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『ベッドでも仕事って本当にジャーファルさんみたいですね、シノ』

見舞いに行っていたヤムライハの言葉に驚いた。あの子には仕事を離れて怪我の回復に専念するように言っていたのに。

急ぎの仕事だけはすまし、私は彼女の部屋へと向かった。修羅場中でしばらく見舞いを止めていた私の突然の来訪にシノは目を丸くしていた。理由を問いかけるような視線を送られるがそんなもの知るか。

修羅場が始まるまで足繁く見舞いに行っていたが、一度もシノの部屋で仕事道具を見たことはなかった。もちろん、今も部屋の中にそれらしいものは見当たらない。

ならばと思い布団を剥ぐと、急いで突っ込んだのか、そこには貨幣に関する資料が雑然と転がっていた。

「何を考えているんですか!あなたは自分の状態を分かっているんですか」

カッと頭に血が上った。こんなにシノに向かって声を張り上げたのは初めてだった。

「分かってますよー。自分のことですしー」

そう返すシノは少し気まずそうに視線を逸らしたものの、すぐにいつも通りのへらっとした笑顔を浮かべた。心の中で冷静な自分が声を荒げても仕方ないと止めているのに、彼女の変わらぬ表情で何かがふりきれた。

「何をへらへら笑っているんですか。私が血の臭いに気づかないとでも」

内臓の治りが悪いのか、魔法への拒絶反応か、シノは時々血を吐いているようだった。たまに部屋に炊かれた香の間に血の香りが混ざっていた。

彼女のことだ。どうせ夜遅くまで資料を読んでいたのだろう。そんなのでは治るものも治らない。

「血はたまに出ますが、関係ないですよー」
「関係ないわけないでしょう。君は安静にしていないといけないんですよ。自分がどんな状態だったか分かっているのですか」

ふとした瞬間に蘇る。咽せるような血の臭い。力なく私にもたれかかる体。だらりと垂れた四肢。彼女の血でぬめる手。
何度も思い出しは後悔する。

「分かりませんよ、だって気がついたらベッドの上でしたしー」

私の叱責に対して彼女はいつもの笑顔でいつものように返すだけ。私に怒られてもめげない子だったが、それが疎ましく思えたし、そもそもこの場でこの反応が何か違和感を覚えた。

私のそんな考えに気づかずシノはのんびり続けた。

「今、私がこうして休んでいるだけで業務に支障が出ていますよね。これからの業務にも支障が出ますよね。だから、今できることをしてるだけですよ」

笑顔がどこかちぐはぐだった。
以前から自分一人で背負ってしまう性質だったが、ここまでひどかったか。

「今あなたがすることは身体を休めることであって、仕事ではありません」

言っても全く伝わらないシノに頭がすっと冷静になった。

「そんなことないですよ、私がしなきゃ。今できるのに。考えることくらいなら部屋にいてもできます。それなのに考えないなんて、そんな怠惰許されません」

シノから笑顔が消え去った。

「何を言ってるんですか」

彼女の強迫観念めいたこの考えはなんだ。

「ダメなんです、もっとしなきゃ」

やはりおかしい。

「もっともっと!」

歯を食いしばってそう叫ぶシノ。いつの間にか握りしめられていた彼女の拳が震えていた。

「君一人の力で何ができるんですか。私にそう言ったのは君でしょう」

常ならざるシノの様子に私の怒りは完全におさまった。しかし、宥めるような私の声色が神経を逆なでしたのか、シノは見たことのないような怒りを露わにした。

「うるさい!もっとしなきゃダメなの、もっと!やれる力をもっているならしなきゃ」

震える声が部屋に響いた。

よく見れば、シノの顔には疲労の色が広がっていた。なんでこんな状態になるまで気づかなかったのか。

「シノ」

声をかけた瞬間にベッドから枕が飛んできた。手で防ぐも、次から次へと椀や見舞いの品が投げられる。行き場のない怒りが込められていた。

「私がもっともっとしていれば、あの子もあんなことしなかった」

彼女が呟く名前に虚をつかれた。シノと同室だった先の事件の首謀者とされている女。

私にとっては部下に危害を加えた犯人であり、国を危険にさらした重罪人でしかない。しかし、彼女にとっては同室の友人だったのだろう。

事情聴取をしたときに彼女達の態度やシノの反応を見て、元々仲がよくなかったのだろうと判断したが、そうではなかったのだろう。

財務に移動させてすぐ、夜遅くに部屋に戻ることを同室の人に文句を言われないか尋ねたことがあった。ふと思い出された記憶。あの時のシノは『応援してくれているから大丈夫です』と恥ずかしさと嬉しさが混じった笑顔で答えていた。彼女達はちゃんと友人だったんだろう。

