紅の幻影ss | ナノ


番と後継者  




17歳の誕生日を目前に控えた雪の降る日。2年前と同じように、それは突然やってきた。


──ゴオォォ!
「っ……ぁ、ああ……なに、これ!」

時空の震えが身体を包む。立っていられないほどに。
生憎と兄さんは昨夜出て行ったっきりで、まだ帰って来ない。
這いつくばりながら、あたしは頭に浮かんでくる術式を床に書き殴った。
そうでもしないと頭が破裂しそうなほど情報が流れこんで来るからだ。

「はぁ…っ、はぁ!……時空が歪む……世界が崩壊する……番人はまだ、生まれない…!」

うわごとのように呟きながら、大粒の汗と涙をこぼして、あたしは書き続ける。
途中で知った恐ろしい未来と、それを回避する方法も汚い字で床や壁に残した。後でこれを読んだ兄さんはさぞかし驚くだろう。それを見れないのが残念だ。

「はぁ…っ、……はぁ…」

ようやく震えがおさまる頃には、太陽が西の空に傾きかけていた。
手はペンを握りすぎて皮が剥け、爪もところどころ剥がれていて血が滲んでいるが気にならない。
私はペンを床に転がし、一心不乱に書き上げた錬成陣へと目をやった。

「出来た……時空の錬成陣…っ」

涙をこぼしながら満足げに見下ろす。
これがあたしのアールシャナ家として受け継がれた役目。あたしは今日、後継者としての務めを果たすんだ。

「ふふっ……何が後継者、何が役目よ……こんなのただの呪いじゃない…っ」

悔しくて、悲しくて、涙が止まらない。それでも抗えないのは血の宿命だからか。
『時空の鍵』としての能力を与えられたあたしは、この身を捧げて世界を守る。
あたしだけじゃない。今までも、そしてこれからも。アールシャナ家の後継者達はその身を犠牲にして時空を守らなければいけない。DNAにインプットされているそれに、あたしたちは決して逆らうことが出来ない。

「あたしが鍵になる。いずれ番人の手に渡って、その子が鍵を使って時空を守る。代価はあたしと、その子の命……」

未来の世界を見たときに知ってしまった、可哀想な女の子。あの子もアールシャナ家の呪縛から逃れることは出来ない。

「兄さん……ごめんね」

ここに兄さんがいなくて良かったと思う。こんなことをしているあたしを、兄さんは絶対に許さない。兄馬鹿のあの人のことだから、世界が滅ぶと知っていてもあたしを止めただろう。

でも、あたしはそんなの望まない。

「世界を守る。『時空の鍵』としてじゃない。兄さんを愛してるから。兄さんの生きるこの世界を守りたい……」

また、涙が溢れた。でも、この涙は絶望でも後悔でもない。とっても、とっても暖かい涙。
あたしの兄さんを想う心が流した涙だ。

ポタリと零れた涙が床に落ち、錬成陣を光らせる。なんて綺麗。

後悔なんてしてないよ。兄さんに今までいっぱい守ってもらってきたんだから。今度はあたしが兄さんを守る番だ。
瞳を閉じれば、優しい兄さんの顔がすぐに思い浮かぶ。
恐くない、怖くない。あたしなら、大丈夫。

「嗚呼……出来れば、最後に会いたかったな」

兄さん、と小さく呟いた。
その時だった。

──ガチャガチャ!
──ドカドカドカドカッ バン!

勢いよく開けられたドア。
息をきらせて入ってきたのは、驚愕に顔を染める最愛の人だった。

「にぃ…さん……」
「ディアナ……お前、なにして…」

部屋を見て、光を放つ錬成陣を見て、そして最後にあたしを見た兄さんは瞬時に理解したようだ。

「やめろ!ディアナ!」
「だめ。これは『時空の鍵』としての務めなの」
「っ!やめろ!」
「こうしなきゃ時空のバランスが保てないの!世界が壊れるの!」
「かまわない!」
「……っ!」

兄さんは躊躇うこともせず陣の中央にいるあたしのところまで来ると、痛いくらいにあたしを抱き締めた。

「代価はなんだ!この術式……代価はお前なんだろ!」
「そうだよ……それが時空の錬成陣だから」
「っ!絶対にダメだ!」
「仕方ないじゃない!これしか方法がないの!あたしが……あたしがやらなきゃ…」
「やめてくれ、頼むから……!ディアナ、お前のいない世界なんて俺はいらない」
「にぃっ、さ……んっ」

