小説 | ナノ







目に見えぬ不確かな存在であると言うこと。それがどれほどの不安を生むのか、張本人ではない俺に全ては判らぬが、近付く事が出来るような夢を、見た。

俺の感情ではない、彼女の心象と記憶が流れ込んで来る様な夢。雲一つない空と電線、何て事ない日常の風景の中、強い衝撃。急激に視点がぶれ、暗転。何となくだが、これは彼女の「死」の瞬間なのではないかと思う。何と言えば良いのか判らないが、随分呆気ない。





「弦一郎くん、何だかぼんやりしてるけど大丈夫……?」

「…ああ、大丈夫だ」




夢の所為で眠った気がせず、また朝の鍛錬にもいまいち気が入らなかった己の未熟さに喝を入れ、通学路を歩く。隣には彼女が居ると言うのに誰一人としてその存在を瞳に映そうとはしない。知ってはいたが、妙な気分になった。


そうは言っても、俺の一日は何も変わらない。いつもと同じ様に登校し、風紀委員長としての仕事をしてから朝のHRに参加して授業を受ける。周りに人がいる事を配慮してなのか、彼女は話し掛けて来なかった。気配は絶えず近くに在ったが、昼だからなのか目を凝らさなければ判らぬ程に存在の輪郭が朧げである。




「声、おっきいんだね」

「…そうか?」

「うん、合唱なのに弦一郎くんの声しか聴こえなかったよ」




音楽の時間が終わった後、周りに誰もいないのを見計らって俺に話し掛けてきた彼女の声はひたすらに楽しげで、何故か悪い気はしない。不思議と、徐々に彼女の気持ちの揺らぎの様なものを感じ取ることが出来る様になってきた。今の彼女の言葉には一切の邪気が無く、唯々面白くて言ってきただけなのが歪み無く伝わってくる。人の気持ちを感じ取る事が決して上手くない俺にとっては、有り難い変化だ。心にも無い言葉や行動で彼女を傷付けることだけは避けたい。




「次は部活?頑張って、私、応援してるから」

「その…部室には入らん方が良いぞ」

「え?」

「着替えの関係上、な。」




奴らには見えなくとも、彼女からは全てが見えているのだ。野郎共の着替えなど、年頃の女子が見て気持ちの良いものではあるまい。俺が言った言葉に納得したのか、彼女は慌てた様子の声色で部室の外で待っていると言った。一人で部室へと歩みを進める。誰かが先に来ている様だ。





「…ねえ、真田?随分可愛い子を連れてきてたね。あれ、誰?」

「幸村…見える、のか?」

「ふふ、俺を誰だと思ってるの?…まあいいや、それでさ、幽霊なんて連れてたら…最低、生気奪われてあの世に連れて行かれるよ。」

「む…しかし彼女は」

「害が無いって言い切れるの?そうじゃなくても隈が出来てる。顔色が悪い。もしお前がいなくなったら、大変なことになるんだ。ちゃんと考えてくれ」




幸村の強い口調は、俺の事を心配している故だというのが真剣な眼差しからひしひしと伝わってきた。脳の何処かで彼女はそんな存在ではないと否定する反面、仄暗い感情が沸き上がってくる。先人達の誇り高き伝統を守る副部長という立場、誰にも譲りたくはない強さへの執着、掲げる勝利。今、俺が背負っているものは限りなく大きい。冷静に動く事をしなくては全てを失うやもしれぬのだ。

ひやりと、急激に背筋が冷えた気がした。もしかして俺が彼女の名前を思い出せぬのは、心の何処かが防衛壁を作っているからなのだろうか。考え始めるとキリがなく、部活が終わった後の彼女との帰り道も何処か上の空になって、何を話したのかも覚えてはいない。もしかしたら、沈黙だったのかもしれない。



答えが出せぬ疑惑を抱えながら、味がしない晩御飯を食べて彼女の待つ部屋へ向かう足取りは、異様に重かった。そうだ、彼女の記憶を夢に見ること。感情が、受け取るように理解出来ること。それは即ち、彼女との同化を示しているのだと言われたとしたらならば否定出来ぬ。また、幸村が言うように本調子では無いことも確かだ。この状況は憑かれている、そう言い表しても過言ではない。





「弦一郎、くん。」

「……すまない、少し心を乱していて、」

「…ごめんなさい、私、聞こえちゃったんだ。部室の中の声って、結構外に響くんだね。」




直接心に伝わってくる、彼女の悲しみ、戸惑い、葛藤。涙を必死に堪えるような震えた、必死な声。突き刺さるような感情は只管に綺麗で、悪意など何処を探しても見つからない。揺らぐ心を捨て去ってしまいたかった。彼女を悲しませることはしたくないと、あんなに思ったのは嘘では無い。それなのに。




「そう、なのかもしれない。私、弦一郎くんの、迷惑になってるってわかってて甘えてた。」

「甘え…?」

「うん。…そんな資格なんてないのに…ここに、弦一郎くんのそばに、ただ居たくて、どうしようもなくて…」




幸村、すまない。心配は有り難いが無用だ。俺は、俺が感じたことを信じたい。彼女のことを、信じたい。痛いほどに感じる純粋さ、ゆかしさ、優しさ。それらは何も間違っていないのだということを。此処に確かに居る、彼女という存在を。

気が付けば手を伸ばして、彼女の手に当たる部分であろう空間に触れていた。相も変わらず風に触れるような感触だが、これが彼女だと思えばそれすら良いものに思えるから不思議だ。そうだ、謝らなくてはなるまい。




「…すまなかった。俺、が……。」

「…弦一郎くんの手、あったかいよ…。」







(木曜日/それは、木々の囁きより強く)



己の信ずるべきものを決めた、そんな四日目。






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