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「…何してる」
そう声をかけられたのは最後まで目元を擦らず冷たい夜風で涙を乾かした後だった。音もなく現れた男は見知らぬ男で、ただその雰囲気だけが見た目を裏切り刺すような刺々しさを醸し出す。手負いの獣みたいなすべてを警戒するような、そんな感じの男はきっと心を開いたらそれはころりと態度を変えるのだろう。
「…おい?」
無言で見上げる俺に戸惑ったような声を上げるのが可愛いくて少し笑ってしまった。
「金木犀と柊だよ」
「は?」
「俺と夏樹」
「意味分からん」
バッサリ切り捨てられてそれもそうかとまた笑う。この男にはなんの関係もないのだから、理解出来なくて当然だ。それ以前に柊はともかく金木犀の花言葉を知ってるやつなんて珍しいんじゃないだろうか。
「…お前、裸足か?」
「ああ、そういえば」
ちょっと感傷に浸り過ぎて忘れていた。
「怪我は」
「何も無いのにしないよ」
「裸足の時点でアウトだ」
当然のように返されやっぱり笑ってしまう。何度か分からないが可愛い。なんだろう、仕草か雰囲気か?
「お前が消えるから捜索令出されて全員総出だ」
「え、まじ?ごめんねー」
「ここなら中の声も聞こえただろ」
「いや、考え事してたから何も聞いてねえわ。現にお前が来た事すら気づかなかったし」
確かにそこで初めて周りの声を聞けば屋敷内が起きた時と違いだいぶ騒がしい。俺が原因でこれとか笑うしかない。
「戻るぞ」
「ん」
よっ、と立ち上がり男のあとに従って歩く。
「誰かタオル濡らして来い」
「はいっ」
縁側まで戻ってくると同時に近場で俺を探していたであろう厳つい男達が俺を見つけた男の背後にいる俺に気がついて慌ててタオルを取りに行く。そんな背中を見送れば隣の男はさっさと縁側に上がり柱によりかかりながら煙草を取り出した。
「…なんだよ」
「あ?」
「…極道は顔面偏差値ないとなれねえわけ?」
「アホかお前」
呆れた声を出されても仕方が無い。先ほどの月明かりではなく建物の明るさでその顔がはっきりわかるのだ。でもその顔はなんだよ、なんで見るヤツらイケメンか綺麗どころばっかなんだよ可笑しいだろ。息をつきながら俺も縁側に腰を下ろす。
下っ端であろう男達が戻ってくる足音が聞こえて、そこで男は咥えていた煙草から息を吐き出す。
「…泣いたのか」
「あ?」
「跡ついてる」
するりと頬を撫でられて苦笑を漏らす。
「内緒にしてね」
何度か目元を擦って、それから戻ってきた下っ端から差し出されたタオルで汚れた足を拭う。わざわざ暖かい湯で濡らしてくれたのがありがたかった。流石にこんな薄着で11月も後半にさしかかる時期に夜に風に当たるなんて馬鹿丸出しだし、何より俺は病み上がりだ。声はいつの間にか治っていたけれどそれでも喉が痛いのは変わらない。
「洗面所連れてって」
「…こっち」
煙草の火を携帯灰皿で揉み潰した男はすたすたと歩き出すから慌てて下っ端さんにお礼を言ってタオルを返す。そのまま男を追いかけるが歩くのが早い上にコンパスの差というものが世の中には存在するわけで。
「おいこら、もっとゆっくり歩け」
「あ?…お前さ、どういう状況か分かってる?」
「捜索令がでた」
「…お前って実は馬鹿なの?」
「あ、ていうかお前どこの人?」
男の言葉を完全に黙殺して問い返せば男ははあーと重いため息をついて、それから再び歩き出した。今度はさっきよりもゆっくりで。
「俺は仁裳組」
「本家か!!!」
「の、幹部」
「まじか…」
「マジだクソガキ」
「名前は?」
「清宮晋吾」
清宮晋吾…はて、そんな人間俺の頭の中にいたっけ?んー、仁裳会は謎の組だからなあ…。ぶっちゃけ全然情報がない。
「…跡村昴雅と藤波拓矢なら分かるんだけどなあ」
「あんな獣と一緒にするな。俺は裏専門なんだよ、知られていいわけねえだろ」
跡村と藤波は仁裳組の中枢と言っても過言でない幹部たちであり、更に跡村直属の裏部隊として戦闘能力のおかしい連中が所属している。話を聞けば清宮はそこのリーダーとして在籍しているそうだ。
…あれ、この人俺に堂々と名乗ったよね?ヴェリテの俺に名乗ってるよね?情報を本人に無償提供してるよ?
「ほら、さっさと洗ってこい」
辿りついた洗面所に押し込められてさっさと顔を洗う。冷たい水で全身が冷えた気がしたがまあなんでもいい。渡されたタオルで顔を拭いてから再び清宮さんのあとに続いて歩く。
廊下なのに橋を越えたあたり、多分俺が居たのは離れなんだろう。なんだろう、この昔ながらの和風の屋敷。平安とかそんな時代にありそうな感じ、なんで。
「んで、どういう関係なわけ?夏樹さんが他人連れてくるとか有り得ないでしょ」
「あー、邪魔だったら追い出して構わないよ。むしろその方があんたらには好都合だと思うし。俺と夏樹は金木犀と柊の関係って言ったじゃん?」
「殺すぞ、どんな関係だ」
あながち嘘でもない答えを教えても鋭い眼光で睨まれてしまった、ので答え直す。
「恋人です」
「…あの人恋人作れるんだ」
その言葉は夏樹が遊んでは捨ててきたことを裏付ける言葉で。脳内で理解していても少しだけ不安になるのは俺のせいじゃない。いや、でも俺も体使ってきたからおあいこになるのか?これは。
「忘れてもらわなきゃならないけどね」
「は?」
「タイムリミットなんだー」
「おい、何の話だ」
「ねえ清宮さん、明日になったら夏樹に伝言頼むよ」
「はあ?」
心底意味のわからない、という顔をする男に笑いながら。言いたいことはこれしかないよ。ねえ、分かって?
「アイリスとチグリジア」
「…なんだそれ?」
「俺もこれは最近知ったんだよねー」
「お前頭平気か?話ぶっ飛びまくってるけど?」
割と本気で頭の心配をされてしまった。けど、何も間違ってなんかいない。伝言も、あれが正しいのだ。割と簡単に読み解けるものだから、俺はそれを信じるだけ。
それが賭けだなんて言われなくたって理解してるけれど。