紅の幻影 | ナノ


雪解けの兆し 2  


エドはそっとリトの頬に触れ、左手で涙を拭った。リトは抵抗する気力がないのか、するつもりがないのか。涙で濡れた大きな瞳でエドを見つめる。

──ドクン ドクン
鼓動がうるさい、顔が熱い。この心臓の音がリトにまで聞こえてやしないかとエドは心配になる。それでも離れるわけにはいかない。伝えなければいけない想いがあるのだ。

言わなきゃ…と、エドは大きく深呼吸すると意を決して口を開いた。

「オレ、お前の事が……、リトが好…──っ」


──…ミシ……ミシミシ…

「「……?」」

エドが一世一代の告白をしようとした刹那、病室の扉が嫌な音をたてて震えた。

「ちょっ……押さない…で!」
「しかし、リトが……っ」
「あ!危な…いっ!」

──パキン バタン!
なんだか騒がしい声が聞こえた後、外側からの圧力にたえきれなくなった蝶番が壊れ、扉が勢いよく倒れた。

「「「「「…………あ。」」」」」

固まるエドとリト、そしてアルと以下6名(東方司令部メンバー)。
暫く気まずい沈黙が流れた後、我に返ったエドは当然ながら拳をワナワナと震えさせ、烈火のごとく怒り狂う。

「っ!てめぇら何コソコソ盗み聞きしてんだ!!」
「いや、これはだなぁ……君が弱った彼女によからぬ事をしないように……」
「テメェと一緒にすんな!!」
「大丈夫、リト?……って、えぇ!?何で泣いてるの!?」
「大将が泣かせたんっスか!?」
「違う!…いや違わないけど……違う!」

おかしなアメストリス語を使いながら、エドは首を振って否定するが怪しさに拍車をかけるばかり。
ジト──……とロイ達は疑いの眼差しをエドに向けた。

「では……何故、リトは泣いていたんだね?」
「そっ…それは……」
「しかも兄さん……さっきから顔が真っ赤だよ?」
「これは、その…」

言えない……リトが泣いてくれたのが嬉しくて、しかも告白しようとしてたなんて、男のプライドやらなんやかんやが邪魔して絶対に言えるわけない。
一人頭を抱えて悩み苦しむエドに、ロイ達の容赦ない攻撃は続く。

「怪我して抵抗できない准将を無理やり…」
「するか!!」
「男なら男らしく責任とれよ」
「何のだよ!まだ何もしてねぇし!!」

便乗したハボックやブレタまでもが、真顔でエドをからかった。エドの心拍数は上昇するばかり、このままじゃ早死にしそうな勢いだ。

「『まだ』という事は、これから何かするつもりだったのかね、鋼の?」
「いや……えっと…」

告白するつもりでした。
などとは、やはり言えない。

「〜〜っ!とにかく!大佐達が考えてるような不純な行為じゃねぇ!!」
「では続きをしたまえよ」
「………は?」
「リトに何か伝えようとしてたのでは?」
「……てんめぇ……!」

ニヤリと口角の上がったロイに、エドは瞬時にハメられたと理解した。
扉の向こうでエドとリトのやりとりはバッチリ聞いていた。自分達の所為で告白を中断させてしまった事を申し訳なく思い、エドに挽回のチャンスを作っているつもりなのか。はたまた、ただ単純に慌てるエドが面白いだけなのか……まぁ、120%後者だろう。

とにかくロイ達がエドをからかい、エドはそれに過敏に反応する。その繰り返しは次第にエスカレートしていった。

「いちいち考えがオヤジっぽいんだよ、エロ大佐!」
「君がお子様すぎて理解できないだけだよ、鋼の」
「子ども扱いすんな!!」

ギャーギャー

いつの間にかいつもと変わらない子どもの口喧嘩に。もちろん、そんな彼らをリトが黙って見ているはずもなく、俯いたままボソッと呟く。

「…………しますよ…?」

リトの後ろにどす黒いオーラと冷気が漂い始め、涙で濡れていた瞳は今や冷厳な眼光を放っていた。呟いた声は小さすぎて聞き取れなかったが、全員の動きを止めるには十分だった。

