小説 | ナノ






今日は編集者の方が訪ねてきた。茶色の髪と鋭い瞳が特徴の、かっこいい女性。あと30分もあれば原稿を渡せると吉継さんが言うので彼がせっせと執筆に勤しんでいる間、私と彼女はリビングで紅茶を飲みながら仲良く話をすることになった。こう、顔を突き合わせて話をすることは初めてだけれど、彼女と会うのはもう数回目なので特に臆することもない。かちゃり、洗練された動作でカップを口に運ぶ彼女がジッと私を見つめて来る。





「雑賀さん、どうかなさいましたか?」

「いいや、ただお前が来てから大谷の顔色が随分とマシになったと思ってな」

「そうだと嬉しいんですけどね。一応栄養バランスとか、考えながらご飯とか、作らせていただいてますから…」

「フフ、そうか。さながら親子のようだな」

「……え…。」





親子。その響きに底知れぬ違和感を感じて固まってしまった。それからぐるりと考える。確かにこの家に来たばかりの頃は、吉継さんと家族の様になるのが目標であったし、それは今でも同じだと思う。だとすれば、このもやもやとした気持ちは一体何だろうか。確かに私と彼は親子でもおかしくないほど年齢が離れていて、だけどそれでも、私は彼を父のようだと思ったことは一度たりともない。言葉に詰まった私に彼女は一瞬だけ驚いたような顔を向け、それから合点したように笑う。





「…そうか。」

「さ、雑賀さん?」

「すまない、失言だった。…詫びにこれをやろう」

「えっ、あ、あの…」

「案ずるな。貰ったはいいが私には一緒に行く相手などいないからな。大谷と行くと良い」





彼女によく似合っている大きめの黒い鞄から取り出されたものは、どこかの旅館のペア宿泊券だった。こんな物はいただけないと手に押し付けられたそれを返そうとした時、小気味よい音を立てて彼の部屋の扉が開く。それに釣られて視線をそちらへやれば、原稿用紙の束を持った吉継さんがフラフラと歩いてくるのが見える。





「やれ、雑賀よ。原稿は完成したゆえ持って行くが良いぞ」

「ああ。確かに受け取った。では、おいとまさせて貰おう」

「えっ、あの、雑賀さ…」

「さらばだ」





相変わらずのクールな空気を纏ったまま、もうここには用はないと言わんばかりに足早に去って行ったものだから、私の手の中には先程押し付けられたペア宿泊券が残ってしまった。ああ、でも今は原稿を仕上げた彼のために何か飲み物と菓子を用意しなくては。とりあえずテーブルの上に適当にその紙を置き、駆け足で台所へ向かう。そして盆の上に湯気が出ている煎茶と幾つかの和菓子を乗せてリビングへ戻ると、何故か彼は目ざとくその宿泊券を見つめ、ジッと眺めていた。





「吉継さん?お茶とお菓子が用意出来ました」

「ご苦労。して、…これは何だ?」

「え、えっと…ですね…雑賀さんに吉継さんと一緒に、って…頂いたんですが…その、旅行に行っている暇なんてありませんよね。ちゃんとわかってます」

「ぬしは行きたいのか」

「私ですか?そう、ですね…楽しそうだなって思います…けど…」





ズズ、とお茶を飲む音が耳に届く。相変わらず一つ一つの所作が丁寧で流れる様だ。雑賀さんが来るとわかっていたからか、今日の彼は体の至る所にきっちりと包帯を巻いている。私の前でしか解かないということに、少しの優越感と満足感が湧き出てしまって自己嫌悪に陥りそうだ。私は彼の元で働かせていただいている、ただそれだけだと言うのに。ぼーっとしながら彼のことを眺めていたら、静寂は低い声で破られる。





「ぬしが望むのならば、旅行とやらに付き合ってやろ」

「へっ?」

「見やれ、湯治も出来るらしい…この忌ま忌ましき痕が少しでも薄れれば幸いよなァ?」

「で、でも」

「勿論われのこの体だ、近辺の観光などは出来ぬぞ。それでも良いならば」





吉継さんと、旅行。思いを馳せただけでじんわりと胸の奥があたたかくなる。問われるまでもない、行けるならば、そんな我儘がもし許されるのならば是非ともお願いしたい。雑賀さんがどんな意図で宿泊券を下さったのかは未だ理解出来ないけれど、後でお礼の電話を掛けておかなくては。そんな思いを巡らせながら一言「行きたいです!」と発すれば、彼は確かに優しい顔で落とすように笑った。









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