紅の幻影ss | ナノ


Little Girl X  




汚れを知らない白い花。

散りかけているその花に、黒く染まれと冷たく凍れと、闇が近づき唆す。

可憐な花に届かぬ光、それでも光は花を捜す。




─+─+─+─+─+─



(リトside)

「………寒い…」

誰に言うわけでもなくポツリと呟き、冷たい風に肩を震わせた。

そりゃあ寒いはずだよ。だって今は夕方で、ここは公園だもん。しかも、さっき頭に付いた血が気持ち悪くて水道で頭を洗ったから余計に寒い。
“きかねつ”って言うんだっけ?液体が気化する際に外部から吸収する熱量で、通常は物質1gまたは1molを気化させるのに必要な熱量のこと。例えばセ氏100度の水1gの気化熱は……あれ?何だっけ?2……2257ジュールぐらいだったかな?あんまり自信ないな、帰ったらちゃんと調べよう。
そう言えば、mol(モル)の定義って何だっけ?元素単位がどうのこうのだった気がするけど………、

──ビュウッ

……あ、ダメだ。別のこと考えてても風が吹いたらやっぱり寒い。
わたしは芝生の上に体育座りをして、なるべく体を小さく丸めた。それでも寒いのは、きっと風のせいだけじゃない。

「……寒いよ……」

空はあんなに暖かそうなオレンジ色なのに、何故か凄く悲しい色に見える。
公園の芝生や木々が行う“じょーさん作用”も、今はいたずらに気温を下げてわたしに嫌がらせをしているとしか思えない。

「…………嫌い」

冷たい風も、悲しい夕焼けも、草も花も……みんな嫌い。エドとアルも大嫌い。

「嘘つき……信じてたのに…」

また涙が出てくる。

嫌いだよ。でも、そんなことばっかり考えてる自分が一番嫌い。エドとアルに『大嫌い』なんて言った、わたしが大っ嫌い。

エドとアルも、わたしのこと嫌いになったのかな?だからお昼になっても、ホテルに帰って来てくれなかったのかな?

「わたし……一人ぼっちになっちゃった」

ポロポロと零れる涙がまるでそれを肯定しているようで、わたしは何にも見えなくなるように顔を膝にうずめた。

すると…、

──ガサッ
「リト、ここにいたのか!…ったく、心配かけさせやがって…!」

芝生を踏む音と聞き慣れた声に、思わずわたしは顔を上げた。

そこに立っていたのは、走ってきたのかやけに呼吸の荒いエド。額に浮かばせた汗を拭いながら、わたしに手を伸ばす。

「ほら、帰るぞリト?」

けれど、わたしはこの手を取ることが出来ない。
一向に手を掴む気配を見せないわたしに、エドはやれやれと溜め息をついた。

「まだ怒ってんのかよ?」

違う、怒ってるわけじゃない。寧ろ怒られるのは、わたしの方だ。嫌なこといっぱい言って、困らせて二人に謝らなければいけない、ごめんなさいと。

………でも…今、エドの手を取らないのは別の理由。わたしは唾を飲み込んで言った。

「あなた……誰…?」

情けないけど声が震える。だって、これはエドじゃない。エドの周りの空気はこんなに寒くない。もっと暖かくて太陽みたいなエドだから、このエドは偽物だ。

「あなたは……エドなんかじゃない!」

崩れ落ちそうなぐらい力の入らない足を気合いで奮い立たせ、わたしは噛みつくように叫んだ。
すると、その人はニヤリと笑う。

「やっぱ小さくなっても、リトはリトか……」
──パキ パキ パキッ

何が、起こったのか理解できない。エドじゃないと言ったのはわたし。だけど……今、起きていることが信じられない。

だってこんなのありえない、普通はありえない。ありえない……ことのはずなのに、エドだったその人は当たり前のように姿を変えた。

──パキ パキ パキッ
長い黒髪と変な服。女の人と間違えそうなぐらいキレイな顔をしているけど、たぶん男の人。

「あなた……今朝の…っ」

貼り付けたような笑顔を浮かべるその人は今朝出会った人。人を平気で殺して、わたしに嫌なことをいっぱい言ってきた人だ。
思い出したのと同時に、体の中から逃げろと叫び声が聞こえてくる。

わからない、こんな人知らない。
でも……怖い………っ!


