小説 | ナノ





あるところに、悠久に近い時を一人で生きる、蜥蜴の形を模した土地神がいた。その男神の名を「又兵衛」と言う。


異なる種族である人間と男とでは時間軸は重ならない。庇護すべき土地にある程度は干渉出来たとしても、それは酷く不安定で不確定なものなのだ。例えば、瞬き一つで人間の時間が数十年進んでいたり、かと思えば長い間眠っていた筈なのに人間の時間は数分しか進んでいなかったり。そこには何の法則も無い。ただただねじ曲がる、それだけだ。男はそれに傷付いたことなどなかったし、人間なんて下等な種族と馴れ合うつもりもなかった。土地神としての責務は生まれた時から課されているもので、それに逆らうことなく庇護はすれども関わり合いになど微塵もなりたくなかったのだ。ともすれば、興味も関心も無い。だが、辛くもそんな思いが覆されたのは、又兵衛にとってはまさに「昨日」のような出来事である。

庇護されている土地には必ず、あちらとこちらの境界線が曖昧になる場所がある。二つの世を繋ぐ、何らかの力が働く場所。それが又兵衛の庇護している村の場合は底無しと言われている沼だったのだ。そうしてある日、そこに人間の子供が落ちた。運が良かったのか悪かったのか、落ちた瞬間に「繋がって」しまったのだ。即ち、出逢ってしまった。真ん丸い瞳が不思議そうに又兵衛の姿を映すことに胸騒ぎを感じながらも、気紛れで手を伸ばしたのが最初の間違い。そう、神にだって間違いはある。




「たすけてくれて、ありがとう」




恐る恐る伸ばした手は柔い髪に触れる。無邪気な笑顔と素直な言葉は、蜥蜴の姿を模した神に返事をしなければならないと思わせるには充分だった。元より妖力の塊のような存在であるその男は、容易く自らを人間の形に変化させることが出来たのだ。人為らざる者のための空間、力は満ちている。彼が人の形を取った後、はじめて発した言葉は「別に」だなんてそっけないものではあったが、子供は驚きながらもまた柔らかく笑う。又兵衛はこの時すぐにでも童子を人の世に戻すべきだったのだ。だが、そうはならなかった。

存外この儚く弱い人の子を気に入ってしまった又兵衛はその空間でその人の子を観察することにした。今まで関わって来なかった種族に向けて芽生えたのは心の奥の温かさ。じわりじわりと広がるそれは、一人で生きてきた男を戸惑わせた。こんな気持ちを抱いてしまったが最後、もう一人には戻れなくなる。神にあるまじき欠陥、その人の子に逢わなければ知らずに済んだ事実、彼はとても寂しがり屋な性質だったのだ。




「わたし、わたしね?おとなになったらまたべえさまのおよめさんに、なってあげるわ」




弱りきった少女が、それでも明るい声を絞り出して言う。又兵衛から見たとしても、その体は衰弱しきっていた。それもその筈、ここは本来人間が過ごすべき時間ではない。悩んだ末に又兵衛は、一先ず少女を元いた場所へ帰すことにした。少女はどう足掻いても人間であったので、いくら違う空間にいてもそこに時間のずれは生じず、問題なく戻ることが出来たのだ。そして、一人になった又兵衛は動き出す。彼女との拙い約束を守るため、人間をこの空間に置いておける方法を探さなければ、と。

その方法は、程無くして見付かった。土地神などでは到底力が及ばない太陽神、名を家康という。その男は又兵衛と少女の一部始終を見ていたらしく、「絆だな」などと言いながら人間をこの空間に置いておくには「名前」を縛ってしまえば良いと教えたのだ。曰く、名というのは生まれた時に授かる、大切なものである、と。だが、それだけでは半分だ。空間にはいられるだろうが、完全に人間をやめられるわけではない。太古より人が神に近い存在になる方法はただ一つ、神と交わることだった。名前と体、その二つが神に掌握された時、神に近しい者は作られる。それを聞いた又兵衛は丁寧に礼を言い、嬉々として自分が庇護する村へと戻った。だが、そこに待っていたのは二人を隔てる不安定な時間軸の悲しい弊害。




「……あ?」




その瞳に映した先にいたのは、すっかり大人の女性へと成長した少女。変わらぬ微笑みが向けられているのは、又兵衛ではなく隣にいる人の良さそうな男と、その腕に抱かれた赤子だった。どこからどう見たとしても仲睦まじい親子の姿。奥歯を噛み締めたとしても、何もかも遅かった。又兵衛が家康に方法を聞いた僅かな時間の間に、人間の時間は数十年の時を刻んでいたのである。又兵衛の心に暗い何かが這い上がって、頬には涙が流れた。誰かと過ごすことを知った神は、もう一人では生きられない。だが、あんなに渇望した存在は又兵衛無しの幸せを手に入れてしまったのだ。許したくなかったが、憎いと同じかそれ以上に愛しかったから。又兵衛は声を掛けることもせずにその場を後にした。


孤独は、寂しい。







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