紅の幻影ss | ナノ


Little Girl V  




魔法に憧れたあの頃。

朝は無限の可能性を抱き、夜は明日を夢見て眠る。
そんな優しい世界が脆くも崩れ去ることを、まだ知らなかった遠い日の彼女。

幸せの終わりはいつだって突然訪れる。



─+─+─+─+─+─



日が暮れるまで遊んだ三人は、東方司令部へと戻ってきた。

「リトを元に戻す方法、見つかった?」

リトに聞かれないようエドはこっそりとロイに聞くが、ロイは眉間を押さえて首を横に振るばかり。

「あのおかしな煙に関する研究書を見つけるのも一苦労だ」

何せゴミ屋敷と言っても過言ではないほどの家から目当ての物、それもあるかないか分からないような物を見つけるなんて、大海に投げたコインを探すようなものだ。その上、下手に家捜ししてリトの二の舞になってはシャレにならない。

「そうか……」
「どうしたの?」
「……ッ!!」

エドは残念そうに下を向くと、キョトンとしたリトがエドとロイを見上げていた。不意をつかれた二人の心臓が跳ね上がる。

「い、いやっ!何でもねーよ」
「そう?……あのね、リザお姉さんが紅茶をいれてくれたの」

リトが指差す先には机の上に並べられた二つのカップ。一つは普通のサイズで、もう一つはリト用に小さいものだ。

「大佐もどうぞ」
「あぁ、すまない。いただくよ」

ロイはリザが淹れてくれたコーヒーを啜りながら、子ども達を見た。

「フーフー…フーフー…」
「大…丈夫か……?」

リト用の紅茶は少し温めに淹れてくれたのだがそれでもまだ熱いようで、小さな口から息を吹きかけ一生懸命に冷ますリト。

「かしてみろ。」

見かねたエドがリトからカップを受け取り、少しだけ息を吹きかけて冷ますと、ほんの少し口に含んだ。

「…ん、カップは熱いけど中身はそんなに熱くねぇから大丈夫だ」
「本当?……んっ、ちょうどいいぐらい」
「だろ?」

リトが飲めることを確認したエドは、自分もやや冷めてしまった紅茶を飲み始める。

二人と違ってアルの前には紅茶がないが、リトはそれには一切触れなかった。何となく触れてはいけない気がしたのだ。
それでも今日あった楽しいことを仲良さげに話す三人は微笑ましい。

「ずいぶんと嬉しそうだが、そんなに楽しかったのかね?リト?」
「うん、とっても楽しかったよ、おじさん!」
「おじっ……」

口角をヒクつかせるロイを余所にリトは即答すると、隣でちょうど紅茶を飲み終えたエドに、ねー?と同意を求めた。もちろんエドもそれに肯定で返す。

「(おじさん…)……それは何よりだ……鋼ののことも気に入ったようだね」
「はがね、の?」
「兄さんのことだよ」

そう言ってアルが指差したのは、鈍い光を放つエドの右腕。

「あ、そっか!はがねだね!!」

“鋼”というものがどれほど重い称号かを知らないリトは、納得したように無邪気に笑う。そして爆弾を一つ投下した。

「大好きだよ!」



……………は?

と一瞬の沈黙が流れる執務室。
まるで最初、エドとアルが小さくなったリトを連れてきた時のように皆……今度はエドとアルまで固まった。

「(まさか?聞き間違いだろ?)」
「(“氷の微笑女”と謳われる彼女が?)」
「(いくら小さくなったとは言っても…)」
「(あのリトが、ましてや兄さんを?)」

エドたちは心の声で会話するが返事がないのを聞こえてなかったと捉えたリトは、わざわざ言い直してくれた。爆弾二発目。

「わたし、エドのこと大好きっ!」
──ガタッ! パリンッ!


信じられない発言と眩しい笑顔にエドは驚き、その拍子にカップを机から落としてしまう。割れたカップに中身が入ってなかったのが、不幸中の幸いといったところか。

「あーぁ、エドが壊しちゃった」
「(このガキ……っ、誰の所為だと思ってんだよ……!)」

自分の言葉がエドを動揺させた。そんな事は夢にも思わないリトは小馬鹿にしたような笑みでエドに言い、割れたカップを拾おうと手を伸ばす。

「あ、リト!触っちゃダメだよ、手とか切ったら危ないでしょ?」

リトの両脇に手を入れ、アルは軽々と持ち上げた。

「でも、掃除しなきゃ……」

「平気だよ、直ぐ元に戻るから」

アルの言葉にリトは首を傾げ、その前ではエドが片膝をついてしゃがんだ。

──パンッ
まるで「いただきます」の合図のように両手を合わせるエド。

「何するの?」

幼児化したリトは錬金術の記憶も失っているようで、アルの言葉とエドの行動の意図が読み取れず、キョトンと割れたカップを見た。

「まぁ、見てろって。すごいから」

エドはニッと笑い、両手をカップに翳した。

──バシッ バシバシバシ…ッ
大きな音がリトの耳を突き抜け、青白い光がリトの肌をより一層蒼白に見せる。その両方が止んだ時、リトの目の前には新品のようなカップがちょこんと置いてあった。