暖かな感触。生まれて初めて、愛する人から貰った口づけだった。
悲しい涙の味と甘い兄さんの味が混ざった不思議な味。どうして、これが最後なんだろう。神様は意地悪だ。

「俺の可愛いディアナ。お願いだから、俺を一人にしないでくれ」
「兄さん……タイアース兄さん…」
「ディアナ、愛してる。兄として、男として……お前を心から愛してる」
「っ……兄さん、あたしも愛してる」

アイシテル。
あたしにとって、一番残酷な言葉だ。

でも、嬉しい。
生きてて良かったと思えるほどに。

「兄さん、愛してるよ。あたしも、妹として一人の人間として、あなたを愛してる」

だから、やっぱりこの世界を守りたい。
あなたと生まれて、あなたと生きた世界だから。例え自分を代価にしてでも、この世界を失いたくないの。

「やめろ……ディアナ!やめろ!」
「ごめんね、兄さん。いつか、あたしと同じぐらいあなたを愛する綺麗な女の人が現れるから……」
「いらない!そんなの俺はいらない!」
「ふふっ、兄さんらしくないよ。綺麗な人は口説くのが礼儀なんでしょ?」
「ディアナっ!」

やめろ、と縋る兄の肩に頭を預け、あたしは血の滴る右手で兄の頬を、左手で錬成陣に触れた。
兄さんの口が何か言葉を紡ぐが、うるさすぎる錬成反応の音で何も聞こえない。
たぶん、あたしが声を出しても同じなんだろう。だから、声には出さずあたしは最後のわがままを言うことにした。

『兄さんの妹でよかった。もし役目を終えて生まれ変わったら、またあなたと共に生まれて、今度こそ一緒に生きたいな』

伝わったのだろうか。
兄さんは涙を零して、微笑んでくれた。

さようなら、兄さん。
あたしのただ一人、愛した人。



***


「『時空の鍵』を作ったのは俺じゃない。正統な後継者は妹だ。俺は妹の残したこの鍵を使っているだけにしかすぎない」

街の酒場でアルコールを煽りながら男は自嘲交じりに語った。

「へぇ……すごい人だったのね、妹さん。残念ね、会いたかったわ」
「あんたも美人だが、妹もそりゃあ美人だったよ。目に入れても痛くないほどにね」
「だから、お金持ちなら男女問わず相手をして男娼みたいな真似をしながらお金を稼いでたの?可愛い可愛い妹さんを世間から隔離して囲うために?」
「金持ちで見目麗しいお方限定でな。そこは譲れないさ。それにgive-and-takeなんだから非難されるいわれはないはずだが?」

男はカラカラと笑う。
女の元に通っていたのも、全ては愛する妹の為。決して綺麗とは言い難い金だが、その金で妹が不自由なく暮らせるなら金の出所など些細な問題だった。

「まぁ、それなりに俺も楽しませてもらってたしな」
「悪い男ね。それじゃあ今夜は私の相手をしてくれるかしら?」

男の隣に座る女はタートルネックの黒いドレスに身を包み、妖艶な眼差しを向ける。

「美人の誘い……あぁ、勿体ない。あと5年早く出会ってれば罠とわかっててもついて行ったんだけどな」
「あら?もしかして本命の彼女でもいるのかしら。残念ね。……そういえば、あなたを愛してくれる美人には会えたの?」

女はフラれたにも関わらず少しも落胆する様子はない。なんてことはない、これは大人の駆け引きなのだ。

「……ああ、会えたよ。妹が宣言した数年後にな……まぁ、あれは惚れるだろ」

その女性の顔は今でも忘れない。
最愛の妹を失い、荒んでいた当時の自分には勿体ないほど眩しい笑顔で笑う彼女。
料理下手なところが妹にそっくりだった。

「見た目も母親と妹を足して割ったような感じだったな……」
「つまり?」
「やばいぐらいの美人だった」

はぁ…と、うっとりしながら語る男はどう見てもただの阿呆にしか見えない。
本当にこの男がかの有名な錬金術師、タイアース・アールシャナなのか女は疑問に思った。人違いだったらとんでもない無駄足だ。

「……ねぇ、一ついいかしら?」
「なんだい?」
「その妹さんの形見……『時空の鍵』を一目見てみたいわ」
「あんた錬金術師じゃないんだろ?見てもつまらないと思うよ?」
「いいじゃない。見てみたいのよ。そんな凄い鍵、滅多にお目にかかれないだろうから……」

女はにっこりと笑う。警戒心を抱かれないようあくまで自然に。

「うーん、美人の頼みはには弱いんだよなぁ。よくそれで怒られたっけ……」

昔っから……と笑うタイアースは妹を思い出して再びにやける。

「ねぇ、ぜひ見てみたいわ。お願い…」

上目遣いで男の腕をくみ、懇願する。
これで落ちない男はいない。女好きのタイアースならなおさらだ。

数秒もしないうちに、仕方ないなぁ、とタイアースは胸ポケットをごそごそと漁りだした。
よし、落ちた!と女が確信に広角を上げた瞬間、胸元へと突きつけられたのは鍵ではなく、鉄の塊。