『もっと』と叫ぶシノの目尻には涙が浮かんでいた。どうにもできなかった自分が悔しくてたまらないのだろう。

先日学問担当の長官に彼女を任されたばかりなのに、シノにこんな顔をさせてしまった。

何か考える前に体が動いていた。辺りのものを投げ、息を乱しているシノを胸に閉じ込めた。

頬に痛みを感じた。手を振り回すシノの爪が当たったのだろう。増える引っかき傷を気にせず、暴れるシノの背中をゆっくり撫でた。もう、一人で悩む必要はない、頑張る必要はない、そういう思いを込めて、その思いが伝わるよう、ただひたすら優しく撫でた。

ダメになったら頼るって言っていたのはどの口だ。この子は、1人で抱え込んで自滅するつもりなのだろうか。まったく世話の焼ける。

「シノ、君の思いは分かりました。君が思うベストを尽くしなさい」

その言葉にシノの動きがとまった。

「ただ、身体をもっと労わってください。私達を信頼しているのなら頼りなさい」

腕の中で恐る恐る見上げてきたシノの目は不安と疑念が浮かんでいた。

「下手にダメと言っても君は続けるでしょう」

不安を取り除くように優しく言えば、申し訳なさそうな顔がかえってきた。

そんな顔をするなら休んでくれればよいのに、それでも止めようとしないだろうシノに溜息をつきたくなる。

「君はもっと私達を使いなさい」

上司を使えと言う言葉にシノは首をかしげる。使われるのは部下である私達ではないのか。そう語っていた。

「君はまだ若いんです。分からなかったら他の人に聞いてみなさい。君より長く生きてきた分だけ、君よりも知識や知恵を持っているのですから」

シノは人を頼らなすぎだ。もう少し楽にできるやり方を覚えて欲しい。

「君はまだ一介の財務官にすぎません。役職もついていなければ、誰にも負けないと言える成果を出したわけではない。それでも何かやりとげるには、そういう力が必要になる時もあります。そんな時は私やヴィゴを使いなさい。正面から君が全部をやる必要はないんですよ」

さきほど暴れていたのとうって変わって彼女はうつむき、ぴくりとも動かなくなった。何を考えているか分からない。その分、私は自分の思いがしっかり伝わるようシノを抱きしめる腕に少し力を込めた。

「私達に遠慮なんていらないんです。君がしなければならないのは、どんな風にやるかではなく、何をやるかです。一番よい結果を、一番早く出せる方法を、選択しなさい。だから私達を頼りなさい」

私の言葉にシノは小さく頷いた。『努力します』と小さな声が私の耳に届いた。

「しなければクビですよ」

その言葉に腕の中のシノがピクリと反応した。ここまで言えば、多少マシになるだろう。私は頭を一撫でしてから、腕をほどいた。

まずはしっかり体を治すことと言えば、シノは頷き大人しく布団に入った。夢見が悪そうなので、ベッドの中に放り込まれていた資料は全部机の上に移動させた。

彼女が寝るのを見届け私は早々に部屋を後にした。


仕事部屋に戻る道すがら、考えるのはシノのこと。さきほど私の腕に簡単に収まったシノは小さかった。近くになればなるほど、見えなくなってしまう。彼女の小ささを忘れてはいけない。

そんな事を考えていると、どさくさにまぎれシノを抱きしめてしまった事実に気がついた。彼女の香油がまだ服に残っているのか、香りと一緒に腕の中から私を見上げるシノが思い出された。

溢れ出しそうな思いにいつまで蓋ができるだろう。

頼るなら真っ先に自分を思い浮かべて欲しいという思いも、もう傷つかないですむよう全てから解放してやりたいと願いも、これからもこの笑顔の隣で一緒に仕事を続けていきたいという望みも、すべて見えないふりをした。

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