「う……ぁ…あっ……!」

リトは大きな瞳をゆらゆらとさせ、誇らしげなエドと元通りになったカップを交互に見やる。

「エド…今のって……」
「すげーだろ?錬金術って言って…」
「エド!“魔法”が使えるの!?」
「そう、魔法が……って、まほぅ!!?」

リトはアルの腕の中からスルリと抜け出し、キラキラした瞳でエドを見た。

「え、あ……いや…、これは魔法じゃなくて、その…」

確かに錬金術を知らない子どもから見れば、魔法なのかもしれない。けれど、これは錬金術──…つまり、科学だ。魔法などという曖昧なものと一緒にしないでほしい。これが錬金術師の本音。
しかし、その一方で『こんな小さな子に錬金術を理解してもらうなんて、無理なんじゃないか?』とも思ってしまう。

そんな風に返答に困ったエドが目を泳がせていると、リトはロイの所へ行き、不要になった紙とペンを貰ってきた。

「わたしもね、一回だけ魔法が使えたんだよ?」
「……え?」

エドのとはちょっと違うけどね、と言うと貰った紙に拙いながらも円を描き、線や文字を書き加えていく。
そして、出来上がったのは……

「「錬成陣……!?」」
「これは驚いた。まさか、こんな小さな頃から……」

どうだと言わんばかりにリトが掲げた紙をエドとアルはマジマジと見つめ、ロイも感嘆のため息を洩らした。

「お前、なんでこんなもんが書けるんだよ…?」
「えへへ〜、すごいでしょ!……あのね、家にたくさん本があってね、お父さんとお母さんがそれを読みながら何か書いてたの」

入ってはいけないと言われていた研究塔。
しかし、好奇心が旺盛で……また、一人で遊ぶことへの寂しさを覚えたリト。そんな彼女はよく両親の目を盗んで忍び込み、こっそりと二人が研究している姿を覗き見していたのだ。

「それでね……二人が描いた魔法陣を見よう見まねで、わたしも描いたの。そしたら……───」


子ども用のらくがき帳にクレヨンで描かれた錬成陣。リトがそれに触れた瞬間……

──バシッ バシバシバシッ!!


「さっきのエドと同じように、魔法の光と音がして…」

話していくうちにリトの目線と声のトーンが段々と下がっていく。

「……気づいたら、部屋の中があちこち凍ってた……」


凍った部屋。己が何をしたのか、何が起こったのか理解できず、ただ放心して立ち竦む。

「リトっ!!どうしてここに…?!」
「……今のは、あなたがやったの?」

驚く両親の顔。自分の手が震えているのは、両親に怒られると思ったから?それとも急に寒くなった気温のせい?それとも……?


リトは俯いて自身のスカートをギュッと握る。

「それから……お母さんが、泣いてた…」

顔を上げて呟いたリトはひどく悲しげだった。

リトが両親の前で使ったのは、間違いなく錬金術。リト曰く、両親は錬金術を使えなかったそうだが、リトの行ったそれが錬金術だという事ぐらい理解できただろう。

「いつも笑ってるお母さんが、いっぱい泣いてたの……」


「どうして!?どうして、この子なのよ!」
「落ち着け!」
「だって…、何でリトが……ぁああっ!」

母は崩れるように膝をついた。

「オレ達が守ろう…。この子を巻き込んでたまるか!リトにはリトの世界があるんだ!」
「リト……」

痛いくらい自分を抱きしめる母の腕は震えていて、普段は決して泣かない父の目には涙がたまっていた。

何故、こんなにも両親が悲しむのか?
何故、自分は魔法が使えるのか?

いや……そんなものいらない。二人を悲しませる魔法なんて、わたしはいらない……!

