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Love is changeable

イケメンが、女の子が振られて傷心なところにつけ込む、なんていう少女漫画はよくある。そしてヒロインはアッサリ新しい恋に落ちる。正直、私はそういうのはフィクションの世界にしかない馬鹿げたものだと思っている。好きな人に振られたばっかなのに違う男に目が行くなんておかしいでしょ。大して元彼のことも好きじゃなかったんじゃないのか、なんて。世の中の少女漫画には賛同できない点が多々ある。
まああと、壁ドンやら顎クイやら。実際やられたらたぶん相手の股間を蹴り飛ばす勢いでキモチワルイ。しかも大体の漫画で、相手は付き合ってもないのに馴れ馴れしい顔だけいい男。現実的に考えてどこにときめく要素があるというのか。
少女漫画のヒロインの気持ちは全く理解できないが、この状況でこんなことを考えている私は少なくとも何か嬉しいシチュエーションを期待しているのかもしれない。そう思うと自分に笑えてくる。馬鹿みたいだ。
ズズ、と鼻を啜って腕の中に深く顔を埋めた。擦りすぎて赤くなった頬はべちゃべちゃで、ブレザーに涙が染み込んで行くのを感じる。

「やっぱり、振られたね。」

「…なんで、もっと早く気づかなかったのかな。」

「名字が一途にアイツだけを見てたからだろ。どうせ、周りなんて気にしてなかったんでしょ。」

「辛辣ー…。そんな言い方だと私が悪いみたいじゃん。」

前から聞こえる声はぐさりぐさりと私の胸を貫く。投げやりな言い方は若干の呆れを含んでいた。及川の忠告を聞き入れずにだらだらと現状に甘え続けてきた私だけど、明らかに悪いのは浮気した向こうだ。友人なら少しくらい慰めてくれてもいいのに、及川の言葉は私の傷を抉るだけだった。何かにイライラしているような、刺々しい雰囲気。

「俺は本当のことを言ってるだけ。」

「…浮気なんて漫画の中だけの話だと思ってた。」

「残念ながら、あり得ないようなことだって台詞だって現実にしようと思えばいくらでも出来るんだよ。」

「そっか…。まあ今さらぐちぐち言っててもしょうがないよね。」

「そういうこと。早く新しい恋でも見つけな。」

「……当分、そんな気分にはなれそうも無いけどね。」

現実とはそういうものだ。頭の片隅にアイツの顔がちらついているような間はまともに恋なんて出来るはずがない。そこまで盲目になれそうな人が周りにいないんだから、それは必然だ。
これから、思い出だらけの世界を一人で過ごしていかなければならないと思うと気が重い。しかも、私以外の女の子がアイツの隣で笑っているところを見かけることだってあるはずだ。
ぽたり、と頬を流れ落ちた雫は、そのまま重力に従い、いつの間にか目の前まで伸ばされていた及川の手の甲に落ちた。ぽたり、ぽたりと続けて落ちていく。止まらない雫が及川の手を濡らしていく様子をぼんやりと眺めていると、頬に優しい温度を感じた。

「泣きすぎ。」

「これから、独りだと思うと、さ。」

「独りにならなきゃいいじゃん。」

「だから、そんな気分にはなれないんだってば。」

「恋はするもんじゃないよ。気づいたら落ちてるもんだから。名字の意思は関係ないの。」

「はは、何それ、格言?」

少し固い親指の腹が目の下を撫でてくれる。気持ちがよくて目を閉じた。どろどろでぐちゃぐちゃだった心の中が落ち着いていく。それでも溢れる涙は止まらず、ただただ静かに流れ続ける。自分でもなぜ涙が出るのか分からなくなるくらいまでそうして座っていた。及川も黙って私の頬を撫でるだけ。暗くなり始めた教室だけでなく、周りの廊下や校庭からも徐々に人の気配が消えていく。最終下校時刻が迫ってきている。忙しいバレー部の、折角のオフを潰してしまった罪悪感に襲われた。別に私が頼んだことではないけれど、及川は何だかんだ言っても優しい人だから。

