小説 | ナノ






きっかけはただ、お茶を渡すときに少し指先が触れた、それだけのこと。



今までも接触はしてきたというのに、何故かその日はこれまで積み重ねたきた恋しさがこれ以上ない程に肥大して肥大して、はち切れてしまいそうだったのだ。それがこの瞬間にあっけなく弾けてしまった。直ぐに手を引っ込めて、後悔する。これはいけない、この反応は違う。気付かれてしまったらどうしたら良いかなんてわからないというのに意識すればするほど顔に熱がたまっていく。堰を切ったように流れ出す気持ちが止まりそうにもない。おかしい、傍にいられるだけで良い、淡い気持ちだったはずなのに。多くなんて望んでいなかったはずなのに、それなのに。





「…し、失礼しました」

「イヤ、構わぬが…どうしやった?顏が赤いが…調子が悪いのならば」

「だ、大丈夫です」

「それならば良いのだが…」





微妙な空気が流れる。何か言おうとしても言葉が出てこなくて、吉継さんも何やら戸惑っているようで、ひたすら沈黙に包まれた。惑う指先だけが熱をもて余していて、やけにうるさく心臓が鳴っている。言いたくて言えなくて、封じ込めた言葉を、紡いでしまいたくてたまらなかった。そうしたら、この息が詰まるような苦しさからは解放される気がしたのだ。この暮らしをいつまでも続けていたいけれど、ここまで意識してしまうならば結局は時間の問題で。それならば、いっそのこと。楽になれるのだろうか。





「…何を言わんとしているかはわからぬが、今一度考えよ。それは今、言わねばならぬことか?」

「え」

「軽はずみな発言を悪しきとは思わぬが、熱に浮かされたその場しのぎの甘言を吐くのだけはやめてくれやれ。われの心臓が持たぬのよ、年寄りゆえにな」

「それ、は。私を意識してくれてるってことで良いんですか?」

「何を…」

「答えて下さい、私、私は、期待しても良いんですか」





射抜くように真っ直ぐに彼を見つめる。一瞬でも逸らせば負けてしまう気がした。祈るような気持ちで次の言葉を待つ。わがままだけど、どうか誤魔化したりしないで受け入れてほしくて、騒がしい心臓を押さえ込む。ここまで来ると最初に抱いていた気持ちが嘘だったかのように思える。傍にいられるだけで良いだなんて、そんなのは、もう。気持ちが募るにつれ欲も大きくなって、そんなのはいけないとわかっているのに、ただただ触れたくなる。それが許される立場を望んでしまう。傷付くとわかっていても、焦がれずにはいられない。





「われからそれを、言わせるか」

「…聞きたいんです、苦しくて、胸のずっと奥が、締め付けられてるみたいで、それならいっそ、どんな言葉でも、真っ正面から…」

「……。」





吉継さんの唇が開きかけて、息を少しだけ吐いて、閉ざされる。深く、言葉を選んでいるように見えた。いつも静かな知性が息づいている瞳の奥に隠しきれない動揺が渦巻いて、今更な現実が襲いかかってくる。距離感を壊してしまった。一歩、確実に踏み込んでしまったのだ。もう、今までの穏やかな暮らしはどう足掻いたとしても戻っては来ない。怖い、怖くて震える。握りしめた拳が、変に熱を持って痙攣していた。彼は聡明だから、私の気持ちはもう伝わっているのだろう。直情的で、やり場のない、ともすれば暴走しかねないほどに膨らんでしまったこの思いの全ては理解出来るわけがないのだろうけれど。





「ぬしの、その気持ちは」

「はい」

「…誰もが一度は経験する、憧れの延長線よ。若さゆえの衝動で今は熱を帯びておるが、長くは続かぬ。」





諭すような優しい声。落とされた言葉は私の気持ちを否定するもので、鉛のように確かな重みを持って積み上がっていく。潰されかけた気持ちが悲鳴を上げて、悲しさ、それと怒りにも近いなにかが物凄い勢いで沸き上がってきた。受け入れてもらえないのは仕方ない、それはどうにも出来ないことだけれど、この想いは、大切に膨らませてきた気持ちは嘘ではない。届かないにしても、私の本気をわかって欲しかった。勝手で我儘で自分勝手で、子供っぽい感情だ。これ以上この気持ちを吉継さんの前で晒したくなんてなかった。言葉が、震える。それなのに止まらない。




「私、吉継さんよりはずっと年下ですし、……それは、変えようのない事実です。でも、それでも、今抱いてるこの気持ちは、本物だって胸を張って言えます。」

「……ぬしには、眩しい程の未来があるはずよ。われが其れを奪うわけにはいかぬ。」

「奪…う…?」

「左様。」





言うべき言葉が、悲しいほどに見つからない。それでも、このまま彼の言葉を受け入れれば大切に育ててきた気持ちが殺されてしまうようで、それだけは守りたいと心が叫ぶ。見据えた彼の瞳からは感情を読み取れはしなかった。どうしよう、何をすれば、何を、言えば。ぐるぐると切羽詰まった感情はもう爆発寸前で、目の前が滲んでいくのを止められない。恥ずかしいし情けない。やっとのことで肺に酸素を取り入れて、そうして、嗚咽を飲み込んで、それから。





「ごめんなさい吉継さん、数日したら戻ります、必ず戻りますから、……お暇を、下さい!」





もういなくて良いと言われるのが怖くて、一方的にそうぶつけて玄関へと走った。滲みきった視界では彼がどんな表情を向けていたかなんてわかりっこない。ただ今は、この家で二人でいるのは辛すぎる。ただそれだけの、衝動的な行動だった。








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