──…怖い怖い怖い怖い!
──…この人は、怖いっ!


頭の中で血だらけの女の子が私と同じように叫んだ。

「やだ……来ない、で……いやっ!!」
「あはっ……、あの日と一緒だね」

怯えるわたしを見て至極愉しそうに笑う黒い人。

「あの日……?」

今朝じゃくて、あの日って?今の、この危機的状況からすれば、そんな疑問は些細なことなのかもしれない。でも、何でか分からないけど“あの日”というものが妙に引っかかる。

「そう、10年前の“あの日”だよ」
──ザッ
「ッ!来ないで!!」

訳の分からないことを言いながら黒い人はわたしに近づく。

10年前なんて知らない、わたしはまだ生まれてない。とにかく、この人は危険な人。逃げなきゃ……────殺される!

わたしは震える足を叱咤し、必死で走ったが…

「───……あッ」
──ドサッ

足の速さには自信があったのに、恐怖はこうも人を変えてしまうのか。足が上手く動いてくれない。

動いてよ!お願い!わたしの足でしょ!!動け!動けってば!!!!そう強く叫んだつもりでも声すら出せない。膨れ上がる恐怖心を悲鳴として吐き出すことすら叶わない。
そうこうしている間にも黒い人はわたしに近づき、紫色の瞳を細めて言う。

「そんなに怯えないでよ、ますます虐めたくなるからさ…」

──チャキ
わたしに向けられた銃口。

尻餅をついたままそれを見上げ、迫り来る死にわたしの全てが震えた。

「ゃだっ……やめて…よ……」

何て弱々しい声なんだろう。まだ、わたしは生きてるのに声は死にかけてる。嫌だ……死にたくない…!


「……やっ、だ……死にたく、ないッ」
「ああぁぁぁああ!!おかぁ、さんっ……おと、さんっ……一人に、しないで…っ」


何…これ……?
頭の中に声が響き断片的な映像が流れた。幸せを壊す黒い人が笑ってる。その足下で血まみれの女の子がすがりつくのは……、

「お父…さん?……お母さん…?」
「だーかーらー、リトの親は死んでるんだってば」
「………ッ!」

頭上から降ってきた声で、わたしハッと現実に引き戻された。

──ドクン……ッ、ドクン…ッ
そうだ。あれは、わたしの記憶だ。まだ上手く繋がらないけど、確かにわたしが経験した出来事。そして、この悲劇のシナリオがあの日と同じなら……───

「たす、け……」
「いい加減理解しなよ。誰も助けてくれない。だってリトは一人ぼっちなんだから。今も……昔もね」

残酷な台詞を笑顔で囁き、わたしを絶望へと突き落とす彼はあの日と変わらぬ姿。そして、わたしも…

「やだ……死にたくない……ッ」

あの時と同じ、ただ恐怖に震えながらギュッと頭を抱えて縮こまることしか出来ない。弱い存在だ。だって仕方ないでしょ?手を伸ばしたところで誰も助けてくれないんだから。

そうだ、あの日わたしは一人で泣いてたんだ。
お父さんもお母さんも殺されて、誰も……神様ですらわたしを助けてはくれなかった。
信じる人?頼れる人?そんな人、どこにもいない!!
……、……でも!!

「助けて……エドッ、アル……っ」

目を瞑ったのに、あの二人の顔だけはどうしても消えない。真っ暗な闇の中で小さな黄色い光が消えないんだ。

「助けてよぅ……エド…」

自分から大嫌いと言ったくせになんて図々しいんだろう。改めて都合のいい自分に嫌悪する。それでも、わたしの記憶の中で誰かが言ってたんだ。


「─……お願い、エドを頼って」


全然知らない人なのに、わたしはこの人が大好きだった気がする。だって、この人の声はエドみたいに暖かい。

「エド……ッ」
「だから、鋼のおチビさんは来ないって」

呆れるように腰に手を当て、ため息をつく黒い人。わたしはそんなこと関係なしにエドとアルの名前を呼び続けた。

「……ふーん。言っても分からないんなら体に教えるしかないね」

黒い人は今までで一番愉しそうな笑みを浮かべると、わたしの右足首を掴んで固定し銃口を押し付けた。

「ちょっと痛いけど我慢しなよ?」
「っ!いやァ!!やだやだやだやだ!!」

クスクス
当てられた銃口から伝わる冷たさがリアルで、わたしは狂ったように泣き叫ぶ。
助けて……誰か…ッ、助けて………エド……──

「っ……助けて、エドーーッ!!!」

──パン バシィッ
それは、わたしと黒い人しかいないと思っていた公園に突如響いた第3の音、強烈な光を伴う魔法の合図。
大地の揺れに目を開ければ、わたしの周りの地面に稲妻が走り隆起した。それは瞬く間に鋭い棘となり黒い人へと向かっていく。