「ごめんなさい…ごめんなさい……ッ」

もう、魔法なんて使わないから。だから泣かないで、お父さん、お母さん……───


その日から両親は塔に鍵をかけ、リトを前にも増して隠すように育てた。

「(……きっと二人は分かってたんだな)」

リトがタイアースの日記を読んで、世界のことを知ったように。リトの両親も二つの世界のことを知っていた。
そして、リトの錬金術を見て確信したのだ。
自分達と違って“時の賢者”の才能を色濃く受け継いだリトがいずれ狙われるであろうことも、
エンヴィー達に見つかってしまえばリトの幸せなんて微塵も残さず奪われてしまうであろうことも。
だから友達もいない山奥で寂しい思いをさせると分かっていながら、リトを決して外界に触れさせなかったのだ。

「……なぁ?リトはお父さんとお母さんのこと……好きか?」

理由はどうであれ、悪い言い方をすれば両親はリトの自由を奪った。二人が研究塔に籠もれば、必然的にリトは一人ぼっちになる。
冬は極寒の北国で、たった一人……それがどれだけ寂しいことか想像に難くない。少しぐらい恨んでも可笑しくはないだろう。
だがリトは、先ほどエドを好きだと言った時と同じ笑顔で当然のように言った。

「大好きに決まってるじゃん!」
「っ……そうか」

本心から両親を愛しているという笑顔。親の愛情を一身に受け、自然の中で育った彼女に、恨むとかそういった負の感情など有りはしない。

とても優しい無邪気な少女。“世界”がリトに関わらなければ、彼女はこの笑顔も大好きな両親も失わずにすんだと思うと、リトの過去を知るエドとアルは胸がどうしようもなく痛んだ。
しかし、優しいリトのことだ。自分達が悲痛な顔をすれば、きっと彼女は心配する。そう思ったエドはいつかの美香がしたように、機転をきかせてその重苦しい空気を変えるべく、明るい笑顔をリトに向けた。

「リト。今日はもう遅いから、そろそろ宿に行って飯でも食おうぜ?」

いつもと変わらない太陽のような笑顔で、エドはリトの頭をくしゃくしゃと撫でる。

「(ねぇ、エド…どうしてそんなに泣きそうなの?)」

自分に向けられた笑顔が、とても悲しそうに感じた。

「(……それでもエドが笑顔を貫くのなら、わたしも笑って応えるよ)」

リトもまた聞きたいことを飲み込み、エドに負けず劣らず笑顔で返した。

「……うん、行こう!」
「よし!んじゃ腹も減ったし、宿までダッシュだ!!」

そう言ってエドはリトを自身の両肩の上に乗せた。いわゆる、肩車というやつだ。

「うっわぁーー…ぁ」

さっきまでずっと皆を見上げていたリトは、急に高度が増したことで視界がうんと広くなる……しかし、

「びみょ〜に、低いね!!」
「兄さんだから我慢してあげて、リト」
「んだとコラぁッ!」

いつも父親にしてもらっていた肩車。父親とエドではハッキリ言って身長が全然違うし、エドの肩車は右腕の機械鎧の付け根が太ももに当たり違和感を覚えてしまう。
ただ、リトにとっては初めてできた『友達』───…エドとアルが傍にいて、笑ってくれることが何よりも嬉しかった。

「エドの“せーちょーき”って、もう終わったの?」
「これからだ、これから!!あんまりうるさい落とすぞ!」
「やだ!」

リトはギューッとエドの頭にしがみつき、アンテナを掴んで高らかに言う。

「エド号、発進!」

きゃっきゃっと笑い、元気よくエド号に命令を出す操縦士。エド号は小さなパイロットの細い両足首を掴んで安全を確保すると、いたずらっ子のような笑みを浮かべエンジン全開、発進した。

「振り落とされんなよ?」
「あっ…待ってよ、兄さん!」

目的地は宿。タイムリミットはエネルギーが尽きる(空腹)までの、およそ30分。少し遅れて発進したアル号と共に、エド号は東方司令部を飛び立った。



日は沈み、アンティーク調の街灯が道を照らす頃。大通り沿いにある宿……と呼ぶには少々立派すぎるホテルのレストランに、奇妙な組み合わせの三人組がいた。

かたや体格に似合わず、よく食べる金髪の子ども。かたや料理を注文する様子が一切感じられない鎧。そして、その二人と同じテーブルにちょこんと座り、細い二本の棒を使って器用にたまご焼きを食べる少女。
異色な組み合わせのこの三人を気にするなという方が無理な話だ。

他の宿泊客やウェイターがチラチラとこっちを見てヒソヒソと話をする中、当の本人達はというと……大して気にしていない様子。マイペースにお食事を楽しんでいた。

「このたまご焼き、すっごくおいしい!」
「リトはたまご焼きが本当に好きだね」
「うん、大好き!」

……周囲の視線など眼中にない。客観的に見れば、『友達同士』とはまた違う、ましてや『恋人』なんて感じは微塵もないわけで、例えるなら『家族』。そんなアットホームな雰囲気が穏やかに流れていた。

