然りとて

「さよならだ、伊助」
 俺とお前の話は、ここで終わりなんだよ。


「然りとて」


 先輩は、とても綺麗な人だった。見た目もさることながら、なんというか、存在が。綺麗で済ますのも勿体ない様な気がして、俺は少ない語彙を掻き集めて先輩の綺麗さを証明しようとした。まぁ、今から思えばそれは幼いからこそ出来たことであって、今もう一度してみろと言われてもきっと出来ない。何よりも羞恥心が勝ってしまい、言葉にするのも躊躇われてしまう。それに、以前よりもずっと増えた語彙力を発揮する相手など、もう俺の側にはいないのだから。
「…三郎次先輩」
 近くで、わかりやすいほど盛大な溜息を吐かれてその存在に気が付く。俺が通路に座っていて通れないことを言葉なくアピールしてくるもんだから少し腹が立って聞こえないふりをする。と、伸ばしていた膝の裏を蹴られ、痛みで引っ込めた隙にアイツが通りぬけていく…くそっ!
「…仮にも好きな奴に取る態度じゃねぇだろ!」
「ちょ!おま、…あんた馬鹿ですか?!」
 顔を真っ赤にしておまけにと俺に持っていた本を一冊投げつけるとお詫びだと思って図書室に持って行っといてください!と怒り気味に廊下を進んで行ってしまった。アイツ…ニ郭伊助は俺のことが好きらしい。去年、俺が五年になる年にそう思いを告げられた。色の授業も近く、男色の相手を選ぶ時に焦ったせいだと後で後悔してるのを聞いたことがある。そんなこと、俺には関係ないけど。
 兎に角、俺に思いを告げてきた伊助の勇気を称えて、俺はアイツと付き合うことになった。別に俺は伊助のことなんて何とも思ってなかったし、情が湧いたわけではないのだけれど、卒業までの短い期間夢を見させてやろうと思ったのだ。かつての俺がそうしてもらってように。まぁ付き合っているからといって、これといって恋仲らしいことはしていない。年相応に持て余す性欲を抑えるためにヤる事はヤってんだけどな。勿論、主導権は俺にあるしアイツになんて突っ込ませはしない…何の話だっけか。
「池田?」
「…何だ、久作かよ」
「廊下で黄昏るなよ、邪魔だ」
「へいへい…あ、これ本」
「何でお前が持ってんだよ」
「投げられた」
「は?」
 いまいち理解しがたいぞ。と眉を顰める久作に俺にも説明出来そうにないから聞かないでほしいと言うとわかったと頷いた。コイツ、変なとこで律儀なんだよな…それもいいとこではあるんだけどさ。伸ばしていた足を引っ込めて、胡坐をかく。すると久作も隣に腰かけて、ぼんやりと外を眺め始めた。
「…暇なのか?」
「いや全然。卒業前に片すものとかたくさんあってな」
「ならなんでここに座ってんだよ」
「気晴らしだ」
 根詰め過ぎていると、我らが保健委員長に簀巻きにされるからなと遠い目をする久作の言葉に納得すると、相槌だけ打って目を伏せる。
 卒業。外を白く染める雪化粧が溶ける頃に、俺達は六年間過ごしたこの学び舎から去る。伊助ともそれまでの関係だ。今更優しくするなんて出来ないし、条約を伸ばして卒業後も縁を持つほど未練がましくはない。俺達忍びは、守るものが少ない方がいい。いつ死ぬかもわからないのだから、泣かせる相手も少ない方がいい。あなたもこんな気持ちで、俺を残していったんですか?久々知先輩。



