用具倉庫で修理の済んだ縄梯子を整理していると、 名前がくのいち教室の授業で使った桶を返却に来た。 実をいうと、俺は二年の頃からこいつに懸想している。 誰にも、仲間たちにさえ言ったことはない。 昔は誰かに言いたくて仕方がなかったり、 想いを伝えたいと思っていた時期もあったが、 俺もプロ忍を目指す身だ。この思いは秘め続けるつもりでいる。 年を経るうちに抱く感情は穏やかなものになっていき、抑え込むのも楽になった。 今はただ、卒業まで見守り続けられればそれでいいという気持ちだ。 「そういえばね、この前1年生が自分の委員会の委員長の自慢合戦をしているのを聞いちゃったよ」 「おお、俺についてはなんて言ってた?」 「笑いをこらえるのに必死で忘れちゃった。一年の頃は先輩がすごく大きく見えたよね」 一年生の頃は、六年生といえば強くて、賢くて、 なんでもさらっとやってのける頼れる存在だった。 しかしいざ自分がなってみると、下級生の頃との違いがあまり感じられない。 もちろん学科も実技も学びを重ねた上に自主的な鍛錬もして、 わかるようになったこともできるようになったことも増えた。 身長も体重も体力も筋力も増した。それは確かだ。 でも仙蔵は相変わらず女顔だし、小平太は人の言うことを聞かないし 長次はいまだに笑うのが下手だし伊作は不運なままだ。 どれも、成長するうち解消されるだろうと思われていたことだった。 文次郎はせっかちな上鍛錬に節度がないままだし、 老け顔の子供は将来若く見えるようになると聞くが文次郎は年々老けていった。 現時点で既に四十五歳とか言われている。 「そういう留三郎は相変わらず頭に血が上りやすいよね」 「そういう名前は相変わらず色気がないな」 あったら俺は困っていただろう。 下級生にするように頭をぽんぽんとたたく。 こいつにこんな風に軽口をたたいたりできるのも、あと少しだ。 「失礼な!町に出る実習で、1日で7人に声かけられたことだってあるんだよ!」 「色気じゃなくて隙があるんだろう、それは」 あるんじゃなくて作ったんですー自分の長所を活かして作戦を立てるのは常識ですー、 と呟く名前は、よく言えば化粧映えする、悪く言えば平凡な顔立ちをしている。 くのたまとして適度に鍛えた体も小袖で覆ってそれなりにめかしこめば、 どこにでもいそうな(そして頭に花が咲いていそうな)町娘になる。 「昔はくのたまはみんな山本シナ先生みたいなくノ一になるんだと思ってたがなあ」 「あー、私も、忍たまはみんな大木先生や野村先生みたくなると思ってたよ」 それが自分たちは自分たちのまま、 いつの間にか大きくなって、後輩たちに頼られるようになった。 それはうれしいけれど気恥ずかしくて、 自分はそれに見合う成長ができているだろうかと、 卒業後プロの忍者としてやっていけるほど実力がついているだろうかと不安になったりもする。 そんな気持ちに押しつぶされないために、 俺たちは過剰なくらい鍛練に励んだり、委員会に熱中したりするのだ。 「留三郎?」 会話の途中でつい考え込んでしまい、名前が不思議そうな顔で俺の名を呼んだ。 「あー、ちょっと。将来とかについて考えてた」 「そっかあー…」 そう言ってどこか遠い目をする名前も、卒業後について思うところがあるのだろう。 進路がきっぱり決まっているやつでさえ、 その時の周辺の城の情勢や実家の状況や運やなにかでどうなるかわからないのだから当然だ。 「なんか、悩んでんのか?」 「うーん、ちょっとね」 気遣いはありがたいが話す気はないという笑顔だ。 こんな対応もできるようになったんだよなと、 思うことすべてが顔に出ていた下級生の頃を想う。 この年になると友人にも、特に異性には相談しづらいこともあるとわかっているが、 こう返されると少し寂しい。 「よし、水鉄砲しようぜ」 「え?」 「用具の下級生と遊んだときの水鉄砲があるからさ。今日暑いしよ」 「いいね! 昔、仙蔵と留三郎が水鉄砲改造して障子ぶちやぶったの思い出すなあ」 「あっ! 先輩たちが水遊びしてる!」 「えー? 六年生の忍たまとくのたまだぜ? 対決か鍛練じゃないか?」 「あれ、食満留三郎先輩が作ってくれた水鉄砲だよ。僕たちこないだ委員会で遊んだもの」 ほかの六年に声をかけると、みんなたまたま委員会も何もなかったようで全員が集まった。 乱きりしんをはじめ下級生に奇異の目で見られながらも俺たちはただただ水を掛け合って笑う。 下級生の頃のようにはめを外してはしゃいでしまった。 いつの間にか上ってきていた大人への階段だが、たまには駆け降りたっていいだろう。 「あはは! こんなに笑ったのひさしぶりだよー」 「楽しかっただろ?」 用具倉庫へ水鉄砲を片付けに行こうとすると、名前も着いてきた。 今度は名前の心からの笑顔を見ることができて、なんだか安心した。 やっぱり、昔と変わらない、俺がずっと見てきた笑顔だ。 「うん。…留三郎、ありがとうね」 前言撤回。少し照れたように、うれしそうに目を細める様子は、見たことがない表情だ。 どんな顔も見尽くしてきたと思っていたが、間違いだったらしい。 「いや、俺も楽しかったし」 思わず声が上ずってしまった。なんというか、名前がひどく大人びて見えたから。 掛け合った水で頭巾ごと髪も顔もびしょ濡れのせいもあり、別人のようだ。 「あのね留三郎」 すっと表情が変わった。いきなり真剣な表情になるのは反則だと思う。 下級生の頃のようにどきどきしている。まずい、顔も熱くなってきた。 「こんなところで言うのもどうとか思うんだけど、私、」 「どんどーん! わはは!」 名前の言葉は、俺の頭に当たった小平太の水弾で遮られた。 仙蔵が持ち出してきていた大砲型のものだろう。 「こ〜へ〜い〜たぁ〜!」 顔が冷えて助かった。それでもなんだか逃げ出したいような気持ちになって、 思わず小平太のほうへ走り出そうとすると、名前に衣の余っている部分をつかまれた。 「あのね、後で私の話、聴いてくれる?」 「…っあたりまえだろ!」 その仕草にまた顔が熱くなって、見られないようそっぽを向いて駆けだした。 これじゃほんとに下級生みたいだ。 「用具倉庫で、待ってるから!」 後ろから名前の声がかかる。 小平太を追いながら感情が抑えきれず、口元がゆるんでしまう。 本当に、俺こんなんでプロ忍になれんのかな。 「おう!」 好きだ。ずっと好きだ。今までも、これからも。たとえ会えなくなっても。 そう叫びだしたいような気持ちになる。 名前は何を話すつもりなのか。 なんにせよ、俺を頼って悩みを打ち明けてくれるならそれだけで、嬉しくてたまらない。 |