紅の幻影 | ナノ


闇からの使者 3  


(リトside)

結局、その日は泣き疲れていつの間にか眠っていた。いや、泣き疲れたなんて生易しいものじゃない。受け入れ難い現実に心が悲鳴を上げ、自己防衛機能として身体が勝手に意識を手離しただけだ。あれだけ泣いたというのに、開眼一番、ハラハラと涙が零れた。私の涙腺はとうとう壊れてしまったらしい、言うことを聞いてくれない。けれど、いつまでも泣いているわけにもいかなかった。

勝手に流れてくる涙はもういい、枯れ果てるその時まで好きに流れたらいい。部屋に差し込む朝日の眩しさに目を細めながら、私は重い体に鞭打って起きあがった。床で寝ていたせいか身体中が軋む。

「…れんきんじゅつ……勉強しなきゃ…」

でないと、エンヴィーが殺しに来る。
……死にたくない。何よりも真っ先にそのことが頭に浮かんだ私はなんて醜く酷い人間だろうか。いや、人間だからこそ、ここまでみっともなく生に執着するのだ。

私はまず、両親の遺体をいつも遊んでいた花畑に埋めた。あそこなら、春になると花がいっぱい咲く、両親が好きだと言った白い花がたくさん。広い広い花畑に大きめの石を置いただけの粗末な墓に背を向けて歩きだす。まだ、涙は止まってくれない。

遺体を埋葬し終わった頃には夜になっていた。当たり前だ、5歳の私が大人を…それも死んでしまって全く力の入らない人間を簡単に運べるわけがない。シーツにくるみ、引きずりながら家と花畑を二往復、途中何度も吐き気が襲ってその度に喉に手を突っ込んで胃液を撒き散らしたりしていたから、余計に時間がかかった。

あんなに吐いて胃の中身なんてないはずなのに、お腹が減らない。キッチンへ行くと、本当なら昨日の夕食になるはずだったシチューがお鍋に入っていた。これはたぶん父の作ったものだろう、母はこんなにも野菜を切るのが上手くなかったはずだ。父の手料理、しかしやっぱり食欲が沸かない。私はシチューに蓋をして、二階に上がった。
いつも3人で寝ているベッドに潜り込む。枕からは大好きな香りがした。その日はそのまま眠ってしまった。やっぱり涙は枯れてくれなかった。

次の日から私は研究室に籠もり、先祖の残した文献をがむしゃらに読みあさった。荒れた研究室を掃除するのは私には難しいし、そんな時間も惜しいので、あちらこちらに付着した血痕はそのままに私は手当たり次第に本を手に取る。

最初こそ難しかったが、書いてある文字は両親に習ったからだいたい読める。難しい単語の羅列も慣れれば不思議とスラスラと頭に入ってきた。どうやら私はちゃんと先祖の才能を受け継いでいたみたいだ。

そうやって幾日を1人で過ごした。キッチンのシチューは腐敗してきたのでトイレに流した。流石に餓死したくはない、食欲がないとか言ってられないので、私は冷蔵庫にあった野菜やインスタントのラーメン、少しカビの生えたパンなどを適当に食べた。何度か腹を壊し、吐いたりもした。それでも私は生きていた。

そして、ある日見つけたタイアースの日記。

「これ……」

掠れて読めないページもあったが、確かにそこに記されていた。
ホムンクルスの事、200年前の事、時空の事、世界の事、アールシャナ家の事…私は真実を知った。同時に私の中で、激しい怒りが沸き起こる。
どうして両親が殺されなきゃならなかったのか、殺す必要はなかったはずなのに、どうして?私が何をしたっていうの?

「…憎い………っ」

エンヴィーが、この厄災を招いたタイアースが、何も知らずに、のうのうと生きる“世界”の人間達が!

