──ガラ……ガラ…
瓦礫の山から黒いコートの端がのぞき、雨で薄められた鮮血が流れ出る。
「……リト……そんな…」
「嘘だろ?……おい!リト!!」
エドとアルが駆け寄ろうとするが、それをスカーが阻んだ。
「てめえ……どけよ!」
「貴様、本当に鋼の錬金術師なのだな?」
「だったら何だよ!!」
よくもリトを……!とエドは歯をギリッと食いしばりスカーを睨み上げるが、スカーは怯むどころか更に憤怒の情を濃くした。
「国家錬金術師……滅ぶべし!!!」
「…───ッ!」
──ドガァン!!
スカーからこれ以上ないくらいの危機感を感じとったエドは、バランスを崩しながらも迫り来るスカーの右腕をかろうじて避けた。それによりエドの後ろにあった壁に、まるで大砲で撃ち抜いたような穴が開く。
「……冗談だろ…?」
エドとアルは壊れた壁とスカーを交互に見やる。こんなヤバいやつ相手にできるわけがない。逃げなきゃ……逃げなきゃ本当に殺される!
でも…
「リトを置いて逃げられるかよ!!」
瓦礫の下のリト、今ならまだ間に合うかもしれない、あいつがこの程度の事で死ぬはずない!
赤く染まった瓦礫の山を見ながらエドは自分に言い聞かせた。だが、スカーがそう易々と見逃してくれるはずもなく、再びエドめがけて突進してきた。
「我神の代行者として裁きを下す者なり!」
「兄さん!!」
右腕のない今のエドは錬金術を使えない。その事を知っているアルはスカーとエドの間に割って入り、拳を振り下ろす。
しかし…、
「遅い!」
──バガッ
「アル!!!」
スカーの右腕はアルの鎧の腹部から右足を抉り取った。
………──雷雨の中。
崩壊した建物の下敷きとなり、その生死すら定かでない少女。無惨にも破壊され、立って逃げることの出来なくなった弟。
ましてやエド自身も鋼の腕はなく、錬金術が使えない。
「……くっ……」
エドはその場に膝をついた。それを諦めと理解したスカーはエドに近寄り、破壊の右手をエドの頭に翳す。
「神に祈る間をやろう」
「あいにくだけど祈りたい神サマがいないんでね」
いったい神が自分達に何をしてくれた?今だってオレ達を殺そうとしてる。……オレ達?
「……あんたが狙ってるのはオレだけか?弟……アルやリトも殺す気か?」
嫌だ…アルとリトが殺されるのだけは死んでも嫌だ、と自分が殺されるという状況にも関わらず弟と仲間の命を心配するエドの姿を見て、スカーは昔、身を呈して自分を助けてくれた兄の事を思い出す。
「………今、用があるのは鋼の錬金術師……貴様だけだ」
スカーの言葉からどうやらスカーはリトが国家錬金術師である事に気づいていないようだ。エドは内心ホッとしつつ、それを表に出さないよう下を向いたまま命乞いをした、自分の大切な二人の命を何としてでも守るために。
「そうか、じゃあ約束しろ。二人には手を出さない、と」
「約束は守ろう」
これでリトとアルの命は保障された。だが、アルは納得できはずもなく、今にも崩れそうな体を両手で支えて叫んだ。
「何言ってんだよ……兄さん、何してる!逃げろよ!!立って逃げるんだよ!」
お願いだから諦めないでくれ、とアルが懸命に叫ぶがエドは立ち上がろうとせず、スカーの右手がエドの頭にかけられた。今、神の裁きを……──
「やめろ……やめてくれ……やめろおおおおおお」
「待って下さい!!!」
「「「ッ!?」」」
アルの渾身の叫びをも遮る、凛とした声が響いた。その声にまさかと思い顔を上げたエドの目に映ったのは、雨を吸って重くなったコートを脱ぎ捨てて立つリトの姿。
「……リト……お前っ!」
リトが生きていた事は嬉しい。だが、真っ白なはずのカッターシャツは頭や手足、体中のいたる所から流れ出る血で真紅に染まり、立っているのもやっとという状態だった。その姿は直視するのも辛く、出来ることならもう動かないでほしいと思ってしまうほど痛々しい。
それでもリトの紅い瞳はしっかりと開き、スカーを睨んでいた。
「……はぁ…ッ……エドの前に……私の、相手を……っ…して、くれません……か?」
──パシャ……パシャ……
リトが一歩足を進める度に血の水溜まりができる。ドクドクと流れる血は動脈性の出血を意味しており、このままじゃ出血多量で死んでしまうかもしれない。
「リト……動いちゃダメだ!」
「やめろ、リト!!本当に死んじまう!!」
「っ……はぁ……はぁ…」
──パシャ……パシャ……
いくらエドとアルが叫んでも、リトは止まろうとしない。
「スカー……あなたの、相手は…元々……わたしの…はずです」
「……国家錬金術師、そして我が使命を邪魔する者。排除するのはこの者達のみだ」
つまり今の立っているのがやっとな程に負傷したリトは対象外という。それを聞いてリトの口角が上がった。
「……なるほど……」
だったら自分に興味を持つように仕向ければいい、エドよりも私を殺したくなるように…。
リトは乱れる呼吸を精一杯整えると、ポケットから取り出したものをスカーに見えるように掲げた。
「殺す理由……見つかりましたか?」
「貴様……それは!」
リトが掲げたもの。それは銀色に光る狗の首輪…───銀時計だった。
「私はリト・アールシャナ……紅氷の錬金術師です…」
リトが不敵に微笑んだ。
「紅氷……アールシャナ……雪女!!」
スカーの眼に今まで以上の殺意がこもった。激しい憎悪が赤い眼に渦巻く。
『雪女』
入隊した時期が遅かったため殺した人数は他の錬金術師と大差ないが、その冷酷さと残忍さは他に類を見ないほど美しかった。氷の心を持った、戦場の雪女。
「貴様だけは……!」
「おい!やめろ!!」
スカーの意識は最早完全にリトの方を向いていた。
「雪女……貴様だけは何としてでも滅ぼす!!」
「……私が雪女なら、あなたは『イシュヴァールの復讐鬼』といったところですか」
フラフラの状態、それでもなおリトはスカーを挑発し、全身から流れ出る血液と叩きつけるような雨を混ぜ合わせ、紅い大鎌を錬成して構えた。
紅い装束に身を包み、紅い大鎌で雨粒を払うその姿はさながら死神の如し。
「やめろよ、リト!…っ逃げろ……逃げろ!!」
エドが力の限り叫ぶが、睨み合うスカーとリトはそんなもの聞こえていないようで、互いの“あかい”瞳に相手を映す。
そして二人が体にグッと力を込め、地を蹴ろうとした刹那……───
──ドン
「そこまでだ」
連絡を受けて駆けつけたロイが空に向かって威嚇射撃をした。
「「大佐!」」
「……ロ…イ……」
ロイ達が来た事を知ったリトは体の力が一気に抜け、ガクンと膝から崩れ落ちた。
「っ………──────」
「リト!!」
血か雨か分からないほどに濡れた身体をエドが抱きしめると、本当に氷で出来ているみたいに冷たく、生きているのかさえ疑わしく思える。
目の前が霞んでいく、そのままリトはエドの腕の中で意識を手放した。
2009.02.04
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