淡い果実 | ナノ
 9

ガタン!!と乱暴な音がして次いでガチャっと扉が開く音がする。だが、そこから続く物音は何一つない。

「…おかえり」

音もなく開いたリビングの扉に向けて声をかければ、驚いたようにこちらを見る瞳と目が合った。

完全に気配を消しているのは寝静まった弟たちを起こさないためだろう。獣は気配に敏感だから、少しのことでも起きてしまう。

「ただいま。まだ起きてたの?」

言いながら漸く帰ってきたウィラは着ていた黒いパーカーを脱ぎ捨てた。その下に着ていたのは同じように黒いタンクトップだけで、それでも華奢な身体には筋肉がしっかりとついているのがわかる。

「誰かさんを待ってたんだけど…ていうか、何人殺したの?血の匂い酷いからシャワー浴びてきて」

全身血まみれで歩く度にポタポタと滴る血液が純血の俺から見ればひどく不愉快だ。甘い匂いの欠片もない、卑しい匂い。そんな物がウィラから漂っているのは見ていられない。

一度追い出し、シャワーを浴びたウィラが戻ってきたのは少したってからだ。

「…なんて格好してるの」

今度は髪からポタポタと水が滴り耳と尻尾は適当に拭いたのだろう、毛並みはぐしゃぐしゃだった。しかも下はちゃんと着ているのに上は裸の状態だ。傷だらけの素肌はそれだけの危険を乗り越えてきたという証。

「ん?なにが?」

首を傾げるウィラを引き寄せると、首にかけていたタオルを抜き取り頭を拭いてやる。大体の水気を取ってからドライヤーを準備すれば小さく尻尾が揺れた。

「…あんましてほしくないんだけど」

どこか苦々しい声音を聞きながらも問答無用でドライヤーを構える。

「なんで」

「耳、風来るの嫌」

「ああ、猫だからね」

「いや俺狼ね」

「猫でしょもうどう見ても」

「尻尾!!!猫はこんなにふさふさしてないの!!っ」

バタバタと二本の尻尾でディオの足を叩けばお返しとでもいうようにスイッチを入れられた。ブオォォォォという無機質な音と共に熱風が頭にかかる。風によってケモミミがピクピクと動いているのが嫌でも分かるが、これは俺のせいじゃない。絶対に。

「うわ、スゲェ動いてるな」

「ぅ〜、」

ケモミミが風に叩かれて気持ちが悪い。思わず伸ばした手で耳を庇えばすぐに風が止む。

「馬鹿危ない、熱いんだよ?」

「自然乾燥じゃダメ?」

「だーめ。せっかく綺麗な髪質なんだから傷ませたら勿体無い」

「えーー」

別に傷んでも全然構わないのだがこの男は許せないらしい。無駄に細かい男に仕方ないと身を任せる。

頭だけじゃなくしっぽも乾かしブラッシングしたディオは、まっすぐ艶のある毛並みにようやく満足したのだろう。どこか嬉しそうに俺の体ごと抱きしめた。

「…重い」

「お礼よこせ」

のしかかるような体勢に文句を言うが男は気にした風もない。それどころか礼を請求してきやがった。

…この野郎。

「抱き枕になってやるからとっとと寝ろ」

「それはお前だ。ったく、こんな夜中まで仕事してんじゃねえよ病み上がりが。少しはおとなしくしてろ」

「仕事やんねえとうるせえのがいるからな。仕方ないんだ」

アハトとかアハトとかアハトとか…要するにアハトなんだけれど。

一応あいつも国王だ。たとえあんなに変態でも曲がりなりにも国王なのだ。俺がその専属の暗殺者なのだと知ったのだからそれなりの働きをしないといけないのだろう。

「どうでもいいから寝ろ」

「は?寝るわけないだろ」

「……」

双子が言っていたことをそのまま言ったウィラに、ディオは苦笑を零した。よく兄を理解しているじゃないか。

「俺はいいからお前が寝てろ」

「ウィラが寝るまで俺は寝ないよ?ほら、行くよ」

ひょいと同年代と比べるとかなり細い体を抱きあげれば無言で睨み付けられる。それを無視して自分の部屋のベッドに下ろせば、ウィラは長いため息を吐いた。

「幸せ逃げるよ?」

「幸せなんかねえから別にいい。つか、軽々しく抱き上げんなムカつく」

「だってウィラご飯食べないから軽いんだもん」

「もんじゃねえよ、もんじゃ…」

呆れたような声を再び無視してそのまま抱きしめるようにして布団に潜り込めば、体勢を変えてくれるあたり抵抗する気はないようだ。

それでもやはり寝る気は微塵もないのだろう、ぱっちりと開いた大きな瞳はそれでもどこか不安げに彷徨う。

「また力抜かせてやろうか?」

「あんな夢見るなら寝ないほうがマシ」

「魘されてたら起こしてやる。だから子供は安心して寝てろ」

「人を子供扱いすんな、嬉しくない。だいたい、俺は寝なくたって別「ウィーラ」

言い募ろうとした唇に人差し指を当てられ、静かな声で名前を呼ばれてしまえばそこまでだ。優しい顔で、優しい手つきで頭を撫でたディオはそれから一度額に口づける。

「大丈夫だから」

何が、とは言わない。この男は恐らく俺よりも俺のことを分かっているはずだ。だからこそ、この体はこうやって無意識のうちに力を抜いて身を任せているのだろう。会ってまだ一週間も経っていないたった一人の男に、ここまで絆されてしまった。それでも心地がいいのは、ディオが本当に嫌がることは何一つしないと体が理解がしているからだ。ディオ特有の仄かに甘い香りと温かい体温に自然と瞼が重くなる。

俺の体は恐らく酷く疲れているのだろう。散々一族の相手をして裏仕事をやり、更には一日中周りを警戒していた。まともに寝ない、食べない、そのくせ馬鹿みたいに運動していたら疲れが取れるはずもない。

おとなしくその大きな腕の中で目を閉じた俺に何度も大丈夫、と言い聞かせながら、頭を撫でる手に安堵している自分がいるのも事実。すぐに襲ってきた眠気はディオだからこそだろう。

「…おやすみ」

小さく聞こえた声に返事をする間もなく、俺は静かに意識を飛ばした。

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