Absence | ナノ
揺れる、揺れる
流魂外出身の生徒が暮らす寮の談話室、温かい物を飲めるそこで名前は緑茶を入れていた。薬缶の湯が沸くまで、申し訳程度に置かれた古い椅子に腰掛ける。懐から鬼道の教科書を取り出して目を通す。授業で習うのは五十番台までで、しかも詠唱文のみ。そこから実践で使えるレベルにするのも、更に高度なものを学ぶのも自主学習となる。
やはり生徒の大多数が試みるのは破道で、縛道・回道は疎かにされがちだ。理由は単純。破道のほうが見た目が派手だからだ。その傾向が気に食わない名前は、斬術を鍛えるよりもまずバランス良く3つの鬼道を極めることに専念している。
軽快な音で沸騰を告げる薬缶を持ち上げ、自室から持ってきた湯呑みに湯を注ぐ。予め入れておいた茶葉がくるくると回る様子を眺めつつ、名前は今日の昼休憩での出来事を思い返していた。


名前の腕を掴んだまま中庭まで連れていった真子は、怒っているというより呆れていた。何故この女はこうなのだろうか、と考え始めると止まらない。作り笑いはそこそこ上手い。ただ、相手に興味が無さすぎるためか、作り笑いで誤魔化そうとする相手が悪い。真子やリサ、ひよ里が彼女のその中身のない笑顔に気付かないわけがないというのに。
先日の酢漿草のお蔭で少し距離が縮まったのではないかと思っていた真子は、自分の友人たちへの名前の対応を見て落胆した。

「その作り笑い、どうにかならへんのか。」

「無愛想より良くない?」

「作り笑いやて気付く奴にはそっちのがタチ悪いっちゅーねん。」

「ふーん?猿柿さんは気付いてたんだ?」

「当たり前や。ほんで、アイツはそういうんがめっちゃ嫌いや。」

「じゃあ関わらない方がいいね。」

「…は?」

「だって、私と彼女じゃ合わないってことでしょ。別に同級生ってわけじゃないし、嫌なら関わらなきゃ済むことだよ。」

冷血漢だと言われようが、それは彼女の本心だった。悪いことを言ったつもりはない。当然のこととして言ったのだ。関わりすぎるから相手の嫌なところを見つけてしまう。嫉妬が生まれる。裏切りを恐れる。愛憎とは良く言ったものだ。好きと嫌いは同時に存在するもので、好きの反対は嫌い、ではなく、無関心。

「…平子くんが私に何かを期待してたのなら、ごめんね。」

「……そんな、口先だけの謝罪やったら、無い方がマシや。」

「そっか。」

予鈴が鳴って教室に入るまで真子と名前は隣を歩いていたが、彼らの間に会話は無かった。
その後の実習時間、毎日のように名前の所へ来ていた金色は、姿を見せなかった。


怒らせてしまっただろうな、と思う度に、これで彼と関わらなくて済むじゃないか、と自分に言い聞かせる。するりと内側に入り込んでくる彼のような人物は初めてで、名前は戸惑っていたのだ。花を貰えば嬉しかった。ただ隣に座っているだけなのに、ポカポカと暖かかった。
ふわりと立ち上る湯気のように、柔らかく、それでいて楽しげに笑う人。

「……期待してたのは、私の方かも…。」

認めたくないが、寂しかったのかもしれない。
やはり面倒だ、と名前は思った。いつかは離れていくものに縋ったところで、どうなるというのか。
ふぅ、と息を吐き出したところで、後ろに霊圧を感じた。思い悩み過ぎていたようだ。普段の彼女なら、これ程近付かれるまで気付かないわけがない。

「まだ茶ァ飲むには暑いんちゃう?院長も朝礼で残暑が厳しいですねて言うてたやん。」

「冷たいのはお腹が冷えるから。」

「婆さんみたいなこと言いなや。」

どさりと豪快に名前の前に座ったリサの髪は少し湿っていた。風呂上がりだからかアップにされている艶のある黒髪は、彼女の白い肌によく映えている。
名前は少し、居心地が悪かった。真子が名前の所に来なかったということはリサたちと鍛練をしていたということであろうし、何かしら名前に対する不満を述べていた可能性は高い。陰口を言うような人物ではないことは分かっているが、誰しも愚痴くらい溢す。
こうしてリサが態々名前に話しかけることは今まで滅多に無かったため、真子に謝れだとかひよ里に謝れだとか言われるのかと、名前は邪推していた。

