小説 | ナノ





私の言葉は、小さな小さな鍵となる。少しずつ、気付かれないように彼女の心に私だけ入り込んで、それから他の誰にも邪魔をされないように。だって、そうしないと彼女は連れ出されてしまうから。いつだって凛々しくて優しい彼女を他の人に取られることなど耐えきれるはずなどない。だから、ねえ直虎様。ほんの少しだけ我慢して。今は少しだけ悲しいけれど、その空虚はやがて私が必ず塞いであげますから、だから。ああ、涙さえも綺麗。





「直虎様、涙をお拭き下さいませ。もう良いじゃないですかあんな男なんて。直虎様には私達がついておりますわ。」

「…ッ、そうだ、男なんて信用出来ん……!」

「ええ、ええ、そうでしょうとも。あんな、見る目のない男などもうどうでも良いではないですか。直虎様は素敵な方ですわ、私が保証致します」





少し昔のお話。直虎様に縁談が舞い込んだ。物腰の柔らかそうな殿方で、直虎様はそんな男に戸惑いながらも惹かれていったのだ。嬉しそうに逢瀬の際の話をする直虎様に、狂いたくなってしまうほどの悲しみを味わった。私には見せない幾つもの表情を、その男はいとも簡単に引き出してしまうのだと思えば憎くて憎くてたまらなくて、壊してしまいたいと、そんな狂暴な感情が宿って。それは日々加速して私の心を蝕んでいった。直虎様のことが大好きなのに、あの男との幸せを願えない。蚊帳の外の幸福など、妬ましいだけではないか。それならば、無理矢理にでも邪魔な存在を外に引き摺り出して、もう二度と内側に入って来られないようにしてしまえば良い。浮かんでしまえば妙案に思えて、それしか考えられなくなった。だから、だから私はあの新月の晩に。





「…忘れてしまいましょう、覚えていることで、辛くなるならば」

「ああ、それが良いのかもしれんな…。」





思わずにやけてしまう口元を慌てて覆って、それから心の中だけで呟く。まもなくだ。まもなく、直虎様はあの男を思い出に変えるだろう。ただでさえ逃げられたと思っているのだから、そこまで美しくは残るまい。思い出になったなら、後は薄れて遠くなるだけ。なんて、幸せなことなのだろう。目を閉じれば脳裏に浮かぶのは憎たらしくて大嫌いな男がだくだくと流した緋色。鈍い感触と、それからぬるい感覚。武田との戦は良い目眩ましになってくれた。直虎様をたぶらかした男はもう既に外側に追いやったのだ。いくら直虎様が待とうとも、もう息などとうに止まって今は土の下にいる存在が帰ってくるはずもない。死して尚、直虎様の心に居座り続けているのは心から気に食わないことであるし、何回でも殺してやりたいけれど、あの人は存外脆かった。そんなところも、直虎様には相応しくない。





「そうですよ直虎様、男なんて汚くて、狡くて、自分勝手な生き物です。そんな身勝手さに、乙女はただ泣かされるばかり。」

「やはりこの天下を男なんぞには任せておけない!」

「その意気です!私はどこまでだって共に行かせていただきますわ、だからどうか悲しまないで」

「ああ、そうだな。その、ありがとう。」

「いえいえ、この程度お安いご用ですから」




彼女は純粋さ故に流されやすいという短所がある。こんな私を傍に置き、信頼しきっているのだから相当だろう。だけどそれで良い。きっと何度だって私はこの方を守ろう。一番傍にいるためなら、幾度となくこの手が血に染まろうと構いやしない。この方が綺麗でいるためにならば、私は喜んで汚れてみせよう。そして彼女自身にも、その心を、魂を、安全に保つために私は言葉で鍵をかける。ひとつひとつ、確かに。それに気が付かずにはにかむ彼女のなんと美しく高潔なことだろう。手を伸ばせば届く距離だとしても、決して焦ってはいけないのだ。劣情などは心の奥に隠して、素直に主君を元気付けている従者の面で笑う。少しずつ少しずつ行き場を無くしていけば良い。即ち、最後に残った一つを選ばざるを得ない状況を作り出してしまえば私の揺るぎない勝利が手に入るのだ。




「…私はいつだって、直虎様をお慕いしておりますよ」

「そ、そうか!何だか面と向かってそう言われると照れてしまうな」

「ふふ、可愛いお方」

「こら、からかうんじゃない!」





ほらまた、一つ。嗚呼、あの晩殺めた男は私を恨んでいるのかしら。だけどきっと、あの日、私の腹の底から沸き上がった憎悪にはそんなものは及びもしない。ふつふつと煮えたぎるような狂気は今も形を変えて私の中に根付いているのだ。あの方の笑顔を私以外の誰かが独占することなど認めるものか。外側からの干渉など跳ね退けてしまえば良いだけのこと。愛しい愛しい彼女のため、これが私の、愛の形。鍵をかけて、もう二度と開くことなどないように。私と彼女の空間に入り込んだら最後、誰だろうと許しはしない。




「嫌だなあ、本当ですよ?」





思わず冷たい声色になってしまった私の表情を窺うように見据えた彼女の瞳に応えるために、柔らかくて無邪気な笑顔を用意して。安心したようにつられ笑いをした彼女は立ち上がって歩き出したから、縫い止めてしまうように、逃がさないとでも言いたげに、愛しい彼女の影を踏みながら歩く。きっともう少し、あと少しで、堅固な錠前は完成するだろう。そうすれば彼女は私に落ちてくる。堪えきれない笑みは隠さず、笑い声だけは上げないようにして。そうすれば彼女は気付かない。

あの日生まれた感情は、今も静かに息をしている。









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