今年の夏は湿度・温度共に高く、不快指数が見事な数値を叩き出しているらしい。その蒸し暑さといったら、夜になっても消え去る気配はない。暑さのせいで眠れないのが続いていて、そろそろ大切な何かがぷちんと来そうだ。正直色々と癪だけどこの際良いかなと思って上司に「今夜空いてますか?一緒に寝てほしいんです」なんて言ってみれば一瞬驚いた顔を浮かべた後にあっさり承諾された。いつもはやる気ないくせに、部下の頼みは聞いてくれるんだなぁって感心していたのだが今それをとても後悔している。
「クザンさん、一応お聞きします。なんで私押し倒されてるんですか」
「え?だってそういうことでしょ」
「あー…、はいすみません自分の認識の甘さを嫌だというほど実感してます言葉足らずでした。とりあえずどいて下さい蹴りますよ」
なるほど、エロいこと考えてたんですね死んで下さい。蹴りますよ、と脅してみたものの、クザンさんが退いてくれる気配はない。それどころか顔が近付いてきていて、体が密着してきてて、悔しいけど冷たくて気持ちいいのが気に食わない。絶対この人わかってやってやがる。辛うじて顔は背けたけれど、ぴったりとくっついた体は拒否しようにも本当にちょうど良い冷たさで、熱を適度に奪っていってくれる。ひんやりとしたそれは私の体温で温くなることもなく、ただひたすらに心地よさだけを与えてくれた。ふわりとクザンさんの香りが鼻孔をくすぐると、途端に意識してしまってくらくらしてしまう。
「は、離れて下さい」
「んー?良いの?」
「…ッだって、駄目でしょうこんなの、私達は上司と部下ですよ」
「あぁ…あー、あれだ、何だ……おれ、そういうのは気にしねェタイプだから安心しろよ」
安心出来るか馬鹿上司。そう罵倒してやるつもりがこれまた心地よい冷たさの唇が私の唇を見事に塞いだからそれも敵わなかった。自慢じゃないが物心ついたころから海軍にいて鍛練に精を出していたせいで男の人に対する経験値なんてゼロだ。断言できてしまう程に潔くゼロだ。すなわちこれは私のファーストキスというやつであって、固まってしまうのも仕方ないと言えるだろう。しかも何が理解出来ないって、全く嫌ではなかったのだ。ジーザス、どういうことだよ。思考の一瞬の隙をついて、抗う間もなく抱き締められた。抗う間もなく?少し嘘だ。ほんの少しの逃げ道は、さっきからずっと用意されている。嫌な男だ。
「はじめてのキスがクザンさんとか……うわ……」
「うわって…なァ知ってるか、おれも普通に傷付くんだぞ……って、え、はじめて?その歳で?」
「何ですか悪いですか流石に沈めますよ、夏が終わったら」
少し笑われた。だって、夏の間はあまりにも暑いから、こうしているしかないじゃないか。人一倍暑がりな私に夏を生き抜く術はもはやクザンさんに頼る他はない。クザンさんの腕の中が涼しくて快適だから嫌だと思えないだけ、それだけ。本当はそうではないことに気付きつつあるけど認めたくない。体がいい感じに冷えてくると、数日間暑さのせいで睡眠を忘れていた体がやっと本来の機能を思い出したらしく小さな欠伸が出てきた。このままクザンさんに身を預けて眠ってしまいたくなるけれど、そんなことをしたら何をされるかわからないから必死で目を開ける。
「寝ちゃえば良いじゃない」
「え、…クザンさんに襲われない保証がないから無理です」
「おじさんは、キスすら初めての子を無理に襲ったりしねェよ。そうと知ればゆっくりまったり落としにいくっての」
「…?なんの話ですか…」
襲わない、その言葉を信じて良いのかはわからないけれど、自覚した眠気はとどまることを知らない。少しずつ、確実に、目を閉じている時間は長くなってしまって、冷たくて優しい手で頬を撫でられる感触に完全に瞼が閉じる。聞いたこともないような甘ったるい声で「おやすみ」と言われたのは夢なのだろうか?
心地好い冷たさに全身を包まれながら、またどうしても暑さで眠れない夜が続いたらお願いしちゃダメかなぁ、なんて。なんとも自己中心的な考えがふわりと浮かんで、ぱちんと弾けた。