「っ……!」
「見せてやってもいいけど、その前にあんたも見せてくれよ。その、そそる身体を全てさらけ出して誠心誠意俺に奉仕してくれたら見せてやるさ」
「……傲慢な男は嫌われるわよ」
「ご忠告どーも」

轟音、後、店内を包む悲鳴。
それら喧騒に紛れ酔っ払い共の間をすり抜けながらタイアースは店を後にする。

「じゃあね、お姉さん。次は違う出会い方をしたかったぜ」

硝煙の上がる拳銃を懐にしまうと、首からぶら下げているネックレスを月夜に翳した。
革紐の先に繋がっているのは妹の忘れ形見などではない。『時空の鍵』は彼女が全身全霊を捧げて創ったもの。これはディアナ自身なのだ。

「そう簡単に渡すかっての」

タイアースは愛おしそうに鍵へと口づけを落とす。
絶対に渡すものか。これは、これだけは譲れない。唯一無二の宝物。

「俺の可愛いディアナ。お前は『時空の番人』を待ってるんだよな?だったらそれまで俺が何としてでも守ってやるさ。お前も世界も……」

ディアナがそうしたように、タイアースもまた命をかけて『時空の鍵(ディアナ)』を守る。
それは兄としての本望であり、番としての役目。
タイアースもまた、アールシャナ一族の呪いを受け継ぎし運命なのだ。

「……さーて、飲み直すか」

闇夜に紛れタイアースは月明かりに照らされた道を進む。どこまでも、どこまでも。妹の見た未来へと辿り着くまで。


ちなみにこの後、別のバーで知り合った女性を口説いてるタイアースの姿が目撃されたらしいが、真相は『時空の鍵』のみぞ知ることである。


***


タイアースが去った飲み屋では、撃たれたはずの女性が消えたとまた騒ぎになっていた。
幽霊、ゾンビ、キメラ説などなど飛び交う店内。そんな中、渦中の女性はと言うと店の裏側で自身へと容赦なくぶち込まれた鉛玉を吐き出し、忌々しそうに月を睨んでいた。

「タイアース・アールシャナ……間違いなく本人だったみたいね」

窮屈なドレスの胸元を爪で引き裂き、豊潤な胸元を露わにする女。
鉛玉なんて彼女には関係ない。一回死んだだけのこと。彼女は不死に近い身体を持つ存在、ホムンクルスなのだから。

「今回は上手く逃げられたけど、次はそうはいかないわ。顔もわかったことだし、帰ってお父様に報告しなきゃ……」

色欲のホムンクルスであるラストとしては、色仕掛けにタイアースが乗ってこなかったのは屈辱だが、今はそれでいい。
いずれ屈辱と苦痛に満ちた表情をするのはあの男なのだから。

その瞬間を想像し、ラストは高揚する身体を鎮めるようにして店の方を振り返った。未だ店内は喧騒に賑わっている。

「騒がれると面倒ね……」

全員いなかったことにしちゃおうかしら、と冗談に聞こえない台詞を吐いてラストはため息をついた。




─*─*─*─*─*─

あとがき。

お久しぶりです\(^o^)/
最近は移転作業に伴う加筆修正ばっかりだったので、ちゃんとした更新はすごく久々ですね!
なのに本編ではなく番外編も番外編、前世代スピンオフ!
イリーガルは人気なんですけどね、タイアースも少しは好きになってほしくて……ほしくて……書いたんですが……あれぇ?私の中のタイアースに対する好感度下がっちゃったよΣ(゜ω゜)うけるー。
重度のシスコンで、女(綺麗なら男)にもだらしなくて、汚いことも悪いこともしれっとやっちゃって……ダメなやつだこいつ!
でもまぁ、子ども2人で生き残るのに必死だったんだよね。実質、妹養ってたわけだし。
ちょっと愛情のベクトルおかしい気もするけど。
普通に軟禁してますからね、こいつ。

タイアース「ディアナに恥じることは何一つしていない」

あー、はいはい。黙れシスコン。
イリーガルと良い勝負で変態だった。
まともな大人がいやしない(´・ω・`)
こんなんでもね、30代になったら落ち着くはずなんですよ、たぶん。

タイアース「ディアナへの愛は生涯変わらん」

わかったから、黙れシスコン。
ではでは、お付き合いいただきありがとうございました!


2016.01.27 いろは遊



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