Absence | ナノ
色のない世界
「ルキア、が…?」

「……人間への死神能力の譲渡。どうしてそんな事をしたのかは分からないが、どんな理由であれ重罪だ…。」

「判決は四十六室ですか。」

1度顔を上げた名前は特に表情を変えることもなく再び書類に視線を落とした。そんな彼女の前で分かりやすく落ち込む浮竹は、これといって仕事をするでもなくただ項垂れている。
今は亡き男が気に入っていた少女のことを、名前もよく面倒をみた。とりわけあの男が死んだ後、彼女は名前によく懐いたように思う。元気そうにしていても、いつもどこか哀しげな少女に昔の自分を重ねていたのだろう。名前も彼女には甘かった。

「法に特例はないからな…。」

「朽木家だったらどうにかなりそうですけどね。」

「うーん、白哉は頭が固いし、…どうにかしてやりたいけど、どうにもなぁ…。」

はぁー、と長いため息を目の前で何度も吐かれては仕事も捗らない。仲間思いなところも憧れる所以ではあるけれども、これだけ職場の士気を下げられるのは困る。此方の様子をちらちら窺っている小椿と清音が視界の端に映り、名前も流石にため息を吐いた。
名前は朽木白哉なら妹くらい切り捨てるだろうと思っていた。そう思っていながら、適当なことを言ったのだ。昔の生意気な少年であれば迷わず妹の命をとっただろうが、今彼が背負うものは大きすぎる。最終的な刑罰がどのようなものになろうと仕方のないことだと思うし、それを助ける術など無いとも思う。それこそ四十六室を惨殺でもしない限り、判決は変わらない。
何にしても、名前にとっては他人事だった。仲良くしていたといってもルキアの処罰を全力で阻止しようと思うほどではない。年下ばかりになってしまった仲間への慈愛は持ち合わせているが、ルキア個人への特別な感情はないに等しい。名前が特別に想うのは、今も昔も変わらず数人だけだ。

「で、私に何かお話があったのでは?」

「ああ、そうだ!隊長たちから推薦があって、名前に任務があるんだよ。」

「……嫌な予感しかしません。」

「まあそう言わずに。…今夜、六番隊が朽木を迎えに行くんだが、それに着いて行ってほしい。」

「現世ですか。」

「で、そのまま駐在してくれないか。」

「…………はい?」

ポカン、と名前は間抜けに口を開いたまま固まった。押し付けた判子の下では彼女の名字が滲んで潰れている。

「次の担当が決まるまでの間だけな。」

「私、一応席官なんですけど…。」

「だからだよ。大虚が出たのは聞いただろう。そんな物騒な地区だと暇そうな平隊員には荷が重いじゃないか。」

「…だから暇そうな席官の私ですか。」

「はは、そういうことだ。満場一致だった。名前なら大虚くらい余裕だしな。」

「いや見たこともないですが。」

名前は自分の顔が引きつるのを感じていた。現世に行くのが嫌なわけではないが、何しろ駐在の経験がない。知識として仕事内容は頭に入っているけれど、実際にやるのと学ぶのとでは訳が違うのだ。まだ残りたいと駄々をこねる魂魄の説得なんてやったこともない。面倒くさそうなことこの上ないし、そもそも名前は現世の空気が嫌いだ。

「ほんの2週間くらいだから。」

「えー…。」

「涅隊長によると霊子濃度が高めらしい。だからこそ虚の数も多くなるんだが、……名前の探し人も、見つかるかもしれないよ。」

「…っ、」

眉を顰めた後、名前は不機嫌そうに口を尖らせた。そんなこと言われたら行くしかないじゃないか、と恨めしく思う。哀しそうに微笑む浮竹に拒否の言葉を伝えるのも憚られたため、名前は小さく頷いた。
今夜から、少しの間だけだ。
そう自分に言い聞かせて騒ぐ心臓を無理やりに押さえつけ、名前は書類を纏めて席を立つ。この山を九番隊に届けたら今日は終わりにしてもらえるか頼むと、「勿論」と返事をもらえた。いつでも帰ってこれるわけだから荷造りも何もいらないが、数日の間空ける部屋を片付けておきたかった。
書類を山積みにして運ぶ彼女の癖は直りそうもなく、今日も相変わらず重そうな荷物を持って名前は執務室を後にした。


