小説 | ナノ






聞き慣れぬ鳥の声と肌で感じる違和感に襲われ、平素よりも早く目を覚ました。ああ、そうであった、われは今、温泉旅行に来ているのだ。軽い頭痛を起こしている頭を押さえながら、今の状況を確認しようとしたが、直ぐにその頭痛が大幅に酷くなる羽目になった。われの腕の中では、小娘が暢気な顔で柔らかな寝息を立てている。背筋に伝う冷や汗を感じながら、急いで布団を押しのけ、そして幾許かの安堵の溜息を吐く。着込んだ浴衣は乱れてはいない。

ほんの少しではあるが冷静さを取り戻した頭で、何が起こったのかを思い出そうと試みる。昨晩は美味しい料理と共に、久方ぶりに酒を飲み、他愛ない会話を楽しんでいた筈なのだが、そこから如何してこの状況に繋がったのか、われの記憶には欠片すら存在してはいない。ただ一つ理解出来るのは、この娘が自ら望んでこの状況に置かれるはずなど無いという事。酔ったわれが引き込んだのだろう、年頃の娘に悪いことをした。引き込んで、それだけで済んだかどうかは聞かねばわからぬ。半ば宣告を待つような気持ちで、その細い肩を揺する。





「もう朝よ」

「よ、し…つぐさん…?」

「ああ、われだ」

「……ん…。」





完全に寝ぼけながら、猫のようにわれの腕にすりすりと頬を寄せてくるものだから面喰らった。そういえば平素は起こしてもらう立場なのだ、この娘が寝息を立てている様を見るのも初めてやもしれぬ。何かを誤魔化すように惑う指先で、白い喉元にかかっている娘の髪に触れてみる。意味などは無かった。よもや昨晩の酒に浮かされたわれは、このように柔肌に触れたのだろうか。覚えておらぬことが残念なようにも思えたし、多大な罪悪感が沸き上がってくるようにも思えた。だが、何時までも思考しているだけでは埒があかぬ。




「起きやれ」

「う……ん、あ…よ、吉継さんお、おはようございます!あ…っ、あのですね、昨日、吉継さんが酔ってらして、それで…!」

「良いヨイ、まずは落ち着け。われがぬしをこうしたのよな?ちと説明してくれぬか」




起きたかと思えば、われの顔を見るや否や頬を紅色に染め慌てふためく。随分と可愛らしい様だが、やはり何がしでかしたのかと不安が沸いてくる。責任という二文字がこの上なく重い。われに記憶が無いのならば、今から語られる事が真実となる。だが、それでも聞かねばならぬのだ。意を決して視線を真っ直ぐに合わせると、耳まで赤くして一つこくんと頷いた。





「えっと、ご飯を食べ終わりかけの時、吉継さんが酔って倒れたんです。意識は失ってらっしゃらなかったので、肩を貸して奥の部屋のお布団へ行ったんですが布団がなぜか一組しかなくて…」

「うむ…」

「そしたら吉継さんに引っ張られて…身動きが、取れなくなって…」




言葉がそこで一度途切れ、小娘は両頬に手を当てて下を向いてしまった。賢い娘ゆえ、本当は一組しかない布団を見てすぐに仲居達に連絡しようとしただろう。ああ、言葉に出せぬようなことをわれにされたのだろうか。年齢が年齢ゆえ最早枯れかけていると思っていたのだがそうでも無かったのか。いかに酷な事実でも、われはその先を聞かねばならぬ。




「…して、その後は」

「えっ、……えっと、もがいてみたんですけど、抜け出せなかったので…そのまま寝ちゃいました」

「なんと…。ぬし、体は大丈夫なのか」

「え、か、体…ですか?慣れない姿勢で寝ましたし、ちょっと肩とか首とか痛いかもしれないですが…このくらいなら平気です!」





花が咲くような笑顔で見当違いなことを言われ、盛大に肩の力が抜けていく。拍子抜けして、行き場のない思考が脱力へと移ろう。何故、何も無かったのに恥じらっていたのかと問いたかったが、異性と付き合ったことすらないと言っていたことを思い出し、問いは溜め息へと変換された。しかし間違いは起きていなかったとは言え、年頃の娘と褥を共にしたことは事実だ。相手はうら若き乙女である、さぞかし嫌であったことであろ。脱力感に襲われていた体をどうにか正し、謝罪の言葉を口にする。





「…やれ、嫌な思いをさせてしまって悪かったなァ。暫く酒は控えるゆえ、許してくれやれ」

「い、嫌なんかじゃなかったです!むしろ…その…いえ、何でもありません!気にしないで下さい、私はもう本当に!全然大丈夫だったので!」

「無理に明るく振る舞わなくても良いぞ。…ぬしはほんに優しいおなごよな」

「私、無理なんてしてないです!」

「頬を林檎のように赤く染まらせて何を言う。お詫びに今日はぬしの好きなもの、何でも買ってやろ」





首筋までもを赤く色付かせるなど、感心するほどに初心なものだ。にんまりと笑い掛けてやれば至極嬉しそうに頬を綻ばせた。この笑顔がいつの日か他の男に奪われるのかと思うと、驚く程に面白くない。毒のようにじわじわと、優しく優しく接してやればこの娘はわれの元を離れなくなるだろうか。

年齢が一回りほど違う、さして魅力があるわけでもない、それどころか肌も足も悪い男が望むものでは無かったと、嘲笑いながらもその気持ちを奥深くに仕舞い込んで、取り敢えず顔を洗うために立ち上がった。







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