『先輩、僕、先輩のことお慕い申しております』
 憧れと恋慕を履き間違えやすいあの時期に、初めて抱いた感情だった。俺自身は今でも先輩に抱いていたあの気持ちは恋慕以外にありえないと思っているのだけれど、先輩は困ったように笑うだけだった。憧れの延長戦と思われていたのかな。それでも仕方がないのだと思う言動は確かに見られていたと思う。
『卒業までだよ、三郎次』
 内緒だからな。と俺の思いを受け入れてくれた先輩は、皆にこっそりと特別扱いをしてくれた。二人で街に出かけたり、手を繋いだり、口吸いも、した。同級生には言えないようなことをしたのも、先輩の優しさからして貰えたことなのかなと思った。正直、当時の俺は舞い上がっていた。先輩の特別になれたと勘違いするほどに。…だけれど、ある日気が付いてしまったのだ。卒業を控えたある日の午後、同級生を眩しそうに見つめる先輩の横顔に。あの人の特別は俺ではなく、熱の籠った視線を送られるあの人なんだと、理解した途端、今までの行為がまるでままごとのように感じられた。
 だからなのだろうか、先輩から別れを告げられたあの日、縋り付くことなく受け入れることが出来たのは。
『三郎次、ここでお別れだ』
『…はい』
『会うことはない…だろうな。達者で』
『先輩こそ』
 お元気で。も、さよなら。も言えず、小さく手を振って見送った俺はちゃんと笑えていただろうか。泣いてはいなかったものの、引き攣ってしまったかもしれないと思うと、少し後悔したりもする辺り、俺はまだあの人のことを好きなんだろうな。…そうだ、好きなんだ。ままごとでも勘違いでもなければ、憧れの延長でもない。俺はあの人に恋をしていた。
 だからこそ、勇気を出して、フラれるかもしれないと思いながらもその思いの丈を伝えてきた伊助に、俺は自分の姿を重ねてしまっていたのかもしれない。…それが愛情でもなければ、ただの情けだという事を一番よくわかっているというのに。



「三郎次先輩?」
 火薬倉庫の点検中、入口の方から伊助の声が聞こえてきた。なんだよ、とそっけなく返せばアイツは別にと答えながら俺の隣に立った。この一年間、伊助との恋仲を続けてきてわかったことがいくつもある。照れると照れ隠しに攻撃を仕掛けてくる事、首筋まで真っ赤になる事、泣いてるのを見られるのが嫌な事、口吸いをすると恥ずかしそうに目を伏せる事…それから、
「今日はいつにもまして見てきますけど、何かついてます?」
 俺のことをまっすぐ見つめてくるところ。
「…なぁ、お前は俺の、何処を好いたんだ?」
 我ながら不躾な質問だとは思う。そして今更だという事も。俺の質問に、伊助は顔を真っ赤にして怒り出したが、俺が動じずに見つめ続けていると観念したのか俯いてぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
「…泳ぎが上手いところ、意地悪するくせに僕ら後輩のことを気にかけてくるところ、感情表現が素直なところ、負けん気の強いところ、笑顔…好きな人にまっすぐ思いを伝えられるところ」
「!?」
「ずっと横顔を、視線の先を追っていたのが自分だけだと思わないでください」
 僕だってずっと、貴方のことを好いていたんですから。そう言って困ったように笑う伊助の顔をまっすぐに見れず、視線を逸らして半歩下がった。
「三郎次先輩の気持ちが僕に向いていないことは、一年の時からわかっていました。同時に叶わないだろうなぁという事も。だけどやっぱり僕は貴方が好きで…すみません、そんな顔しないでください」
 ね?と普段通り振る舞う伊助になんて言葉をかけたらいいのかわからず、俺は小さくすまないとだけ呟いた。



 それからというもの、俺は伊助を避けるようになった。委員会など、仕方がない時は極力目を合わさず、会話も最低限に。どうして自分がこんなことをしてるのか、俺もわからなかった。伊助のことが嫌いになったとか、そんなことじゃない。そもそも嫌いならば付き合おうなどと思わないし…だったらどうして?ずっと自問自答を繰り返して、日にちだけが無駄に過ぎていった。
「お前、最近おかしい」
「…左近」
「もうすぐ卒業だってのに、辛気臭い顔してるなよな…ったく、火薬委員は手のかかる…」
「…は?」
「二郭だよ、ニ郭伊助。最近元気ないらしくて、今日も実習中に落ちたとかで医務室に…って、三郎次?!」
「悪い!サボる!」
「はぁ?!」
 アイツが?殺しても死ななさそうなアイツが、落ちたって?元気がないとか、もしかしてこの間の…いや、自惚れじゃなけりゃここ最近の俺の行動のせいなのか?そんな考えを頭の中で巡らせながら医務室まで駆け足で向かう。
 入口にたどり着けば、丁度中から出てきた乱太郎に出くわした。一瞬、乱太郎の眉が顰められたが、すぐに溜息をつくと表情を和らげて道を開けてくれた。
「今、眠ったところです…無理させないでくださいね」
「…悪い」
 そっと医務室に入ると、規則正しい寝息が耳に届いた。無防備な顔して寝やがって…そう心の中で悪態突きながら、伊助の枕元に座る。制服の隙間から真新しい包帯が目に入り、思わず眉間に皺がよる。なんでそんな怪我してんだよ、普段ならしねぇくせに。そっと伊助の額を撫でながら、早く治れと念じていた。