「たまご焼きはお母さんの得意料理なの」

リトの家の食卓にいつも決まって置かれていたのは素朴なたまご焼き。母親の作るそれがリトは大好きだった。


母が冷蔵庫から卵を取り出せばリトは急いで椅子を持って、キッチンに立つ母の横に並んで身を乗り出す。

「お父さんには内緒よ?」
「はーい!」

二人で出来たてのたまご焼きの味見を兼ねた、つまみ食い。幸せだった日常。


日本ではお弁当の定番である料理だが、リトにとっては母親との大切な思い出だった。

「わたしも今はまだ上手に作れないけど、たくさん練習して。大人になったらお母さんみたいな、おいしいたまご焼きを作るの」

あぁ、罪のない笑顔が眩しい。リトがこの夢を実現させるのと、自分達が元の体に戻るの……一体どちらが難しいのかな、なんてエドとアルは真剣に思った。

「リトのお母さんは料理が上手なんだね」
「え?全然。」
「「……は?」」

先ほどからのリトの話し方だと家庭的な印象を受けるリトの母親だが、リトはケロリとそれを否定した。

「お母さんが上手なのはたまご焼きだけで、あとは下手っぴだよ?」

シチューを食べたお父さんは3日間寝込んだし、ケーキを作ったら何故か爆発した。手作りの果汁97%ジュースを庭に撒いたら、芝生が枯れちゃったもん……と、リトは遠い目をして言った。

「「(うわぁ……)」」

恐るべしリトの母。そして、それは未来のリトの姿か。

「リトの親父さん、すげぇな…」

会ったこともないリトの父親だが、その苦労がエドは手に取るように分かった。




(エドside)

食事を終えたオレ達はイーストシティ滞在中にいつも借りている部屋へと戻った。昨日までと違うのは使う部屋が一つだけだということ。

普段ならオレとアルの部屋、そしてリトの部屋の二つを借りている。まあ、その時の宿の混み具合で三人一緒の部屋になることも無いことはないが、軍人として周りに男が多かった所為か、同じ部屋で寝ることに関してはリトも気にしていなかった。

「……そのくせ、ちょっと触ったらキレるんだもんな」

……あ、触るってのは別に厭らしい意味じゃないからな?分かってるよな?つまづいてリトの腕を思わず掴んじまった、とかだからな?その辺は誤解すんなよ?いや、マジで。

……つまり、何が言いたいかと言うと、今回もちゃんと二部屋借りてあるのに、オレとアルとリトが同室なわけだ。治安のよくない街であんな子どもを一人で泊まらせる方が危ない。それに部屋が別だと言った瞬間、リトの瞳が潤み出したのもある。結局、1部屋はキャンセルし、ツインの部屋に3人で泊まることになった。

荷物も降ろし、漸く落ち着いたところでオレはさっき下で買ってきた今日の夕刊に目を通す。

“またもや国家錬金術師殺害!傷の男!!”
“第二次南部国境戦、ますます激化”
“連続幼女殺害事件 いまだ犯人の手がかり見つからず”
“ウィルブラン中将に暗殺予告 過激派テロリストか…”

どれもこれも物騒で嫌な話題ばっかりが並ぶ紙面に思わず溜め息が零れる。

「ねぇ、エド?」
「んー?」

ルームサービスで頼んだコーヒーを啜りながら夕刊を読むオレの側に、リトはトテトテと近づくと本日3発目の爆弾を直接投げてきた。

「一緒にお風呂、入ろ?」
ブヴヴヴヴ――ッ!!

うわっ…すげぇ。コーヒーが霧になるとか、どんだけ驚いてんだオレは……と妙に頭だけが冷静にツッコんだ。けれど冷静なのは脳の一部だけで、他の臓器やら神経やらはパニック状態だった。

「どうしたのエド?早く行こうよ?」

ちくしょう…っ!わざとか?わざとなのか?
何で右手にバスタオルと何かよくわかんねーアヒルのオモチャ持ってんだよ?何で左手でオレの服の裾を遠慮がちに握りながら見上げてんだよ?余計に目の大きさが強調されんだろうが!……は!そうか!!これがいつか大佐の言ってた『上目づかい』ってやつか!!リトのやつ、いつの間にそんな小悪魔テクを覚えてきやがったんだ。
(※身長差から必然的にそうなります)

