「そんな事したら、リト……絶対に怒るよ!」
「大丈夫だって!な?頼むよ、サクラ!」
「……ったく、あたしはどうなっても知らないからね?」
リトから少し離れたところで、コソコソと密談する三人。何やらよからぬ計画をエドが企てていた。
事の起こりは数分前。サクラとリトが和解したところで、リトが言った言葉から始まった。
「そう言えば……ここはどういった世界なのですか?」
「「「……あ」」」
この世界に飛ばされてから数時間が経つのに、リトはこの世界の事をまだ何も知らない。周囲を見渡しても森と湖しか見えないし、出会った人間はサクラ達だけ。
「説明……してなかったっけ?」
「はい、全く」
コクンと頷くリトに対し、サクラはどう説明しようか悩んだ。
「(いきなりポケモンの事からか?……いや。まず、今いるこの場所から説明するべきか……)」
昨日、エド達はポケモンを図鑑で最初に見たとき、キメラと勘違いした。キメラを嫌っているというリトの場合、攻撃しかねない。サクラがさながらコダックのように頭を抱えていると…。
「サクラ!アル!ちょっと来い!!」
エドが二人を引っ張りリトから遠ざける。
「何だよ?いきなり!」
「どうしたの?兄さん…」
ニヤニヤとするエド。サクラとアルがたずねるとエドは一層口角を上げ、ある提案をしてきた。
「なあ……いきなり、ポケモン見せてみねぇ?」
「はぁ?何で?」
サクラも一瞬その事は考えたが、改めてエドに言われるとその理由を問いたくなる。とくにニヤニヤしている理由を詳しく問いたい。
「あの澄ましたリトが驚いて慌てるとこ……見たくないか?」
リトが慌てふためく姿を想像したエドは、必死で笑いをこらえながら言う。正直言うと、気持ち悪い。
「もう、兄さんったら!子供っぽいよ!!」
「うるせー、いいじゃねぇか!なっ!?頼むよサクラ!」
バカバカしいと思いつつも、取り分け断る理由もなかったし、何よりサクラもリトがどんな反応をするのか少し興味がわき、しぶしぶ承諾する事にした。
「分かったよ。あたしはどうなっても知らないからな?」
サクラは溜め息をひとつこぼすと、モンスターボールを握りしめ、リトのもとへと戻った。
「密談は終わりましたか?」
サクラ達を待っている間読んでいた本を閉じながら、リトが訊く。
「お前、どんだけ本が好きなんだよ?」
「うるさいです、エドワード。それより、そろそろこの世界の事……教えていただけませんか?」
リトが言えば、エドは含み笑いをしながらサクラにバトンタッチをした。サクラは、仕方ねーなと呟くとモンスターボールの大きさを元に戻すし、空高く放り投げて叫ぶ。
「出てこい!!!」
『ピッカァ!』
パカッとボールが開き、中から出てきたのは黄色いポケモン……。愛らしいつぶらな瞳でリトを見上げる。サクラが選んだのはお馴染みのピカチュウ。リトは目を見開いて黄色い生き物を見つめた。
……シーン…
「ほら見ろ、エド!リトが固まっちまったじゃねーか!」
「もうちょっと驚いて慌てると思ったのに……」
「アル!?お前、黒いって!!」
「何だよ!兄さんだって期待してただろ!?」
「まっ……まぁ…」
「どう説明するかな──…」
そんなやり取りを三人がしていると、 リトはなんてこと無しにピカチュウを抱き上げ、三人の方を向きながらケロリと言った。
「……ピカチュウ」
「「「……え?」」」
「ピカチュウ。電気ねずみポケモン。その名の通り電気タイプで、ピチューの進化系……ですよね?」
「電気…ねずみ?何だそりゃ?」
リトの解説にエドとアルはちんぷんかんぷんな様子だ。サクラだけがその意味を深く理解している。
「リトはポケモンを知ってるのか?」
「はい。私の生まれた世界……現世では世界的にメジャーですよ」
実在はしませんけどねと付け足し、リトは視線をピカチュウに戻す。
『……ピカ?』
「(…………か……可愛い…っ)」
表向きの表情は変わらないが、リトの脳内はお祭り騒ぎだった。元来、可愛いもの好きのリト。ましてやサクラの育てるピカチュウは毛並みもよく、手触りは抜群だ。夢にまでみた憧れの生き物が自分の腕の中にいてピクピクと耳を動かしている。これが興奮せずにいられようか?だが、こんな時でもリトの鋼のような理性はきちんと働き、あくまでも平静を装ってしまう。
「つまり、ここは『ポケモン世界』……ならば、ここはどのあたりなのですか?」
「マサラタウンの近くの森だ。あっちがマサラタウンになるかな」
と、サクラはその方角を指で示した。
「なるほど。では、ここはカントー地方なんですね」
「そういう事だ」
正に説明いらず。
現世にはポケモンのアニメや漫画、ゲームなど多くの商品がある。また、それは子どもから大人まで幅広い人気を誇り、知らない人はいないぐらいだ。リトも例外ではなく、美香や明達に促されてゲームをやった経験もある。幼少期をポケモンのアニメやゲームと共に過ごし、成長した世代であるリトは、つまり、昨日今日この世界に来たエド達よりも遥かにこの世界に詳しいのだ。
「つまんねー!」
リトのリアクションを期待していたエドにとっては、この上なくつまらない事実。しかしサクラにとっては説明する手間も省けたし、リトの話を聴く限りリトはポケモン好きな方みたいで安心した。
「……リトはポケモンに詳しいのか?」
「まあ、そこそこ」
「……前に東京ってとこに行った時に、ポケモンがアニメとかになってたけど……リトの言う現在って、その世界か?」