「おっと……っ」

黒い人は軽いステップでそれをかわしてしまったが、おかげでわたしは右足首の痣を残して解放された。

「っ……ぁ、あ……ッ」
「リト!!」

何が起きているのか理解しきれず呆然とするわたしの体が、名前を呼ぶ声と同時に抱き締められる。そこから伝わるひんやりとした金属の冷たさ。

「エ…ド……?何で、来てくれたの…?」

生身の体じゃない固い腕、赤いコートに金色の三つ編み、暖かくて優しい声。今度こそ偽物じゃない、正真正銘本物のエドだ。
わたしが大嫌いって……酷いこと言ったのに来てくれた。どうして?と、ポロポロと涙を零すわたしの手をエドは温めるように優しく包む。

「約束しただろ?絶対、守るって」

一人にさせて、ごめんな?と、エドはわたしの涙を袖で拭った。

「エド……ぇ、ど…っ、うわああぁぁぁ!!」

わたしはエドにしがみつき、溜まっていた恐怖とエドが来てくれたことへの嬉しさを涙として解き放つ。

「…リト、お前は一人じゃない」
「ぅん、っ……」
「オレが側にいる」
「エド……ぅああぁぁ…っエド、エド…っ」

“エド”と呼ぶ度に何かが満たされた。わたしが泣きじゃくる間、エドはずっと背中をさすってくれていた。


「……お前は泣いていいんだよ」


記憶の中の誰かが言った。いや、“誰か”じゃない。この人は“エド”だ。優しい優しい、わたしの大好きなエド。

「ヒック…っ、うっ……」
「落ち着いたか?」
「ぅん……、だいじょぶ…ッ」
「そっか。んじゃ、もう少しだけ大人しくしとけよ?」

エドはわたしに笑いかけた後、わたしの後ろをキツく睨んだ。わたしも体はエドの方を向いたまま、首だけ振り返って後ろを見る。沈みかけている夕陽が眩しい。

「あ〜ぁ、何で邪魔するのさ」

赤々と、まるで血のような夕陽を背に立つ黒い人。逆光でその表情は読み取れないけど、声はかなり不機嫌だ。

「てめぇが……エンヴィーか…!」

苦しいくらいわたしを抱きしめ、エドは忌々しそうに黒い人のシルエットを睨んだ。エンヴィー……それが、この人の名前…?

「許さねぇぞ、お前だけは絶対に許さねぇ!!!」
「あんたさぁ、自分の立場が分かってないみたいだね?生かされてるだけのくせして……殺すよ?」
「………ッ」

殺す?エドを殺すの?嫌だ、エドを傷つけないで……嫌い……この人は嫌い!

──ドクンッ
何かに呼応する鼓動、草木はざわめき空気が凍る。

「………エンヴィー…」

発した声はさっきまでとは全く違う冷たい声で、エドが驚いたようにわたしを見た。わたしは緩んだエドの腕から抜け出して涙を拭うとエドの前に立ち、エンヴィーを見上げる。

わたしから大切な人達を奪おうとするエンヴィー。もう、怖くない。殺される恐怖よりも、失うことの方が何倍も怖いってわたしは……私は思い出したから。
真っ直ぐとエンヴィーを睨む瞳は、深い紅の瞳。