「何か言いたいことがあったんじゃないの?」

「何でそう思ったん?」

「ここに来ても何もしてないから。あ、お湯ならまだ温かいと思うよ。」

「いらんわ。…そんな暇そうに見えるんなら、ちょっと話し相手になってや。」

何故私が暇潰しに付き合わねばならない、と拒否したい気持ちも山々だったが、名前は仕方なく頷いた。顔が引きつっていたかもしれない。

「そういえば、今日のお昼はお邪魔しました。」

「いや、こっちこそ悪かったわ。うるさぁてかなわんだやろ。」

「あはは、面白かったよ。」

「じゃあ明日も来ぃや。」

「え、」

リサは手強い。名前はニコニコしているが、内心ではひどく動揺していた。目の前で口の片端を上げ鋭い視線を浴びせてくる同級生が怖い。今までに味わったことのない恐怖だった。例えるなら、衣服を全てひん剥かれているような。

「真子と仲良しやろ?」

「いや、仲良しって程では…。」

「そうなん?ほんじゃ、あの噂もデマか。」

「…待って、何の噂?」

「あんたと真子とが付き合おとるって、」

「は!?ないないない!!!」

リサの発言に被さって勢いよく否定すると、彼女はその鋭い瞳を丸々とさせた。我に返った名前が態とらしく咳払いしているのを見て、噴き出しそうになる。今日の演習時間、久しぶりに一緒になった真子と話していたことを思い出した。
何で今まで気にならなかったのか疑問に思うほど、名字名前は仮面を被りきれていない。
それが真子の意見であり、そこが面白くも腹立たしくもあるところなのだと言っていた。そのときは『面白い』という部分がいまいちピンとこなかったが、リサは今その意を理解した。
確かに、これは揶揄い甲斐がある。

「今日の昼、手ぇ繋いで歩いとったらしいやん。やらしいわー。」

「ちょ、リサちゃん見てたよね!?あれは手繋いでるって言わないって!!ていうかそんな噂、聞いたんなら否定してよ!!」

「いやぁ、ちょっとくらい強引なオトコがええんやーていう子もおるから、名前もそういうんがタイプなんかと思て。」

「………。」

「ま、嘘やけどな。」

「……はい?」

「そないな噂あらへんわ。」

「ふざけ、」

んな、と続くはずだった名前の言葉は途中で飲み込まれた。リサのニヤニヤとした顔を見て、彼女はじわりと冷や汗をかいた。やばい。ペースを乱されている。
真子にしてもリサにしても、これほど名前に踏み込んで来る人は初めてだった。あの先生がウザイだとか、食堂のおばちゃんが怖いだとか、そういうたわいも無い会話ならば他の子とも交わすけれど、名前自身についての話などしたことがない。女の子の会話で中心となる恋愛系統の話題はおおっぴらにするものではないため、特に触れる機会がなかった。
自分が誰かと付き合っているなんて噂、たまったもんじゃない。平子に好意を寄せている女子生徒が少なからずいることを名前は知っているし、女の嫉妬ほど怖いものはないということも知っている。

「……まあでも、噂になって困ることなんて無いやろ。」

「困る困らない以前の問題だよね。」

「ホンマに付き合えばええやん。真子はあんたのこと気に入っとるで?」

「…平子くんは面白がってるだけじゃん。」

彼には名前に対する恋愛感情なんて窺えない。そんな自分を愛してもいない男と付き合うほど名前は安い女になったつもりはないし、というかそもそも彼らと友人であるかも怪しいのに付き合うなんて話が飛びすぎだ。この手の話題にはまともに返事をするだけ無駄だろう。
名前の乾いた笑い声は狭い談話室内に静かに溶け込み、一層彼女の気分を鬱々とさせた。こんな無駄、かつ神経をすり減らさせるような会話は早々に退散する方がいい。幸い名前はリサや白とは違う共同寝室である。暇潰しに付き合わされたらしい会話に終止符をうつように、まだ半分ほど中身が残っている湯呑みを持って名前は立ち上がった。

「…そろそろ部屋にもどるよ。」

「もぉちょい喋りたかったわ。」

「また暇なときがあればね。」

「………真子なら、」

いつものハキハキとした声ではない、独り言のような声量でリサが発した名前に、名前はピタリと足を止めた。何だかんだと言っても気にしてしまうらしい。

「真子なら、あんたが心の奥で思てることも何もかも、ぜーんぶ含めて付き合うてくれると思うで。……まぁ、あたしも、拳西も、白もやけど。」

少しだけ尖らせた口でぼそぼそと言葉を紡いだリサは、幼い子どもが拗ねているようにも見えた。

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