「ねー、エド?お風呂入ろーよー?」
「ひ、一人で入れよ!風呂ぐらい!!」
「だって、いつもお父さんかお母さんと一緒に入ってるしから一人で入ったことないもん」

確かに今のリトの年齢を考えると、両親と一緒に入っていても不思議じゃない。でも、もっとよく考えてみろ?こいつは小さくてもリトなわけで、……あの、リトなわけで………

不純です!、と元に戻ったリトに叩っ斬られる想像は容易にできた。

「そういやアルはどうしたんだ!?」

こういう時こそ頼れる弟の出番だろう。アルに任せりゃたいていのことは上手くいく。オレは頼れる優秀な弟を探してキョロキョロと部屋を見渡した。
(※押し付けようとしているだけです)

「アルなら“しれーぶ”に行ったよ。眠くないから徹夜で探し物してくるって。だからお風呂は兄さんと入ってね、って言ってた」

……あんにゃろ、逃げやがったな。オレと同じことリトに言われて、同じこと考えて……逃げやがった、恨むぞオイ。
(※自分のことは棚上げ中)

「……何でエドはお風呂一緒に入ってくれないの?リトのこと嫌い…?」
「う……っ」

逃げ道(アル)もなくなったオレは、とうとうリトに追いつめられた。つーか、そんな悲しそうな目で見るなよ。嫌いなわけないじゃないか。
オレが道徳的なことで脳内葛藤している中、リトの顔はどんどん曇っていく。

「っ……ひっく……っ、」
「うー……うー……」

しまいにゃ、目に涙を溜め始めた。
誰か助けてくれ、と願った瞬間、リトの大きな瞳からポロポロと涙が零れ落ちた。

「〜っ、あ゛ー!もう!!オレはどうなっても知んねぇからな!!」

オレはリトをがしっと抱き上げ、袖口でゴシゴシと涙を拭う。

「よし!風呂に入るぞ!」
「……うんっ!」

一瞬で笑顔になるリト……の手から落ちたのは目薬。

「おい、なんだそれ…」
「………あ、しまった」
「っ、てんめぇ〜…」
「あはは、ごめんなさい」

ペロッと舌を出してオレの腕から抜け出したリトは、早く早くとオレの腕を引く。
何という変わり身の早さ。さっきの嘘泣きも含め、絶対こいつは将来ロクな大人にならない。

「エドー、置いてっちゃうよー?」

楽しそうに鼻歌を歌うリトに、もう疲れて怒る気力もなかった。




「──…あー、あちぃー。」

いつもより長風呂してしまったせいか若干のぼせてしまい、涼しさを求めてベランダに行けば、そこには小さな先客がいた。

部屋から持ってきた椅子を踏み台にして、遠くを見つめるリト。夜風を受けてなびく黒髪と対になる白い肌が闇の中で異彩を放ち、凛とした横顔は例えるなら百合の花のように綺麗だった。

こんなにも小さな子に見とれてしまったオレは、とうとうヤバいのだろうか?そんな自嘲じみた笑みをこぼすと、リトがオレに気づいた。

「顔赤いね、エド」
「……のぼせたんだよ。お前こそ、こんなとこにいたら風邪ひくぞ?」
「大丈夫、青森はもっと寒いから」

リトにとって、故郷を思い出させる夜風の冷たさが嬉しくて……寂しいらしい。

「……お母さん、心配してるかな?」

満月の浮かぶ空を見上げてリトは言う。

「お父さん……迎えにきてくれるかな…?」

その声は僅かに震えていて、小さな背中が更に小さく見え、たまらずひんやりとした小さな体を抱き締めた。

「……迎えに来てくれる」

そんな確証はどこにもない。いや、正反対の確証ならある。リトの両親は迎えに来ない。そもそも来れるはずがないのだ。だって二人は……。

「明日には、きっと迎えに来てくれるさ。だから心配すんな」

いつまでも隠し通せるはずがない。本当のことを知ったとき、彼女がどれほど傷つくか知りながらもオレは嘘をつく。……優しい声でリトを騙す。ははっ……オレって最低だな。

「そうだよね。来てくれるよね」

純粋なリトはオレの言葉に安心したように微笑んだから、またズキリと心が痛む。

「……リト…」
「何、エド?」
「……そろそろ子どもは寝る時間だ」
「む!エドだって子どもだよ」

意地悪な顔をして言えば、リトは拗ねたように頬を膨らませた。そして椅子から飛び降りると駆け出し、豪快にベッドにダイブする。

──ボフッ
それからしばらくしても次の行動を起こさないリトを不思議に思って、覗き込むと、

「スー……スー…」

よっぽど疲れていたのか、すやすやと眠っていた。あどけない無防備な顔で。

「プッ……ガキかよ」

……あ、ガキだった。
そんなくだらない自問自答をしながらリトの体に毛布を掛け、オレも自分のベッドに倒れ込んだ。


2009.10.18



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