「多分そうだと思いますよ?でも、私が住んでいるのは別の都市です」
「……なあ、リト……」
「何ですかサクラ?」
「……そろそろこっち向いて話せ!」
「お断りします」
きっぱりと断ったリト。さっきからずーっと、彼女の視線はピカチュウに向いたままで、エドとアルには勿論、サクラにさえ一瞬たりとも目を向けない。
「それから、いい加減ピカチュウ返せ!」
サクラがそう言えば、リトは一瞬だけチラリと見たが…。
「……嫌です」
ピカチュウを抱きしめ、ポフッとピカチュウの頭に顎を乗せる。そうとう気に入ったようだ。
『ピピカ〜…っ(サクラ〜…っ)』
「はぁ……まぁ、いっか。我慢してやれピカチュウ」
「……一度抱きしめてみたかったんです」
とくに危害を加えるわけでもなさそうだし、何より表情からは分かりにくいが、リトの声が至極幸せそうだったので、サクラも無理に引き剥がすような事はしなかった。
「サクラはポケモントレーナーなのですか?」
暫くするとやっと満足したのか、ピカチュウからサクラへと顔向きを変え、リトが話しかけた。(ピカチュウは依然、リトの腕の中)
「ああ、そうだ」
「サクラはチャンピオンなんだぜ!」
何故エドが誇らしげに言うのかは置いといて。現世でカントー地方のチャンピオンと言えば“ワタル”だが、ここは異世界。この世界ではサクラがチャンピオンなのだ。
「チャンピオン……それは強そうですね。でも、サクラはどうしてチャンピオンになったんですか?」
サクラはまだ若い。この歳でチャンピオンになろうと思えば、それ相応の覚悟と努力が必要だっただろう。リトが尋ねるとサクラは深呼吸してから胸中の想いを話し始めた。
「兄さんとの約束だから……」
「約束?」
二年前、兄の墓前で誓った事。
「あたしは兄さんの分までチャンピオンになる。……そう、決めたんだ」
サクラは胸元に煌めく十字のネックレスをぎゅっと握りしめた。兄とお揃いのそれは、兄が旅立つ日に貰ったもの。
淋しくなったら、それを見てオレを思い出せ!!そして強くなれ!!セキエイ高原で、待ってるぞ!!
チャンピオンを夢見て旅立った兄の最後の言葉。その言葉通りサクラは強くなろうとした。チャンピオンになると決めた時、決して人前では泣かないと誓い、それを頑なに守ってきた。……エドワードに会うまでは。
人前で泣かない。そんな事、兄にそっくりなエドは望まなかった。泣いても良いのだと教えてくれた。
「(……この世界のエドワードも同じなのですね)」
リトの世界のエドもまた、泣く事を拒んだリトにそう言った。泣いていいんだ、と。
全員がしんみりしていると、リトがスッと立ち上がり、抱っこしていたピカチュウをサクラに向けた。
「?……どうしたんだ?」
「サクラ……私とポケモンバトルして下さい」
「はぁ!?」
「おい、リト!今の話の流れで、いったいどう解釈すればそうなるんだよ!?」
「サクラの強さを見てみたいんです」
ついでに、一度ポケモンバトルというものをやってみたかったんです、とリトは付け足すがおそらくこっちが本音だろう。
「あたしは別に構わないけどさ…」
サクラもピカチュウを受け取りながら言う。
「リトって、バトルした事ないよな?」
リトがポケモン世界に来るのは初めてだったはず。いくらゲームをやっていてポケモンに詳しいとは言え、本物のバトルはそんなに甘いものじゃない。ましてや相手はサクラだ。
「ボク達さっきサクラとマースさんのバトル見てたけど、サクラはすっごく強いよ?」
アルが心配そうに尋ねるが、リトの表情は変わらない。
「でしょうね。それでこそチャンピオンです」
さらりと言って、サクラの方を向く。
「とは言ったものの、私は生憎ポケモンをゲットしていません。サクラのポケモンを一体、お借りしてもよろしいですか?」
「あ、あぁ。あたしのポケモンはこの六体だ」
サクラはリトにモンスターボールを見せ、中に入っているポケモンの説明をする。
「これがラプラスで、……こっちが…エーフィ。それで…」
「……では、この子を……」
着々と準備が進んでいく。
『チャンピオン・サクラ VS バトル初挑戦・リト』
奇妙な対戦カードが整った。
「……リトのやつ、大丈夫か?」
「う〜ん……。でも知識はボク達より断然上だよ?」
確かにアルの言うとおりリトには知識がある。ポケモンの技や特性はだいたい覚えているだろう。しかし、サクラにあって、リトに著しく欠けているもの。それは経験だ。いくらサクラの育てたポケモンを使ったとしても、サクラとリトではかけ離れた経験の差がある。
「リト……やっぱり初心者には…」
「怖いんですか?」
「…何?」
心配するサクラから数メートル……バトルのフィールド程度遠ざかったところでリトは振り向く。
「初心者の私に負けるのが、怖いんですか?」
思いっきり冷笑して。
「あれって、……挑発してないか?」
「うん、してるね…」
非常に分かりやすい挑発の言葉。チャンピオンを前にして、その余裕はどこから出てくるのだろう?
「怖いのなら止めても構いませんが?」
「………て……やる」
下を向いているサクラのバックに、メラメラとした炎が音を立てて燃え上がってゆく。その迫力は半端じゃない。どこのリザードン……いや、伝説ポケモン並みのプレッシャーだ。
「お前に、本当のポケモンバトルってやつを教えてやる!!」
「それはそれは……お手柔らかにお願いします」
炎vs氷……再び。
どちらも己が世界では最強と謳われる者同士。今ここに、時空を越えた戦いが始まろうとしていた。