雪燐
雪男が悪魔落ちする話。





オカシイ、と思ったのは、つい最近のこと。


ここ数週間、雪男の様子が妙に刺々しいものになっていた。
眉根を寄せて、不機嫌そうな雰囲気で、でも表情はいつもと同じで。
初めの頃は、多分仕事関係で悩んでいるんだろうと軽く考えていた。
だから、何気なく「思いつめんなよ」と忠告だけしてやった。
返事は、「わかってるよ」と小さな笑み、いつものこと。


それから時間が経って、雪男の様子は一段と悪くなっている気がした。
眉間には深く皺が刻まれていて、不機嫌そうな雰囲気は一層濃くなって、それでも表情はいつもと同じで。
この頃になると、俺も段々心配になってきた。
昔から物思いにふける奴だったが、これはオカシイ、オカシすぎる。


真夜中、ふいに目が覚めたときの話だ。
無性に水が飲みたくなって、キッチンの方へ足を進めた。
朝、祓魔師の仕事で帰りが明け方になる、と言ってたから、こけないようにだけ注意して歩く。
けれど、その仕事で遅くなるはずの弟はもう寮に帰っていた。
わずかに開いた扉の先、彼は椅子に腰掛けていた。
黒いコート姿に「おかえり」と声をかけようと口を開いたけど、言葉は喉の途中で音をなくした。

「違う…僕は、違う…違う、んだ…」

雪男が、何かを呟いていた。
ウコバクやクロを除いて、俺達兄弟しかいないこの寮の中じゃ、小さな呟きでもそれなりに近いと筒抜けだ。
重ねた手に額をのせ、呪文のように「違う」と唱える。
人形のようにぴくりとも動かない雪男。
声をかけるか…いや、一人にしておいた方が良さそうだ。
そう一人納得した俺は、雪男に気付かれないように部屋に戻った。


…今思えば、あのときに声をかけておけばよかったのかもしれない。
最低だな、俺。
絶対何かあるって、心の何処かでわかっていたはずなのに。



*****


「…兄さん、聞いてる?」

その声が、現実に目を戻させた。
もう少し現実逃避させてくれよ、なんて、今の彼に言っても無駄だ。
…雪男は、もう俺の知ってる雪男じゃないから。


尖った耳、唇から垣間見える八重歯のような牙。
陽炎のように揺れる尻尾。
それから…サタンのそれを示す、青い炎。

「ゆ、き…お……」

頭で理解しても、心は理解してくれない。
いや、理解したくないんだ。
だって、彼の姿は…俺と同じ、悪魔の姿だから。

「兄さん、これで僕も兄さんと同じだ。」

ニコリと見慣れた笑みを浮かべる、けれどそれは表面だけ。
ピリピリとした威圧感が俺の全身を蝕んだ。

「…なんで、」
「何で、って、僕はと兄さんは双子なんだから、当然じゃないか。
兄さんは、自分だけ悪魔だなんてオカシイと思わなかったの?」

彼の指摘に返す言葉が見つからない。
ジジイに、雪男は生まれつき体が弱くて炎を継げなかった、と聞いたときは、不公平だと頭のどこかで思ってしまった。
でも、それ以上に、大切な人が悪魔じゃなくてよかったと安堵した。
だから気にしなかった、だから忘れていた。
雪男は、「魔神の落胤」だということを。

「兄さんは、1人が嫌だったんでしょ?」

唐突に彼は発した。
意味がわからず、ただ呆然とした眼差しを向けた。

「1人が嫌だったから、行けなかった?」
「違うっ…!」
「じゃあ、どうして?」

小さく首をかしげ、子供のように尋ねてくる。
今では滅多に見れない姿だ、と、再び軽い現実逃避。
尋ねる相手だったジジイはもういないから、仕方ないかと一人納得。
その間にも、雪男の視線は俺から離される事は無かった。

「ねぇ、」
「ッ俺は、人間だと信じてたかったんだよ…!」

何より、魔神が父親だなんて、信じたくも無かったからな!
あのときを思い出しながら、俺は叫ぶように告げた。
苦し紛れに出した俺の答えに、雪男は声を上げて笑った。
…サタンの野郎よりは人間くさい、それでいて悪魔の片鱗を覗かせるような笑い声。

「あっはははははは!!
兄さんは本っ当、どうしようもない馬鹿だね…!」
「な…っ、俺は!」
「神父さんからその降魔刀を託されるときに、教えてもらっただろ?
兄さんと僕は、『悪魔の子』『魔神の落胤』だって。
それなのに、まだ人間だと信じていたかったなんて、本当に馬鹿だよ。」

あぁ、そうさ、俺は馬鹿だよ。
馬鹿だから祓魔師になりたかった、あの野郎をぶん殴ってやりたかった。
…でもな、雪男、お前の方がよっぽど馬鹿なんだよ。
大切な人を、俺を守りたいなんて…あいつの力を受け継いだ、俺を。

「でもね、兄さん、兄さんの気持ちは僕にはわかる。
僕も、神父さんから聞いたときは驚いたからね、兄さんが驚かないわけが無いよ。
…でも、今は違うでしょ?」

一体何が…と口を開ける前に、雪男はまた笑った。
わかってるくせに、そう言いたげな笑みだった。

「もう兄さんはあの時みたいに一人じゃない。」
「は…?」
「目の前にいるじゃないか、兄さんと同じ境遇の男が。
…僕が、いるだろ?」

離れていた距離を話しながら縮めていく。
俺はというと、大した抵抗も拒絶もせずに、ただ近づく彼を見上げるだけ。
十分に近づくと、俺の目の前で片膝をつき、至近距離で俺を見つめる。
顎を持ち上げられ、唇が触れ合う寸前まで近づかれる。

「だから…兄さん、」

嗚呼、誰か。
誰か雪男の口を塞いでくれ。
世界で一番愛しい人に、こんな台詞を言われたくない、言わせたくない。
けれど、現実は酷なもので、

「一緒に、『父さん』の所へ帰ろう?」

なんていい笑顔してやがるんだ。
…俺は、全てに絶望した。





あいしてたんだ。

くらすぎるうんめいの、あのひとを。

まもりたかったんだ。たとえそれで、ぼくが、

おちてしまったとしても。

ちのつながった、きょうだいだから。





あくまおち。
(ごめんな、ごめんね、ごめんなさい)
(こんなことにはなりたくなかったのに)




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