外国語


「シノ、俺が教えてやるぜ!」

と、非常に上から目線で踏ん反り返っているのは、現在、私が抱えている仕事を手伝うのに最も有力な方だった。

エリオハプトの文書を翻訳するため、黒秤塔付属図書館に調べに来たところ、ヤムライハ様にいつものように冷たくあしらわれたと思われるシャルルカン様と出会った。

正直この方に頼るのはなんか癪に障るのだが、今は時間がない。一日限りの家庭教師と思えばいけないこともない。

私はそう無理やり納得して、エリオハプトの謎な象形文字の講師をお願いすることにした。

「お前、色々文字読める癖に、エリオハプトの文字は読めなかったんだな」

喋っても大丈夫な歓談スペースで、エリオハプト文字の講義が開かれることになった。机の上には辞書と羊皮紙と羽ペン、そして、私の正面には頬杖を突くシャルルカン様。その顔はずっとにやにやしていて、すごく楽しそうだ。

シャルルカン様のお腹に拳をめりこませたくて仕方がない。我慢我慢。

「私が読めるのは、亡命した際に行ったことのある国だけですから」

『難民としてエリオハプトに行くのは大変じゃないですか』と言外の意味を込めたのだが、どうやら気づかなかったらしい。浮かれているシャルルカン様は、『よし、俺のことは先生と呼んでいいぜ』と嬉しそうだ。

知り合って以来、何かと私に剣の良さを語ろうとするシャルルカン様。正直言おう。めんどくさい。八人将という地位ではあるが、その思いを全面に出し逃げる私に、シャルルカン様は私の姿を見つけるとアバレウツボのように襲来してくる。『どんだけ私に剣を語りたいんだ』と思っていたが、どうやら、何でもいいから語りたいらしい。

以前、『お前、捕まったらちゃんと話聞くだろ?マスルールのやつは全然聞かねーし、ヤムライハは魔法魔法うるさいし』と言っていたっけ。友達が少ないのだろうか、この方。

失礼なことを思いながらも、今回は一応教わる身。私は大人しく、『シャルルカン先生、よろしくお願いします』と挨拶をした。

すると正面のシャルルカン様はまさか私が本当に先生と呼ぶとは思っていなかったのか、ぽかんと口を開けて固まった。ちょっと、間抜けづら。

「お、おぅ!任せとけ」

私の言葉に、シャルルカン様は顔を赤くして喜んでいる。

うきうきと辞書を開くシャルルカン様の今までの扱われ方に、ちょっとだけ涙した。まぁ、だからと言って、私の今後のシャルルカン様への対応が変わるわけではないのだが。


浮かれまくっていたシャルルカン様は、文字の説明に入ると落ち着きを取り戻した。非常に分かりやすく、系統立てて教えてくれるそれは、初めて教わるものにもすぐ理解できるものだった。剣の稽古の噂を聞いていたので、内心びくびくしていたのだが、この方がおかしくなるのは剣とヤムライハ様限定らしい。

「ん?どうした、シノ。分からないところでもあったか?」

私の顔を見て、声をかけてくれるそれは教師そのもので、剣術以外なら、意外といい先生になりそうだ。おかげで私は、数時間後には、辞書さえあれば簡単な文書は読めるようになっていた。

あっという間に、エリオハプト文字初級の習得に至った私だが、正面に座る、肝心の先生の反応は生徒の上達を喜ぶものではなく。

「ど、どうしてだよ。何でそんなあっさり覚えんだよ!」
「先生の教え方がよいからですよ」

何が不満ですか。私は珍しくシャルルカン様を褒める言葉を口にしたのだが、先生は喜ぶなんてことはしなかった。

「俺の教え方じゃねーだろ。たったの数時間でマスターするなよ」
「マスターはしてないですよ。単語帳ないと読めないですし?」
「文法だけでも、普通は半日で覚えねーよ!1ヶ月くらいかかれよ!」

どうやら私の上達速度が気に入らないらしい。そうは言われても、こちらの文字は一つの言語なのだし、三種類の文字を使いこなしていた元日本人の私にしたら比較的楽に覚えられるもの。1ヶ月はかかり過ぎだ。

そんな別世界事情を知らないシャルルカン様は悔しそうに机を叩いている。歓談スペースとは言え、ここは黒秤塔。そろそろ人の視線が気になるため、私はヒートアップするシャルルカン様を宥めた。

「折角、俺を先生って呼ぶやつができたと思ったのに!」

そんな涙ながらに言わなくても。

『普段マスルール様に適当にあしらわれてるもんなぁ』との感想は隠し、落ち着かせていれば、やけになったように叫ばれた。

「おい、シノ。剣だ!剣教えてやる」
「けっこうです。それ、前に断ったじゃないですか」

ジャーファル様に『次の日、シノが仕事で使えなくなったらどうするのです。君はこの計算書類をするのですか?えっ、出来るのですか、君が?』と笑顔で詰められ、ぴたりと止まった鍛錬の再びの勧誘に、私は首を横にふった。平均女性の体力しかない私に何をさせる気だ。

「なんで断るんだよ!剣はいいぞ」
「経済もいいですよ」
「それは無理」

一気に冷静になり、シャルルカン様は私の誘いを断った。そんな彼をジト目で見ると、うっと視線を逸らされた。どうやら、色々後ろめたいらしい。

「俺は最低限できるからいいんだよ。俺よりマスルールに教えろよ」
「あの方には優秀な次官がついていますので。財務的には、『問題ねーだろ』みたいな顔で、問題大ありの書類を提出するシャルルカン様の方が困り者です」

『う、うるせーよ』と凹むシャルルカン様。

つい言い過ぎてしまった。しかし、今回私は教えてもらったのだ。いけないいけない。

私はシャルルカン様の方をしっかり見、頭を下げた。

「シャルルカン先生、丁寧に教えていただきありがとうございました。すごく助かりました」

最初とは違い、しっかり気持ちを込めてお礼を言う私に、シャルルカン様は『おう』と笑顔で返した。彼のこの切り替えの早さは、凄く素敵だと思う。いつもこうだとよいんだけどなぁ。

それにしても、エリオハプトの文字を習得したことで、趣味の読書も読めるものが広がり、本当にラッキーだ。そんなことを、辞書を元の棚に戻しながら言うと、シャルルカン様はキラキラした笑顔で私の手を掴んだ。

「お前読書好きだったな。エリオハプトの書物も面白いのあるぜ」

『俺のおススメは―』と書架へ私を引っ張るシャルルカン様。その楽しそうな笑顔を見てると、彼が侍女たちに騒がれる理由が少し分かった。

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