「…れ、先輩?」
 どれくらいの時間そうしていただろうか。目を覚ました伊助の声に反応し、うっすらと目を開ける。当の本人はというと、鳩が豆鉄砲を食らったような顔でこちらを見ていた。…何だよ、俺だと何か不満でもあるのかよと愚痴ると、そんなことはないんですけどと困ったように笑うので額に当てていた指で伊助の額を弾いて手を放した。
「っ、僕、怪我人なんですけど…」
「知るかよ…この程度で怪我するとか、お前も馬鹿だよなー」
「…そう、ですかね」
「そもそも、実習中に余所事考えるとか余裕だよな」
「そんなことないですよ…」
「いや、あるだろ」
「…先輩に言わなければ、恋仲の真似事でも続けてくださっていたのかなとか、思ってません」
 腕で顔を隠す伊助の表情ははっきりとは分からなかったが、声がかすかに震えていた。
「少し、期待してたんです。もしかしたら、少しでも…僕の介入する隙間があるかもしれないなんて…でも、やっぱりそんなことはなくて…すみません、もう、我が儘言いませんから…」
「…あぁ」
 その考え、強ち間違いではなかったかもな。お前の告白聞いてから、少しずつ俺の中の先輩が薄くなっていくんだ。それと同時に、お前を可愛いと思ってしまう様になってた。俺の言葉に一喜一憂して、泣いて、怒って、恥ずかしがる姿がたまらなく愛しく映るんだ。でも、それを認めてしまえば俺の先輩に対する思いを裏切ってしまう気がして、この先に確実に訪れる別れが怖くなってしまう気がして、俺は見ないふりをした。なのにお前は、真っ直ぐに思いを伝えてくるもんだから、もう誤魔化せないところにまで来ちまったなぁ。
「伊助」
「…はい」
 こちらを見ないのをいいことに、伊助の腕を軽く抑えたまま優しく唇を重ねた。
「…せん、ぱい?」
 ばっと腕を離し、不安そうに揺れる伊助の瞳をまっすぐ見つめながら、俺は小さく深呼吸をした。先輩のあの時の気持ちは今もわからないままだけれど、俺は俺の気持ちを隠し、伊助を守るために嘘をつく。俺がお前を騙して笑うのもこれで最後だ、伊助。
「さよならだ、伊助」
 俺はこんどこそ、ちゃんと笑えていたのだろうか。



 卒業後、忍びの道ではなく漁師の道を選んだ俺のもとには、望んでもない旧友の情報がいくつも届いていた。左近が学園の校医になったとか、久作や四郎兵衛がどこの城にいるだとか。忍びとして伝えてもいいことなのかと苦笑しながら、読み終えた文を燃やす。
 …あれから、半年ほど経った。伊助とはあの会話を最後に、一度も顔を合わせていない。これでよかったんだと言い聞かせる自分と、他に道はあったのではないかと苦悩する自分にため息をつきながら、帰路につく。もういい加減過去を悔やむのをやめたい。俺が忍びにならなかったとしても、アイツもならない可能性なんてない。そうなった時にアイツの足枷になるのは間違いないだろう。忍びは守るものが少ない方がいい。いつ足枷となり、その身を捕えられてしまうかわからないからだ。足枷となってしまうくらいなら、始めからその縁を断ち切ってしまいたい。その方が俺の性分に合ってるし、お互いの為にもなる。
 …なのに、どうしてお前はそこにいるんだよ。
「三郎次先輩は海が似合いますね」
「…何で来た」
「先輩、僕がどれだけ辛抱強いか知らないでしょう?」
 知ってる、と言いかけたところで、伊助に口を塞がれる。久方ぶりに触れた唇は、あの頃と変わらない熱を持っていて。
「僕、辛抱強くて諦めが悪いんです」
 そう言ってふわりと笑った伊助の笑顔には適わないなと思ってしまった。

(さりとては、いとおぼつかなくてやはあらむ)
 




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