愛の囀り | ナノ

アンソロ『右手に桃の花を』寄稿

愛の囀り

「喉に異常は見られないな」
 舌圧子が捨てられる様子を眺める。森先生は困ったように眉を寄せ、「すまないな」と謝った。森先生が謝ることではない。慌てて腕を掴んで、口を開いて、
「――……」
 すぐに閉じた。言葉は出ない。ぴいと、鳥の鳴き声のようなか細く高い音がこぼれ落ちるだけだ。
「司書にはもう話したのか?」
 こくりと、頷く。
「そうか……」
 医務室が沈黙に包まれる。頭を軽く下げて部屋を出た。沈む森先生の顔を見るのは、もう堪えられなかった。
 ――声が出なくなった。
 きっかけは昨日の潜書中の出来事だ。普段通り戦闘をしていた。特に怪我を負うこともなく、油断もなかった。最後の侵触者を倒したとき、銃弾によって破裂した肉体が口に入った。それは偶然だった。一緒に潜書していた春夫先生が駆け寄る中、慌てて吐き出したが、次に口を開いたとき放たれたのは『ぴいぴい』かわいらしい鳴き声だった。
「……ぴい」
 そう、こんな感じだ。あのときの春夫先生の顔を思い出し、暗い気持ちになる。
『太宰!』
(大丈夫です!)
 そう、言いたかった。鳴いたとき、春夫先生はひどく驚いた顔をしたあと、
『…………すまん、』
 目を伏せ、謝った。そんなことをして欲しくなかった。先生は悪くない。伸ばそうとした手は背を向けた春夫先生にはもう届かず、他の潜書メンバーに連れられ俺は図書館に帰ってきた。
「……」
 首もとに手をあてる。絞めるように、弱く力を加えても、くぐもり声さえ出ない。
(先生、先生、すみません、俺は先生にそんな顔をさせたくなかった! でも、俺は、先生にあんな顔をさせて! 俺は、俺は、どうしたら!)
 ベッドと机しかない部屋で頭を抱える。涙も出ない。なくことしかできない。もういっそのこと鳥になってしまった方がいいんじゃないか。
 こうなったらダメだ。解っているのに止められない。
「太宰い!」
「太宰クン入るで!」
 突然、部屋の扉が開いた。安吾とオダサクが入ってきたのだ。驚いて顔を上げれば、オダサクが窓を開け、安吾が俺の首もとのネクタイを正す。
「ぴ!」
「なんでって太宰クンの声、ワシの部屋まで聞こえたからなあ」
「安吾鍋作ったから、食堂行くぞ」
「ぴい……」
「潜書行ってから何も口にいれてへんやろ?」
 ああ、そうだ。オダサクに言われ、気づく。朝飯を食べ、それ以降何も口にしていない。
「今日は良い魚介が手に入ったからな、うまい出汁が出てるぞ」
 くんの鼻を使えば、安吾の服からほんのり醤油と魚介の香りがする。ぐううううう。お腹がなった。
「んふっ、えらい大きな音やなあ」
「ははっ、腹へってんだろ?」
「ぴぴっ!」
「照れんな照れんな」
「ぴい!」
「ほんま太宰クンは照れ屋やなあ」
「ぴぴっぴぴっ!」
 こうなると安吾とオダサクは話を聞かない。二人と会話することを諦め、俺は立ち上がった。食堂へと三人で移動を始める。あれ? そういえば普通に会話している?
「ぴ……?」
「太宰クンが何言うてるかなんてワシらにかかればお茶の子さいさいやで」
「そうだ、だから喋れなくなったこと気にすんなよ」
 頬が、自然と緩む。振り返らず前を歩く二人に追い付くように足を早めた。

 声が出なくなって数週間が過ぎた。困ることばかりだと思っていたが、安吾とオダサクのフォローもあって想像していたよりずっと過ごしやすい。それに言葉が出なくて良いこともあった。
「ぴっ、ぴっぴー」
「なんやご機嫌やなあ太宰クン。んー? ああ、春夫センセから贈りもん届いたんやなあ」
「ぴっ!」
「上等なインクやん、よかったなあ」
「ぴぴ」
 今朝、部屋の扉にかけられていたインクを眺める。夕焼け空のような赤色のインクだ。
「ぴっぴぴい」
「ああ、ほんまきれいやな」
「ぴっ」
「使わへんよ」
「ぴぴっ」
「えーちょっとぐらいならええって? 優しいなあ。……なあ、太宰クン。春夫センセんとこ、会いに行ったらええやん」
「ぴ……」
 春夫先生とはあの日以来会っていない。時折、部屋のドアノブに贈り物がかけてある。何も書かれていないそれは仄かに薔薇の香りがした。春夫先生の匂いだ。図書館の庭の一角にある薔薇園で過ごすことの多い春夫先生は、薔薇の香りがした。
 安吾の新作を読み終わったオダサクは「難しいなあ」と部屋を出ていく。ぱたりと閉められた扉を見つめ、「ぴ……」と情けない鳴き声をこぼした。
(俺だって会いに行けるのなら会いたい)
 言葉を発することができなくなって一つだけ良かったこと。それは、本当のことを気兼ねなく歌えることだ。声が出ていたときには言えなかったことを、この鳴き声に乗せて話す。
(先生、先生、どうか俺に会いに来てください。いえ、どうか自分のことを許してください。俺が話せなくなったのは、春夫先生のせいではないのです。もし先生、先生が先生のことを許せるのなら、俺は、今すぐにでも、先生に会いに行きます)
 最後の侵触者を撃ったのは春夫先生だった。侵触者の攻撃を受け動けなくなった白秋先生を庇うように前に立った春夫先生は、侵触者が襲ってくる寸前、白秋先生から銃を受け取り、撃ち込んだ。春夫先生と白秋先生、二人の連携の鮮やかさに見惚れた。そんなとき、侵触者の欠片が口に入ってしまったのだ。
 冷静にそのときのことを整理すると、とても恥ずかしい。見惚れて口を開けている姿は、どこか間抜けだ。
(はあ……会いたい……春夫先生に会いたい……)

「――太宰っ!」
 扉が、壊れるほどの勢いで開いた。入ってきたのは、顔を真っ赤にした春夫先生だ。待ち望んでいた人の登場に、喜びよりも驚きが勝る。
「う、えっ?」
「その歌をやめてくれ!」
「へ? あ、俺、しゃべれてる?」
「ああ、そうだな……それは本当に良かった……はあ、もう……ああ!」
「えっ?」
 肩をがっしり掴まれる。薔薇の香りが鼻をくすぐる。ただでさえ色々なことが起こり、理解が追い付いていないのに、これは一体どういうことだ。
「お前が俺に会いたいと言うのなら、俺はお前に会いに来よう」
 ぶわっと、目の前が熱くなる。
「それはっ!」
 まさに先ほど歌ったこと。
「全部聞こえてきた、あんな大声で歌うから」
 耳元まで真っ赤にした春夫先生は目を伏せても、肩を掴む手は離さない。だんだんと状況が分かってきた俺は今にも逃げ出したかったが、その手が許さなかった。
「太宰」
「春夫せんせい、」
「……会いたかった」
 あまりの熱さに、肩から溶けていきそうだ。
「っう……! 俺も! 会いたかったです!」
 逆上せた勢いに任せて返事をすれば、耳もとに春夫先生の唇が近づく。
「ああ、やっぱり良い声だな」
 それは、とびきり甘い声だった。
 俺は今日一番大きな声を出して、腰を抜かした。

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