と薬や医療について学び出したのもそれからだ。忘れてしまってもどこかでは喪失感を手放せなかったのか、悪夢に魘される時は決まって「置いていかないで」と辛そうな寝言を呟いている。骨格標本の件に関してだってそう、伊作の中で「コーちゃん」という名称が指す人物が変わってしまっても、結局は驚くほど大切に扱っている。伊作は悪くない。嘆いて苦しんで苦しみ抜いて、自分を守る道を選んだだけだ。




「…あの骨格標本。伊作がお前と全く同じ渾名で呼んで可愛がってる。…でも、肝心のお前との記憶は今もどっかに落っことしたままだ」

「なるほど、コーちゃん、な。…多分こいつがいるから俺はこうやってここにいられるんだと思うんだ。寄代っていうの?」

「…そうなのか」

「だからさ、留三郎と話すのもこれが最後だよ。もう、来年の夏にはお前は、…伊作も、ここにはいないだろう?」




言われてから気付く。そうだ、来年には卒業だ。今更ながら去年も一昨年もこいつときちんと話そうとしなかったことを後悔した。どこかの城に就職すれば学園になどそう簡単には戻って来れるはずもない。最後だと思えば伝えたいことは沢山出てくる気がしたがどれも漠然としていて、上手く言葉にはならなさそうだ。そんな俺を見て、目の前の男はあの頃のままのあどけなさが残る輪郭で見たこともない位優しい笑顔を浮かべる。胸の奥が締め付けられて酷く苦しい。俺がこいつにしてやれることなど最早何もないのだと思い知らされている気がした。




「何もかも、このままで良いんだ。生きてる奴の選択が正解だよ」

「……。」

「卒業までの残り少ない時間、出来るだけで良いから伊作の面倒見てやってくれよな。あいつ、本当に昔から危なっかしいから」

「ああ」

「なんつー顔してるんだよ。でも、良かった。それだけどうしても頼みたかったんだ」




それだけ言うと、そいつは最後にいつもの屈託のない笑顔を見せて消えた。どれだけ名前を呼んでも、どこにも姿は見当たらない。夢から覚めたような気持ちになった。今まで俺とそいつの声しか響いていなかったその部屋に、茹だるような暑さと蝉の鳴く声が戻ってくる。もしかしたら俺の心が見せた幻か何かだったのだろうか。傍らの骨格標本に手を伸ばす。もし先程の邂逅が夢や幻だったとしても、はたまた現実だったとしても、俺のやることは変わらない。同室の困った不運体質の同級生を、出来るだけ守ってやって、そして。




「俺は、ずっと覚えててやるよ」





この学園で過ごす最後の夏。一人きりの部屋で吐き出した懺悔のような言葉は思いの外、優しく響いた気がした。



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