ギラギラと自己主張の激しい太陽に嫌気が差す。こういう暑い日には死覇装の裾を切ってしまいたいと思うが、いつぞやの膝上丈は遠慮したい。道端の花を眺めたり、蓮の上に座る蛙を眺めたりしつつ九番隊へと歩を進める。途中で前を通る十二番隊舎からは妙な爆発音やら器械音やらが聞こえてきた。昔はまだマシだったけれど、長い年月の中で変人が集ってしまったように思う。
少しずつ埋まっていく彼らの帰ってくる場所を、名前は眺めることしかできなかった。

「現世、かぁ……。」

「名字さん左遷されちゃったの?」

「違うから。」

「あっれ、霊圧うまく消せたと思ったんすけどねー?」

「まあ、普通なら分かんないと思うよ。」

ひょっこりと横から顔を出した弓親と一角を一瞥し、名前はニコリともせずただ足を動かす。裏で鉄仮面と呼ばれていることは知っていたが、笑顔を振り撒く趣味はない。昔はヘラヘラしていたような気もするが、あの人が嫌いだと言った顔を好んで作る必要性など感じなくなった。

「それにしても、溜め込みすぎだろ…。」

「そう思うなら手伝ってくれない?」

「嫌ですよ。他隊の隊士こき使おうとするのやめてください。」

「つーか俺らもう名字さんより席次高ぇし。」

「そうやって自分の地位を自慢する男はモテないよ。」

うるせぇな、と青筋を立てた一角を名前がもう一度ちらりと見てから鼻で笑うと、彼は地団駄を踏んだ。
弓親の話によると、彼らは手のかかる副隊長、草鹿やちるの居場所を探しているらしい。副隊長も三席も五席も不在でやっていけるのは十一番隊くらいだろう。書類仕事が少なくて羨ましい限りである。

「で、なんで現世なんかに行くんすか。仮にも七席なのに。」

「仮にもって言うな。……まあ、色々あるんだよ、色々。」

「ふーん?」

何だかんだ言いつつ書類の半分を持ってくれた一角はなかなかにいい男だ。対して手伝う気などこれっぽっちも見せない弓親。顔がよくてもお前はモテないと声を大にして言いたいが、可哀想だからやめておいた。
結局わざわざ九番隊まで寄ってくれた2人にはお礼を言って別れた。片手を上げて去っていく後ろ姿にいつかの人の面影を重ねて、頭を振る。
何度繰り返しても、何年経っても、目の先に映るその姿。一度目を閉じて開くと、そこには既につるりと光る頭しかなかった。名前のため息が再び重なった書類の上に落ちても、そんなことを気に止める人など今彼女の周りにはいない。そんなことが酷く、より一層、名前の表情を消し去ってしまう。

名前は変わっていく世界の中で、自分だけ取り残されたように思うときがある。確かに自分も成長しているし、その時その時で交友関係もそれなりに築いているのだが、いつも自分だけ別の場所にいるような気になるのだ。それは特に、一角や弓親、乱菊などの若くで高官となった隊士と接するときが多かった。一緒に酒を飲んでいても、どこか馴染めないのだ。
そんな中、出会ったときから名前が特別に可愛がっている男がいた。

「修ー兵ーっ!」

「……名前さんって実は学習能力無いんですか。」

「うわ生意気。折角来てあげたのに。」

「いや頼んでな、って、うおおおお!!!」

ドサリと山積みの書類を彼の机に落とすと、名前には見えていなかったが机の上が随分と散らかっていたらしい。鋏の上に着地した紙の束は雪崩を起こし、顔を引きつらせていた彼を襲う。慌てて支えた彼を称賛すると、「馬鹿ですか!」と怒られた。
ピーチクパーチク喚く彼の頭を子どもにするように撫でる。檜佐木はそれが恥ずかしいしやめてほしいとも思うのだが、慈しむような名前の表情を見るといつも何も言えなかった。

「行ってくるね。」

「は?どこへ?」

「…会えるといいけど。」

檜佐木は自分とは合わない視線に気付いて、ああまたか、と思った。名前が見ているのは自分ではなく、その後ろにいる人物なのだと。顔に刻んだ数字を泣きそうな表情で見つめる彼女は確かに自分を特別に扱ってくれているが、それは自分自身の魅力ではないのだということを、檜佐木はちゃんと理解していた。聞きたいことは沢山あるけれど、それを尋ねる勇気はなかった。

「……名前さん、」

きっと、大丈夫です。
そんな根拠の無い気休めの言葉を口から出すことはできず、檜佐木は中途半端に開けた口を閉ざした。

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