「私はあなたが大っ嫌いです」

殺気と冷気を含んだ声で言い切ると、私は糸が切れたように意識を手放した。

「…──ッ─……」

目の前が暗くなる寸前に見たのは満足そうなエンヴィーの笑み。倒れる寸前に聞こえたのは必死で私の名を呼ぶエドの声だった。





──チュン チュン

小鳥の囀りが朝を告げる。
目を覚ました私が最初に見たのは見慣れた軍の仮眠室の天井で、次に鏡を見れば少し寝癖のついた銀髪と、眠そうな紅い瞳が映っていた。

「……元に……戻ってる…?」
「何だ、ちゃんと記憶はあるんだな」
「……っ!!」

我ながら気が緩みすぎだ、部屋にいる人間の気配に気づかないなんてこれがもし暗殺者だったなら、私はこの瞬間に命を落としているだろう。
不覚をとった自分に喝を入れ、私は声の主──……エドの方を向く。

エドは私が目覚めたからか、それともただ単に読み終えてしまったのか、手に持っていた本をパタンと閉じると椅子から立ち上がり、伸びをした。

「着替えはホークアイ中尉がやってくれたから。オレは触ってない」
「……そうですか」

言われて自分の姿を確認してみると、ワンピースでも制服でもなく、ゆったりとした寝衣を着ていた。

「着替えるんならベッドの下にお前の荷物が……勝手に開けるのも悪いと思って全部持ってきた」

エドが指差したベッドの下を覗き込めば、なるほど、宿に置いてた私のトランクやコートらが一式置いてある。黒く重いコートも今の私にはピッタリのサイズで……こうしてみれば全部夢だったんじゃないかと思ってしまう。

けれど、黒いコートの下に置いてあるのは薄いグリーンの子ども用ワンピース。

「………」

やっぱり夢じゃなかった。本当に2日間、私の体は縮んでいたのだ。

あの煙には何か細胞を萎縮させるような成分でもあったのだろうか。幼児化するホルモン……?しかし、仮にそうだとしても記憶の説明がつかない。あの時、私は身体年齢に比例して記憶や知能も退化していた。
脳や神経の一部を可逆的、つまりは元に戻す術を残しながら破壊させるなんて……あまりにも非現実的すぎる。少なくとも今の科学技術では不可能だ。

「……それにしても…」

私が頭を抱えて悶々と考えているとエドは私に意味深な笑みを向けた。その笑顔がひどく気に入らない。

「……何ですか?」
「そんな睨むなって、怖ぇから。やっぱお前、ガキの頃の方が素直で可愛いな」
「……ッ!!」


「わたし、エドのこと大好きっ!」
「っ……助けて、エドーーッ!!!」


思い出したくもない恥ずかしい台詞。いくら幼いとは言えエドに助けを求め、ましてや好意を示すなんて……あんなの認めない!!

「嫌いです!あなたなんて大っ嫌いです!!さっさと出て行って下さい!!」

精一杯睨んで言うが、赤くなった顔では普段の半分の迫力も出ていないらしい。

エドは口を押さえて、笑うのを堪えながら部屋を出て行った。

──バタン

「……わたしも、大人になったらお母さんみたいな美味しいたまご焼きを作……」
「しつこいです!!」
──バンッ

閉じられた扉の向こうから聞こえた嫌味に、手元にあった枕を扉目掛けて渾身の力で投げつけた。

「……まったく、あんなの早く忘れて下さい」

エドの気配が完全に消えたところで私は独り呟く。
この2日間の私は“わたし”であって、私じゃない。両親のいない今、笑顔を浮かべることの出来る“わたし”は現世の親友達のための私。

「この世界にいる私は……あんな風には笑えない」

エンヴィーを見ても怯える事はないし、エドに助けを求めるなんて論外だ。私はただ凍った心で刀を握り、いつも誰かを傷つける。
痛む心など疾うに有りはしない。だって私はこの世界の全てを拒絶したのだから。

……ただ、


「何で、来てくれたの…?」
「約束しただろ?絶対、守るって」


十年前は誰も掴んでくれなかった冷たい手。今は『大嫌い』と言ってしまった幼い私の手すら、あなたは掴んでくれた。あの日、孤独と絶望の中独りで流した涙も、あなたは受け止めてくれた。
少なくとも昨日の“わたし”は救われた。

「そこだけは……感謝してもいいですよ」

──パン バシィッ
エドに買ってもらったワンピースの一部を小さなスカーフに錬成し、宝物であるネコのぬいぐるみの首にそっと巻いた。

「……嗚呼、今日も空は青いですね」

ふと見上げた空には、鮮やかな黄色い風船がフワフワと漂っていた。




お わ り



2009.11.08



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