「あれが、エンヴィー……」
初めてエンヴィーの変身能力を見るサクラ。しかし、メタモンの能力で慣れているのか、あまり驚きはしなかった。
エンヴィーから感じるもの。それは震撼などではない。もっと深くて暗い、得体の知れない何か…。
エド、アル、サクラ、リト。四人がそれぞれ緊張した面持ちでエンヴィーの出方を窺っていると、
「それにしても……、何でリトがここにいるのさ?」
──ガクッ
あまりにも飄々とした声でエンヴィーが尋ねるものだから、エドとアルは思わず肩の力が抜けた。
「お前なあ、空気読めよ!てか、よくわかんねぇけど、こいつ(リト)がこの世界にいるのは多分お前が原因なんだろ!?」
「…そうじゃなくて……」
エンヴィーは視線をリトに移すと意味深な笑みを見せた。
「昨日、強めの睡眠薬飲ませたのに……よく立ってられるね」
「……元特務の人間をなめないで下さい」
特務時代、訓練の過程でいろいろな毒を少量己の体に投与し、ある程度の耐性は出来ている。常人なら丸1日昏睡する薬でも効能が劣るリトは数時間で目が覚める。とはいえ、とんでもない眠気は付き纏うが…。
「最善の対処法も心得てます」
リトがスッと上げた左手にはナイフで抉ったような傷があった。
「痛みで眠気をとばした…って事か」
「……こんなもの痛みのうちに入りませんよ」
リトはチラリと後ろにいるサクラを見た。銃弾がかすった時に破れた袖と、その周りに滲む……血。
「…………」
リトの眼光が鋭さを増し、エンヴィーに向けて放つ敵意が───冷気へと変わる。
「……いくつか解せない事があります」
「なーに?」
「まず一つ。何故、サクラを撃ったのですか?」
「何となくだよ。その人間……リトの親友に似てるそいつを殺したら、リトはどんな反応するかなーって思ったんだ」
「たったそれだけのためにか?……っ!ふざけんじゃねぇぞ!!」
ケラケラと笑うエンヴィーに怒りを覚えたエドはサクラの肩を抱いて、守るようにギュッと引き寄せた。
サクラが死ななかったから良かったものの……もし、あのまま殺されてたら?死んだ兄に会えたと思って喜んだら、その兄に殺された。そんな死に方、あんまりだ!!
きっとエンヴィーはそれを分かってて、わざわざマサルの姿でサクラを撃った。だから、エンヴィーが許せない。
エドは全身の血液が逆流する思いだった。
今にもエンヴィーに殴りかかりそうなエドを、リトは静かに右手で制止して続ける。
「二つ目。何故あなたは私達ですら知り得ないサクラの兄の事を知っていたのですか?」
……そう、エンヴィーは知っていた。マサルやサクラ、そして二人に親しい者しか知らないような事まで。
「最初はそのチャンピオンさんに変身して情報を集めたんだよ」
「あたしに…?」
エンヴィーはパキパキと錬成反応のようなものを出しながら、サクラの姿になった。
「さっきはファンの人達に囲まれて大変でしたね」
昨日ジョーイさんが言っていたのは、エンヴィーが化けたサクラだったのだ。
「うざったいやつらに囲まれて殺したくなったけど、いろいろ聞くのには便利だったからね」
サクラになりきっているつもりなのかニッコリと笑い、エンヴィーは更に姿を変える。
「で、次に……」
──パキパキ
エンヴィーは再びマサルの姿になった。
「この姿になってリト達の跡をつけてたら赤髪の……シゲル…とか言ってたかな?とにかく、幼なじみだって言ってくるやつに会って、この人間の事を詳しく聞いたんだよ」
マサルの姿のまま、エンヴィーはトントンと親指で自分を差した。
「…ちょっと待て……シゲルって、まさか!」
赤髪で“シゲル”という名の人間をサクラは知っている。
「お前……シゲルに何もしてないだろうな…?」
……あたしが気づいたんだ。シゲルだってきっと、この兄さんが偽者だって気づくはず…。
偽者だとバレたエンヴィーがシゲルをただで帰すとは考えにくい。サクラの頬を緊張の汗が伝う。