「…帰ろ。及川も、家でゆっくり休まなきゃ。」

「ああ…。暗くなってきたし、送るよ。危ないから。」

「え、いいよそんなの。」

「よくない。名字、女の子だろ。」

「…ん、ありがと…。」

6限目の終わった後に帰る支度はしてあった。それは及川も同じで、鞄を肩にかけるだけ。アイツに呼び出される前にはもう及川は教室を出ようとしていたから、てっきりもう帰ったのかと思っていた。私が戻ってきたときには、荷物だけ置いてあった私の席の前の椅子に座って携帯をいじっていたけれど。
二人並んで教室を出ると、廊下は電気が落とされていて薄暗かった。戸締まりの確認をしている事務員の人に会釈をして下駄箱に向かう。道中には教室がたくさんあるけれど、どれも静まり返っていて人の気配はない。廊下を曲がった辺りで、世界に二人だけ取り残されたかのような気分になった。
階段に差し掛かったとき、無言で隣を歩いていた及川の手に私の手が軽く当たった。そっと距離を取ろうとしたが、自然に伸びてきた手に捕まった。柔く握られた手のひらをこんなにも気にしてしまうのは私だけだろうか。ゆっくりと、当たり前であるかのように絡んでゆく互いの指に、少しだけ抵抗があった。
私は少女漫画のヒロインなんかじゃない。及川は仲のいい友達で、手を繋ぐような関係じゃない。
踊り場で足を止めると、それに気づいた及川が振り向いた。上の方にある窓から差し込む外の電灯の光が及川の顔を照らしていた。

「…どうしたの?」

「手、離して。」

「なんで?嫌なら振り払えば?」

「…及川は、友達だよ。」

分かりやすく顔を歪めた及川に頭の中で警笛が鳴る。これ以上聞いてはいけない。それは私の望むことじゃない。お願いだから、友達でいて。

「そうだね。…でも、それは名字が思ってるだけかもしれない。」

「及川、」

「俺が、何とも思ってない子を傍でずっと慰めたり、手繋いだり、家まで送ってあげると思う?」

「やだ、やめて」

「名字が好きだよ。ずっと前から。奪いたくなるくらい、好き。」

「…っ!」

ぐい、と引き寄せられて視界が及川の胸で埋まる。困る、そんなの。手をすぐに振り払えなかったのも、今この腕から逃れられないのも、理由なんて考えたくない。及川のことは好きだけど、まだそういう"好き"じゃないのに。違う筈なのに、錯覚してしまう。私はずっと前から及川のことが好きだったのではないか?いや、そんなわけがない。違う、流されてはいけない。そんなのは今までの私を否定してしまう。及川にも失礼だ。

「別に、今すぐ好きになって、何て言わないけどさ。嫌じゃないなら逃げないでよ。流されてるだけでもいい。アイツのことがまだ心に残ってても、俺が恋愛対象に入らないんだとしても、俺は諦めらんない。」

「…そんなの、私、ずるいじゃん。」

「そうかもね。…でも、最終的に俺を好きになってくれるなら俺は何も気にならないから。」

及川の左腕は私の腰に回ったまま、頬に手を添えられた。指先で耳に髪をかけられると、胸が高鳴った。少しずつ近づいてくる及川の顔は私が見たことのない表情で、胸が締め付けられる。切なくて、申し訳なくて、自分が情けなくて、また泣きそうになった。

「嫌なら、ひっぱたいてもいいよ?」

「………嫌、じゃないから、困ってるんだよ…。」

恐る恐るといった風に詰められていた距離が唐突にゼロになった。触れるだけでは終わらなかったキスは何処か苦くて、涙の味がした。
私は少女漫画のヒロインなんかじゃない。だから、今すぐこの人に恋をするわけではないけれど。
きっと、私はこの人に恋をする。

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