「3秒以内に全員出て行かないと……殺しますよ?」
「「「「「失礼しました!」」」」」

冷めたい表情に凍てつく台詞がよく似合う。刺さるような殺気を浴びて、騒がしかった連中は一瞬にしていなくなった。

「……まったく、ここをどこだと思っているのでしょう」

リトは本日二度目のため息をつきながらベッドから下りた。備え付けのスリッパの無機質な感覚が足を包む。冷たい…とは思わない。

──コンコン
「…どうぞ。」

壊れたドアの代わりに壁をノックする音が短く聞こえ、許可するとホークアイ中尉が入ってきた。

「すみません。さっき渡すのを忘れていましたので…」

そう言ってリトに紙袋を手渡した。中に入っていたのは、いつもリトが着ているスカートとカッターシャツだった。

「コートの方はもうボロボロでしたが、スカートは無事でしたので。シャツは勝手ながら准将のロッカーから拝借させていただきました」
「……ありがとうございます」

中尉の心遣いにリトは素直にお礼を言った。
リトが紙袋の中身を確認すると中尉は頭を下げて踵を返し、部屋を出て行こうとする。その後ろ姿をリトが引き止めた。

「ホークアイ中尉……どうしてさっき大佐達を止めなかったのですか?」

いつも暴走したロイを戒めるのは彼女の役目のはずなのに、今日のリザは一度も愛銃を抜かなかった。リトの問いに対して中尉は目を伏せて答える。

「だいぶ心配していましたから……」
「……」

中尉は静かにリトが意識を失ってからの事を話してくれた。
リトが眠っている間、心配してたのはエドだけじゃない。ああ見えてアルやロイ達もずっと心配してた。そして、中尉も……。

「みんなそれぞれ言おうと思ってた事はいっぱいあったようですが……、怒りたい事も謝りたい事も、全部エドワード君に言われてしまいました」

だからせめて、いつもの自分達らしくいよう。怒るだけが厳しさしゃない、優しい言葉を並べるだけが優しさじゃない。普段通りに接し、余計な隔たりを作らない事が彼らなりの優しさなのだ。

「とは言え、あれ以上ケガ人の前で騒ぐようでしたら迷わず撃ちましたけどね」

真剣な顔でそう言う中尉の目は本気だった。さすが、ロイのお守り役と揶揄されることはある。最後に中尉はもう一度一礼すると、再び壊れたドアの方へと歩き出した。

「…っ……リザ!」
「……!?」

凛々しい背中に投げかけられる声。階級ではなく、ファーストネームで呼ばれた事に驚いたリザが振り返ると、リトは紙袋をギュッと抱きしめながら俯いて言葉を紡ぐ。

「ありがとうございました。あと……すみません、でした……」

おずおずと述べられたのは感謝と謝罪の言葉。
照れくさそうに、申し訳なさそうに、リトはぺこりと頭を下げた。

エド達と旅をし始めてからのリトは本当に変わった。感情を持たない人形なんかじゃなく、今のリトは誰が見ても人間だ。ちょっと感情表現が苦手なだけの女の子。

「……司令部で待ってるわねリトちゃん」

ニッコリと微笑み、リザは今度こそ病室を後にした。


誰もいなくなり、静かになった病室で一人考えこむリト。

初めて任務で失敗した、それも殺しの任務で。
また、エドの前で泣いてしまった。イシュヴァール戦以来、涙なんてとうに凍ったと思っていたのに。

リトはベッドに座り、ギュッと胸を押さえてうずくまる。こんなの、私じゃない……っ、と。

スカーを殺さなかったことに安心している自分がいる。エドの前で泣いたというのに、嫌悪ではない感情を抱いている自分がいる。
それは自分の中から憎しみが消えていくようで、ひどく気持ち悪い。

「本当に最近の私はどうかしてます」

自嘲気味に笑みをこぼすと、青すぎる空に向かって哀憐の旋律を奏でた。


  不安は苦痛
  苦痛は戦慄
  戦慄は悲愴
  悲愴は不安

  ぐるりと巡り
  世界は歪む
  静かに激しく
  世界は嘆く

  愛する人を守る大罪
  喜んで受け入れよう
  儚い刃 永久にいく



───……大丈夫、歌い終わったらいつもの私に戻るから。大好きな人達を守るのが“大罪(ツミ)”と言うならば、私はどんな罰も厭わない。

感情のない傀儡にだって、冷酷な雪女にだって……なれるから。だから、今だけは涙を流させて下さい。

せめて黒衣をまとうまで……─────


独りで唄い、人知れず涙を零した。



2009.05.17


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