──クスクス
「最初は上手く騙せてたんだけど、そのうち偽者だって気づかれてさあ……あんまり煩いもんだから、喋れなくしてやったよ」
人が来て、とどめは刺しそこねたけどね……といかにも残念そうに言いながら、顔を険しくさせるサクラを見て愉しそうに笑った。
────パリ……パキパキ…
突如感じた、錬成反応の光と音。その発生源は言うまでもなく彼女。リトは手のひらから流れる血と空気中の水分を織りまぜ、紅い氷刀を生み出した。
──パリッ…パキパキ…ッ
そこから生じる冷気がリトの服の裾を、大地を、空気を……凍らせる。
「(これが、リトの錬金術……っ)」
「(紅い氷……だから二つ名が『紅氷』なのか)」
失礼かもしれないが、今のリトは本物の雪女のようだった。
「エンヴィー……もう一つ、お訊きします。何故、私とあなたがこの世界に?」
自分達が来なければ、サクラは傷つかずにすんだのに……。リトは氷刀を握る手にギュッと力を込めて訊いた。
それに対しエンヴィーは突き刺さるようなリトの眼光も、ピリピリとした冷気もさして気にする様子はなく、小さな砂時計を取り出した。
「これを使ったんだよ」
赤い砂と黒い砂がサラサラと落ちる砂時計。
「これには空間を歪ませる力があるんだ」
エンヴィーが言うには、この砂時計の砂には賢者の石が含まれており、使った本人は代価なしで空間を歪めさせ、世界を移動する事ができるという。
「……って言っても、空間を歪ませるにはリトの持っている『時空の鍵』の力が必要になるけど」
「『空間の砂時計』だけでは門は開かないというわけですね」
「そっ。しかも、リトが鍵を使う瞬間に空間を歪ませなきゃいけないから、必然的にリトも一緒にこの世界に来たってわけ」
最初、この世界に来る時にリトが感じ、サクラ達が見た赤い光は、砂時計の中の賢者の石によるものだったのだ。
時空の鍵が錆びていた事や秘伝の扉が使えない事も、おそらくあの砂時計から出る強力なエネルギーの所為。
「……それで、何のためにあなたはこの世界へ来たのですか?」
「その質問の答えは一番簡単。……賢者の石を作るためさ」
それは 苦難に歓喜を
戦いに勝利を 暗黒に光を
死者に生を約束する
血のごとき紅き石
人はそれを敬意をもって呼ぶ
『賢者の石』と
完全な物質。かつて万能であるそれを求め、エドワードとアルフォンスは旅をしていた。
しかし、知ってしまった真実。
石の材料、それは──生きた人間。
真実の奥、更なる真実。
かげりゆく世界と暗躍する者達の存在。
求めてはいけない。
万能であるがゆえの大きすぎる──代価。
そしてエンヴィーは賢者の石を作るためにこの世界へ来たのだと言う…。
「てめぇ……この世界の人達を犠牲にして、石を作る気か!!!」
「正確には“ポケモン達を犠牲にして”かな?人間よりもいっぱいいる事だし」
さも当然のように鼻で笑うエンヴィーにリトは刃を向けながら静かに激昴する。
「本当に最低な人ですね。ポケモン達を使って賢者の石を作るなんて、そんな事絶対にさ…」
「させない!!」
「っ!?」
リトの後ろから聞こえた強い声。振り返ってみれば、はっきりとした闘志を瞳に宿すサクラがいた。
友の両親を殺して運命を狂わせ、自分の大切な幼なじみを傷つけ……そして、最愛の兄をその姿で侮辱した男を前にして闘わない理由がどこにある。
サクラは持っていたハンカチで撃たれた右腕を縛ると立ち上がり、キッとエンヴィーを睨んで言った。
「エンヴィー!あんたは絶対に許さない!!」
未知の化け物にも怯まない、真っ直ぐな強さを秘めたサクラ。それを見たエンヴィーは元の姿に戻ると、サクラを値踏みするかのようにじろりと見やる。
「ふーん、喧嘩は嫌いなんだよねー……でも、あんた……ムカつくね」
サクラを紫石のような瞳に捉えたまま、口元だけが弧を描いた。