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「痛ぇよ」
ばしばしと夏樹の腕を叩けば文句を言いながらも下ろしてくれる。暴れたせいもあり全身が痛いけれどそんなことを言っている場合ではないのは百も承知だ。俺はまだ認められたわけではないのだから。
「遅かったな」
「すみません。ちょっと死にかけたものでして」
厳しい声音、それでもふざけた返答をするのは強がりだ。この程度で音を上げていたら最後の希望さえ潰えてしまう気がしたから。
「お陰様でなんとか帰ってこれましたけど」
「くたばれば良かったものを」
「死ぬときは夏樹に殺してもらいますから」
重い体を動かして少しずつ仁清に近づく。そしてゆっくりと膝をついた。
「約束を守れなかったのは俺の責任です。でも、俺は夏樹の隣に居たいです」
まだ終わりにはしたくない。やっと知ったのに。優しさも、真実も、覚悟も、そしてこの感情も。これだけ教えてもらって助けられて、それなのに何も返せないままなのは嫌だ。
だから
「お願いします。約束を破棄しないで下さい!」
この願いが叶うのなら頭なんて何度でも下げよう。何でもしよう。だからどうか、この人の隣だけは許してください。
「あら、また意地悪してたの?なんで晴君に土下座なんてさせてるの」
聞こえた声は女の人のもの。ここに女がいるのは不思議だがパパさんに文句を言っている時点でそれができる人物は限られてくる。
「若菜」
「晴くん、顔あげて?」
優しい声だった。それでもそんな簡単に顔を上げるほど俺の決意は緩いわけではない。まだ、何も許されてなんてない。
頭を下げたまま首を振れば何が悩む気配。やがて彼女は俺の傍を離れると目の前のパパさんに近付く。
「あなたの言うことしか聞かないみたいよ?」
「……」
「この子をこれ以上苦しめるならあたしも好き勝手にやらせてもらうわ」
それは確かな脅しだった。それでも小さく息を吐く気配と共に下げたままの頭に大きな手が乗る。髪を掻きまぜるように撫でるその手はいつかの夜と同じ手つきで。
「…晴くん、もういい」
その声にそっと様子を伺うように顔を上げれば困ったように笑うパパさんと目が合う。
「まさか土下座されるとは思わなかったんだけど…、大事なこと忘れてない?」
砕けた口調、だからこれはきっと個人での会話なのだろう。
「わす、れ…?」
なにか重要なことでも忘れていただろうか。
「『生きて帰っておいで。その後は好きにして構わないよ』」
「っ、」
「言ったよね?」
「でも、それ、は…」
期限があったから。1週間だって、言われてたから。
「期限なんでもともと後付けなんだ。晴くんが戻ってきてくれるならそれで構わないさ」
言いながらそっと手を伸ばして俺を抱き寄せたパパさんは頭を撫でる手は止めないまま優しく笑う。
「キツかっただろう。怖がらせて悪かった。こんなやり方しか出来なかった私を許せとは言わない。それでもこれだけは言わせてくれるか?
…お帰り、晴」
その声が今まで聞いた中では一番優しいものだったから。そこでようやく本当に認められたことに気付いた。
もう、夏樹の傍に居ても睨まれることも怒られることも、ましてや責められることもない。堂々と横にいられる。それを脳が理解すると同時に目頭が熱くなった。
「っ、」
まさか、泣くわけにもいかない。もう散々泣いたのだ、充分甘やかしてもらったのだからこれ以上はダメだ。ああ、でもこれだけは言わないと。
「た、だいまです」
「ああ、ほら。唇噛むのやめなさい。泣いていいから」
その言葉に首を振って拒絶したところで不意に背後から無理やり立たされる。そんなことをする人物は1人しかいないけれど。
「夏樹、怪我人だ。もう少し丁寧に扱いなさい」
「黙れタヌキ。怪我人だと分かってるなら正座なんかさせるな、傷が開く」
夏樹が示したのは銃創のことだろう。正座している間引き攣れるように痛んでいたそこのせいで、力を入れるのも痛くなってしまっていた。