憎い……憎い……憎いっ!
私は得た知識と思いをただひたすらに書き殴った。

それから間もなくして、宣言通り私の様子を見るためにエンヴィーがやって来た。

「リトー、勉強してる?」
「………。」

私のまとめた実験結果や研究日誌をパラパラと見るエンヴィー。うんうん、何書いてるかさっぱりだけどちゃんとやってみたいだね、と嘘くさい笑みを私に向ける。その瞬間、私の憎悪がはじけた。


「─…っああぁぁ!!」

私は錬成した小刀でエンヴィーに斬りかかった。両手で小刀を握り締め、肋骨に邪魔されないよう刃を水平にしてエンヴィーへと突き立てる。

しかし、子どもの私が勝てるはずもなくエンヴィーはシャボン玉でも避けるみたいに軽々とかわすと、私を床に叩きつけた。衝撃に息が詰まる。あっさりと返り討ちにあい、瀕死になっている私をせせら笑いながらエンヴィーは小刀を捨てた。

「んー、これじゃあまだまだだね。もっと頑張ってよ」
「……くっ……」

私には睨む事しかできない。いや、睨む事ができる。殺されたって構わない、私はエンヴィーが憎い。この前までのただ怯えるだけの私ではない。私は今、眼前の男を憎悪の炎を燃やしながら睨んでいる。
床に這い蹲りながら私はエンヴィーを睨みつけた。

「あぁ、…怯えた表情も可愛かったけど……いいねぇその眼、ゾクゾクするよ」

エンヴィーの嘲笑を聞きながら、私の意識はそこで途切れた。



翌朝、目が覚めた私はまた泣いていた。あの日からずっと泣いていたけど今日のは少し違う、今日は悔しくて泣いていた。

両親は殺されたのに、私は生かされた。錬金術が使えるから?利用価値があるから?だから私は…生かされた?

「なっ…んでよぅ……」

エンヴィーが憎い、殺したい。でも、エンヴィーに刃物を向けたとき、一瞬心が揺らいだ。私の本心が人殺しは嫌だと言っている。ふざけるな、あれだけのことをされておきながら、何を甘っちょろいことを私は思っているんだ。

「もう、わかんないよ……っ」

どうすればいいのか、自分はどうしたいのか……わからない。

「だれか……助けてよ…」

伸ばした手を掴んでくれる人はいなくて、虚しく空気を掴むだけ。誰も助けてはくれない。
じゃあ、死ぬの?……嫌だ、死にたくない!

「死にたく……ないっ…」

死にたくない、それが唯一不変の私の本心。
私は体を起こして血を洗い流した。目に見える血は洗い流せても、私の手には両親の血がこびりついている、そんな気がしてならない。

思い出しては何度も吐いた、何度も泣いた。

「お父さん、お母さんっ…」

私はエンヴィーが憎いです、殺したいです。仇討ちではありません、ただ憎いだけ…。
エンヴィーを殺せたならば私はどんな罰でも受けますから。ごめんなさい、ごめんなさい。
両親の墓前で謝罪し、私は誓う。

「私は負けない。エンヴィーなんかに……運命なんかに負けません」

私は決意を固め、その日から一心不乱に錬金術を勉強……いや、研究した。それと同時に体も鍛えた。
エンヴィーに負けないために、この刃が届くようにと。

「もっと強く……」

そして、エンヴィーが私の様子を見に来る度に挑んだ。勝てなくても、殺されかけても、私は何度でも向かっていった。たとえ無謀で無意味と嘲り笑われても、それはきっと無価値なんかじゃない。

──ドカッ バサバサバサ

「う゛っ……っあぁ!」
「リト……いい加減にしないとさぁ、本当に殺すよ?」

私を蹴り飛ばし、鬱陶しそうに見下ろすエンヴィー。もう、あなたなんかに負けない。

「……し…ますよ…」
「何?」

「殺しますよ?」


瀕死の体で地に這いつくばる私はさぞかし滑稽だっただろう。けれど、その瞳はしっかりとエンヴィーを捉え、冷笑している。
それを見たエンヴィーは一瞬キョトンとした後、満足そうにニヤリと笑った。

「楽しみにしてるよ。」


殺すよ?……───殺しますよ?

私の口癖は、エンヴィーのがうつったのかもしれない。



2008.12.02


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