小説 | ナノ





「やれ、三成は寝付いたか」

「吉継様」




ええ、と頷くと吉継様は喉の奥で笑った。その奇異な瞳に安堵が見えたのは気のせいではないだろう。三成様を寝かし付けるために差し出した肌を清めるために部屋を抜け出した後すぐにばったりと会ってしまったものだから、どこかはしたない格好になってしまってはいないか気になって落ち着かない心地に陥る。三成様が童子であるならば、目の前の吉継様は私にとって正しく男の人なのだ。行動には多大な矛盾を孕んでいるが、そこは見て見ぬ振りをしてほしい。心配すべき、庇護する対象と溜息を吐きたくなるような劣情を催す相手は違う、そうしてそれが遂げられはしない、それだけの話。私が三成様に深い眠りを与えるならば吉継様はそれだけで良いのだろう。私自身には興味も無い癖に、三成様のために私に優しく接して下さる。不覚にも其れが嬉しく思ってしまうから始末に負えない。





「アレがこうも深く眠りに落ちようとは、ぬしの肌は余程心地好いと見える。ヒヒッ、われも体験してみたいものだ」

「お戯れは止して下さいませ、流石に其の甘言にころりと騙される程小娘ではありませんわ。…それに、そうすれば三成様が私に裏切られたと泣いてしまうかもしれません」

「そうよ、そうよな。それで良い、満点よ。」

「そうでしょうとも」





包帯で覆われた口元が綻ぶのを見た。吉継様はその身体を、命を、三成様を生かすためだけに消費してらっしゃる。まるでそれ以外はどうでも良いとでも言うように、ただ静かに、その思いを心の奥に根付かせているのだ。本人に言えば、きっと否定するのでしょうけれど事実なのだから仕方ない。蚊帳の外にいる第三者から見た方が理解出来るだなんて酷な話。そこから踏みだせはしないのに。私が三成様を男として見ないのと同じように、吉継様は私を決して女として見ないだろう。そもそも、人として見ているかどうかすら危うい。三成様を寝かし付ける便利な道具だと思われている気がしてならないけれど、それでも良いと受け入れてしまうのは惚れた弱味が故だろうか。追いかけたってどうしようもないのに馬鹿だ。私も、三成様も。




「御心配なく。あのお可愛らしい方に血涙を流させるようなことはありませんわ。少なくとも、私がお側にいる時間は、ですが」

「…ぬしも献身的な人間よな」

「貴方様には叶うはずも、…いえ、失礼、なんでもございません」




気付くのを恐れている吉継様は、それ以上、続く言の葉を紡ぐことはなかった。なんて愛しくて切なくて、悲しい人。そんな風に口元を歪めて見せるくらいならば元より私など宛がわず、自らあの童子のような方の世話を焼いてあげれば宜しいのに。けれど、それはそれで彼の矜持が許さないのであろう。思いのままに動くことすら出来ないなんて、この世は世知辛い。どうにも出来ないことなんて、そこかしこに満ち溢れている。それでも焦がれることをやめられないのは、己自身の心の問題。例え苦しくとも、恋い続けることを選んだのだ。




「…引き留めてすまなんだ、どこぞへ向かう途中だったのであろ?」

「いいえ、お話出来て嬉しかったです。」

「ヒヒ…ぬしも中々に底が見えぬ」




底、など。見られてしまえば、この脆い関係性はいとも容易く崩れ去っていくことだろう。そんなことは望んでいない。元より叶うなどという夢など見てはいないのだ。だからこんな風に時折短い言葉を交わせるだけで良い。三成様が私で安眠を得られる間は、吉継様に必要な人間でいられる。何とも性格の悪い話ではあるが、三成様とて私にその気がないことを知っておきながら心音と矯声を要求してくるのだから利用しているのは御互い様だろう。童子の様にお可愛らしい彼は、そうすればいつの日か私の心まで手に入ると本気で信じているのかもしれない。愚直で壊れやすい彼が気付いていてもいなくとも、私が女として三成様を想うことは終ぞないだろう。だがその代わり、この立場を拒否することもない。

散々聞かされてきた彼の口癖をふと思い出す。裏切るな、なんて。それがどんな形であろうと傍にいろという意味ならば、それは当たり前のことだろう。だって私はここに縛り付けられてしまったのだ。慈しむべき対象も恋い焦がれる殿方も、ここにしかいない。




「…っ!何処だ、何処に行った!貴様もやはり私を置いていくというのか?…ッ許可しない!」

「三成様、私はここにおりますわ、落ち着いて下さいませ」

「何処に行っていた?何故私を一人にした」

「…少し湯に浸かりたかっただけです。必ず貴方様の元へ帰ってきますよ、だってそう約束しましたもの」

「そう、か…。」




勢いよく障子が開いて、三成様が声を張り上げたものだから面食らってしまった。鋭い眼光の奥に、まるで子供が灯すような不安を膨らませているのを見逃しはしない。優しく、諭すように言い聞かせれば安堵した様で大人しく障子の向こうの褥の中へ戻っていった。嗚呼、この分では長い時間は使えない。あの子は待つのが得意ではないから、急がなければ。溜め息が出そうになるのを堪えて、静寂だけが続く長い廊下を歩いていく。

そうして不意にふわり、吉継様が纏う香の仄かな残滓が鼻腔を霞めて、途端に沸き上がる愛しさと絶望に、今日も人知れず涙した。








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