小説 | ナノ






団扇を片手に、夜空に咲く花火を見ながらふと、昔に思いを馳せる。若い頃の思い出。弾け飛ぶ程の恋は、今思えば悲しいほとに儚くて無謀で、それでいて淡く、美しかった。追憶、追想。今思えば全てが形になっていないような、勢い任せの日々だったけれど。それでもあの頃はあの方がいるからこそ世界が色付くのだと、本気で思っていたのだ。何度目かの夏が巡ってくる。鮮やかに舞い戻る。傍らの発泡酒を煽れば、喉に流れてまたひとつ。あの頃と同じ台詞を、あの頃とは違う落ち着いた気持ちでもう一度。





「貴方を紡ぐ歴史の一部に、私はなりたいのです」





そう言えば私がお慕いしている殿方は面食らったような表情を浮かべたので、その手を取ってそっと握って微笑んだ。私の初恋。幼き頃から心を捕らえられて久しいけれど、この恋は到底叶うものではないと直ぐに理解した。一年一年、季節が移ろうたびに否が応でも歳を重ね体に成長を刻んでいく私と違い、彼は何一つ変わらぬまま。それもそのはず、彼の正体は私の住む日の丸の国そのもので。彼を恋慕う女など、それこそ数えきれないほどに沢山いたことだろう。そうして彼の記憶の彼方に沈んでいったに違いない。だから意外だった。小娘の戯れ事を、記憶してくれていたらしいことが。






「これはまた、懐かしいですね」

「ふふ、そうでしょう?…覚えてくれていたんですね、嬉しいです」

「熱烈でしたから」

「お恥ずかしい限りですわ」





直視するのが気恥ずかしくて逸らした窓の外、花火はまだまだ終わる気配がない。うち上がった後に名残惜しく消える様子を見て、口元だけで笑みを作る。物悲しくなって瞼を閉じてみれば、裏でチカチカと星が弾ける。あの日あれほどに渇望した存在はこんなに近くにいるのに、手は届かない。そしてそれで良いのだろう。この想いは消えることなく、燻り続けてくれるのだろうから。それこそ、私の生きた証のように、誇りの如く。






「四季は巡っていくものですものね」

「早いものです」

「夏の終わりの虫の歌にも、秋の枯れ葉が舞い踊る様にも、貴方を感じますよ」

「それはそれは…なんだか気恥ずかしいですね…」





彼の頬に、ほんのりと紅が色付く。打ち上がった花火の名残がさらさらと夜空にきらびやかさを添えて消えて、また次に咲く花に繋がっていく。桜が散るからこそ美しいのと同じで、花火も消えるからこそ趣があるのだろう。私達日本人は、そこにある種の情緒を見い出すのだ。今年も夏は終わる。また必ず夏は来るだろう。それでも悲しく憂いを帯びてしまうのは、同じ夏は来ないとわかっているからだ。切なくも、変わっていく。体も心も、全ては。それが彼にとってどの程度の意味を持つのかはわからないけれど。





「ねえ祖国様、貴方が私を忘れてしまっても私は貴方を忘れません。最後の瞬間まで、絶対に」

「ええ、ありがとうございます。光栄ですよ」

「私が逝ったら、少しでも悲しんでいただけますか」

「……そんなこと、当たり前じゃないですか。何も思っていないのなら、会いに来たりしません」






悲しそうに笑った彼を見て、心の奥底から熱いものが込み上げる。彼に会えるのは、季節の変わり目だけ。何の前触れもなく、低い確率で彼は私の前に変わることのない姿を現す。肩を並べて歩くことなど出来はしない。いつ会えなくなるかすらわからないというのに、それでも会えて良かったと心から思う。彼を愛したこと。彼を、愛していること。今この瞬間は私だけのものなのだ。ほんの少し茶色を織り混ぜたような黒い瞳が真っ直ぐにこちらをとらえて戸惑いがちに瞬く。ああ、言葉を選んでいるのだと思うと彼らしくて笑みが溢れて来た。若い頃に見えなかったこと、今ならわかる。





「何れ程辛くとも、しっかりと見送らせていただきます。だって私は日本男児ですから。そのような思いを覚悟の上で、貴女と今ここでこうすることを選んでいるのですから」

「…ありがとうございます、私は、その言葉だけで、もう」






満足です。満ち足りた気分でそう言えば、美しい所作で立ち上がった彼の唇が弧を描く。いつだって、私の世界に繊細な色付けを施すのは彼なのだ。いつの間にか花火は終わり見上げた空には満天の星。先程までそこに咲いていたはずの満開の花の気配などはもう微塵も残っていなかった。まるで彩られていた時間が、夢だったかのように。覚めて現実に戻らねばならない時間が来てしまったのだと言われている気がした。泣き言なんて言える立場ではない。とびきりの笑顔を彼に向けて小さく手を振って、軽い会釈が返ってきたのを視界に入れれば泣きたくなって、そんな顔を見られるわけにはいかないと深々と頭を下げる。





「では、またお会いいたしましょう。…左様なら。風邪にはお気をつけて下さいね」





(柔らかくて苦い)




彼の後ろ姿を見送って、睫毛を伏せる。気が付けばもう、耳に響く虫の声。私を取り巻く夏が終わって静かでほんの少し物悲しい秋が始まる。









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