「見つかっちゃった」
「組頭、…そんな茶目っ気を出しても騙されませんからね」
「その石頭は誰に似たのかねぇ…」
なおも不運に巻き込まれ続ける伊作くんに案内されながらたどり着いた保健室は、噎せ返るような薬草臭さが染み付いて篭っていた。そんな中で組頭は楽しそうに小さな子供を膝に乗せている。お世辞にも顔色が良いとは言えないその子供が小さく「すっごいスリル…」と呟いたのを私は聞き逃さなかった。この子がきっと「伏木蔵くん」という子なのだろう。はじめましての意を込めて頭を軽く下げれば、その子は少しだけ表情を明るくした。
「はじめましてー」
「…はじめまして。組頭がいつもお世話になっているね」
「こら、その言い方はないだろう」
無邪気に伸ばされた小さな手を振り払うことも出来ずに、ぎゅっと握り返しながら私も挨拶をした。そうしたら組頭が呆れた様な声で言葉を漏らして、それを見ていた傷だらけの伊作くんが後ろで笑う。不思議なもので、入った時にはあんなにも煙たく感じた薬草の匂いはもう気にならなくなっていた。成程、日だまりの様な場所だ。私みたいな人間には少しばかり眩しすぎるけれど。
「…伊作くん、案内をありがとう。組頭、今日はこのくらいで帰りますよ」
「えー」
「また来れば良いでしょう?」
「少し意外だね、お前がそう言うなんて」
「そうですか?」
うん、という返事と共に優しくなる目元。やはりこの方に隠し事など出来ない様だ。いつもいつもそう、筒抜け。それから組頭は一つだけ伸びをして、床下と天井を一瞬だけ見比べた。ああ成る程、入る時はサインをした癖に出る時は忍ぶ気なのか。どうせそれもお得意の気まぐれならば、従うだけだ。迷いなどどこにもない。
「では、お邪魔したね」
「あっ、ちょっと待って下さい!」
「ん?」
「これをどうぞ。良い薬草が手に入ったから作ってみたんです」
私達を呼び止めた伊作くんが組頭に何かを渡した。それを受け取って中身を確認した後、お礼を言う。あれはきっと薬の類なのだろう。では組頭の全身を覆う火傷の跡を、彼は見たことがあるのだろうか。聞く事は簡単だけれど、それを知ったからと言ってどうにかなるわけでもないから口を噤んだ。言葉には力があるから、おいそれと発するわけにはいかないのだ。
くるりと体を方向転換させて、能天気に手を振る子供達のいる場所を後にした。思った通り出門表にサインはしないらしい。曰く、その方が面白いから、とのこと。完全に楽しんでおられるなぁと思いつつも、その気持ちも少し理解出来てしまうような気がして一瞬だけ口元が緩んだ。諜報活動、情報整理、護衛、密談、暗殺。そんな血生臭い日常はもはや当たり前であり、明確な嫌悪感なんて無いけれどそれでもどこかで癒しを求めているのだと思う。組頭も、私も。
「…良い子達ですね」
「ん?うん、でしょ」
「でも、うちの忍軍の良い子達をあんまり困らせないであげて下さいね」
「可愛さがちょっと足りないかな」
「ふふ、確かに。けれど全員、貴方を一心に慕っている部下ですよ」
「…うん」
帰り道の途中、来る時と何ら変わらない速さで駆け抜ける彼の横顔が少し嬉しそうだったけれど、見ない振りをした。少々余計な発言だったかもしれないけれど口について出てしまったのだから仕方ない。だが、どんなに組頭がお気に入りの場所を増やしたとしても構わない。むしろ彼が良い意味で刺激を受けているのなら感謝したい位だ。だけど帰る場所は私達の在る此処だけ。そこだけは譲れない。
「きっと仕事が溜まっています」
「嫌だなぁ」
「そのようなことは言わず、頑張って下さい」
「…はいはい」
風のように空気を切って駆け抜ければすぐにタソガレドキ城。忍術学園での「曲者」は大勢の部下を取り纏める「組頭」に戻る。どろどろとした黒い臭いは消えないけれど、彼を慕い、心酔する部下達は今日も全ては「彼のため」に動くのだ。私はそれの、ただの一部分。それでいい。それが、いい。
「でもまあその前に、山本さんにお叱りを受けましょうか」
「あ、やっぱりそれは免れない?」
「当然です」
そうは言っても結局は険しい顔で苦言を漏らすだけなのだろうけど、それを知っていてなお、きっぱりと言い切っておく。本当は怖くなんてないくせに、彼は「怖い怖い」なんて心にもないことを言って笑ったから、何故かじわりと温かくなった。
それにしても今日は何だか忙しい日だった。瞳を輝かせている無垢な子ども達はいずれ私達と同じものを見る日が来るのだろうけれど、それでもあの眩しいほどの笑顔を浮かべてくれるのだろうか。途方もない疑問をゆらり、風に浮かべれば消えていく。いずれにせよ、まだまだ可能性しかない子らを見ているのは存外楽しいものだ。また、会えたら良い。
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