アールシャナ一族は代々、正式な後継者とその番(つがい)は双子で生まれる。後継者は時空に干渉する何らかの能力を持ち、数奇な人生を歩むこととなる。
『時空の番人』であるリト・アールシャナは歴代の後継者達の中でも群を抜く能力を有し、世界を自在に渡ることができる。
しかしながら、それは彼女一人の力ではない。
世界を繋げるのは彼女の持つ『時空の鍵』の能力だ。
文献によると『時空の鍵』はリトの先祖である錬金術師、タイアース・アールシャナによって創られたとされているが……残念ながらその詳細は明らかではない。
彼に関してはその業績の偉大さを称え、伝説級の逸話も多く残っているのだが、肝心の彼自身について語れる者は当時からそれ程多くはいなかったようだ。
多くの謎に包まれた伝説の錬金術師。
『時の賢者』とまで呼ばれたその男の素顔はいったいどのようなものだったのだろうか。
ある者は語る。彼はたいへんな女好きだったとか。
また、ある者は語る。いやいや、彼は美しいものを好んでいただけで、そこに性別や年齢の壁は無意味だったとか。
どれもこれも、知れば知るほどタイアースがろくな人間ではなかったと思えるものばかりだが、1つだけ興味深い話がある。
タイアースには何よりも愛した人がいた。
誰にも見せたくないほど寵愛し、秘蔵っ子として囲っていた女性と呼ぶにはまだ幼いその人は、血の繋がった双子の妹だったそうだ。
とはいえ、タイアースという名が世間に浸透するのに反比例して妹は本名すら公にされていない。
一説ではタイアース自身が妹に関わる全てのものを俗世から排除したらしい。
それが本当だとすれば『時の賢者』、つまりはアールシャナ一族の能力が如何に強大で恐ろしいものか理解できるだろう。
タイアースがそうまでして隠し通したかった妹は何を知り、何を思い、何を残したのだろうか……。
***
ディアナ・アールシャナ。それがあたしの名前。
親は覚えていない。物心ついたときから兄妹2人で生きてきた。正確に言うと親族はいたが、どいつもこいつも目が気に入らなかった。
銀髪と紅い瞳。アールシャナ家の後継者の証を持って生まれたあたし達を見る親族の目は、自分たちと違う存在を恐れ嫌悪するそれ。そのくせ、いずれ開花するであろうその能力の恩恵にあやかろうと媚びを売るその浅ましい目が大嫌いだった。
世渡りの上手い兄さんと違って、私は親族の誰とも馴染めなかった。正直、兄さんの重荷でしかない。正式な後継者だって兄さんなんだから、あたしなんてさっさと捨ててしまえばいいのに。
「兄さんなんて大っ嫌い」
「こらこら。そんなに怒ると美人が台無しだぞ?せっかく俺に似て美形なのに。可愛い可愛い、俺のディアナ」
「ふざけないで。双子なんだから顔は似てるに決まってるじゃない」
可愛くない憎まれ口をたたく私のどうしようもない性格も兄さんだけは愛してくれた。ちょっと過保護だった気もするけど、正直うざいときもあったけど。それでも兄さんだけが唯一の家族だった。たとえ、いろんな女の人の所へ夜な夜な出かけるクズだとしてもだ。
それでも朝になればあたしのところへ帰ってくる。それだけであたしは生きる意味を見出せた。兄さんの帰る場所になる。それが、あたしに出来るあたしだけの役目。
でも、兄さんにとってあたしは唯一じゃなかった。それを知ったのは15歳の春……。
──ガタッ
「っ……!……ぁ、痛ぃ…」
「!?ディアナ!どうした!ディアナ!」
突然の頭痛。世界が震える感覚にあたしはその場にうずくまる。いつも飄々とおちゃらける兄さんが見たこともないほど焦った顔をしているのがわかった。
そして、同時に頭に浮かんだ見たこともない景色。知らない言葉を話し、知らない文化を持つ生き物達。人間、動物、機械、魔法、感情、価値観……どれもこの世界にないものばかり。
「どうしたタイアースくん?……おや?ディアナちゃんのその瞳は……」
「っ!見るな!」
肥え太った親族の男からあたしを隠すように兄さんは抱き締めた。でも、そのせいであたしは見てしまった。兄さんの紅い瞳にうつる自分の瞳を。同じ紅なのに、兄さんよりももっと深い紅。
そう、アールシャナ家の正統な後継者は兄さんではなく……あたしだった。
***
あたしが後継者だとわかってから、兄さんがあたしの番だとわかってから、親族の態度が一変した。
露骨にあたしを可愛がる。でもそれは愛しさなんかじゃない。あたしを利用し、あわよくば能力を自分たちの物にしようとする醜いハイエナども。
あたしと兄さんは2人で生きていくことを決め、親族の家を出た。
「兄さん……ご」
「めん、なんて言ったらお兄ちゃん怒っちゃうぞ」
「だって……あたしさえいなければ……あたしが我慢すればいいだけじゃない!」
「俺はそんなの望んでませーん」
プイッとそっぽを向きながら兄さんはあたしの手を引いて歩く。山道を獣道を。もう人家なんて10日以上見ていない。
「……ディアナ。俺の可愛いディアナ。俺はお前の番だ。この先、何があってもお前のそばにいる。ディアナを一人にはさせない」
「嘘……女の人のところ行くくせに。不潔」
「うっ……それは男の性なんだから仕方ないだろ。それでも、一番はディアナだよ。番とか関係なく、お前が愛しい。たった一人の妹なんだから……」
「馬鹿……兄さんはほんとに馬鹿だ…」
月明かりに照らされた兄さんの顔は慈愛に満ちていて、あたしはまだ小さかった頃のようにその腕の中で泣いた。
その言葉も表情も今の兄さんの本心だと知っていたからだ。そしてそれが不変じゃないことも知っている。
アールシャナ家の能力を継いだときに見てしまった未来。
それは兄さんのそばに寄り添う綺麗な女の人。優しそうで花のように可愛らしく笑う、あたしとは正反対の人。兄さんはきっとあの女性と恋に落ちる。
アールシャナ家の後継者、『時空の鍵』として見てしまった未来。兄さんは将来あたしから離れていく。
「行こう、ディアナ。この先に家を建てよう。俺とお前の錬金術があれば何でも出来るさ」
「……うん、そうだね兄さん」
それでもいい。たとえいつか離れていくとしても、今だけはあたしだけの兄さんだから。
***
兄さんの女遊びはそれからも変わらなかった。
毎夜ではないけれど、たまに街に降りては女だか男だか知らないが相手をして帰ってくる。それを咎める権利はあたしには、無い。
あたしは街には降りられない。親族が捜しているからだ。兄さんほど周囲の気配を読んで機敏に動けないあたしは、いつも家で兄さんの帰りを待つ。
不自由はない。兄さんはどこで稼いで来るのが知らないがまとまったお金を持っていて、それで綺麗な洋服や家具を買ってきてくれる。
まるでドールハウスのようなあたしの部屋やクローゼットは、おそらく兄さんの趣味だろう。目下、頭痛の種だ。
あたしが退屈しないようにと、兄さんが買って来てくれた本や新聞もずいぶんとたまった。その新聞の死亡記事にあの親族の名前が載っていたが、今のあたしには関係ない。あたしの世界は文字通り兄さんだけだから。
そう信じて疑わなかったし、そう信じたかった。