紅の幻影 | ナノ


闇からの使者 1  


(リトside)

───……5歳の春、私はいつも家の近くの花畑で遊んでいた。世間から隔離された山奥で育った私は外の世界を知らない。家にはテレビがないし、こんな山奥なので訪ねてくる物好きな人間もいない。それ故、私は両親以外の人間を見たことがなかった。しかし、別に見たいとも思わない、優しい両親がいれば私はそれでいい、幸せだ。
そう、私は幸せだった。

遊ぶときはいつも一人、たまに野山にいるウサギや小鳥たちと戯れるぐらいだったが、それが私にとっての普通だった。それでも恐ろしいもので、人間とは知らなければ今が一番恵まれていると思い込む。
『友達』という言葉を知らないまま育った私は、誰もいない山奥でも退屈を覚えることはなく、いつも門限ギリギリの夕方まで遊んでいた。

「お母さーん!」

いつも通り遊んでればよかった。そうすれば、少なくとも見つかることはなかったかもしれない、なんて今更後悔するのは愚の骨頂だろうか。
その日、たまたま花冠が上手く出来た私は早く母に見せたくて、白い花で編んだそれを壊さないように胸に抱え、急いで家へと走って帰った。
それが、幸せの最後だった。


扉を開けると静まり返る家の中。いつもなら、おかえりと母が微笑んでくれるのに、今日は出迎えてくれない。料理中だろうかと思ったが、それならば代わりに父が来てくれるはずだ。その父も姿を見せない。

「お母さん?お父さん?」

家具などはいつもと同じ配置なのに、まるで別世界のように屋敷が怖い。ここは何処、本当に私の家だろうか。

「お母さん?…いないの?」

そんなはずない、両親が私に黙って出て行くなど、ありえない。

「お父…さん……どこにいるの?」

思いつく限りの所は捜した。しかし、リビングにもキッチンにも書斎にも寝室にも、両親の姿はない。庭も覗いた。けど、やっぱりいない。

さっきから胸がドキドキしてうるさい。夜中に一人でトイレにいこうとしたときと似ている。あの時は、お化けが怖かった。この屋敷に両親と自分以外の得体の知れないものがいる錯覚を覚えて、怖くて、結局父に泣きついてトイレまで着いてきてもらったのは記憶に新しい。
今、正にそれと同じ恐怖が私を包んでいる。いるはずのない何かに怯えて、震えが止まらない。

「…こんなに家って、広かったっけ?」

両親が見つからない不安に泣きそうになりながらも、私の足は最後の場所へと向かう。思いつく限りのところは捜しつくした。もう、残っているのはここしかない。……いつもは入ってはいけないとキツく言われている、研究塔。

小さな私にとって、その扉の奥は未知の世界だった。前に一度入ったときに見た数えきれないほどの書物と、大きな紙に描かれた魔法陣のような模様に、私はどうしようもなく心奪われた。それからも何度か好奇心で入ろうとしたが、その度に両親に叱られ、終いには扉に鍵をかけられてしまった。
鍵をかけられた、はずだった。

「……開いてる…」

私が両手で持ち上げても重たい南京錠は壊され、ほんの少しだけ扉が開いていた。


「──…、」
「しかし!……」
「…だ……っ」


近づくと、中から聞こえてきたのは両親の声。不安に押しつぶしされそうだった私は両親の話し声を聞いて衝動を抑えることが出来なくなった。今にも零れ落ちそうだった涙をブンブンと首を振って鎮め、叱られるのを承知で扉に手をかけてゆっくりと扉を開けた。

「おかあ……さっ………っ!」

中に入った私の目に飛び込んできたのは、ぐちゃぐちゃの研究室。

「理冬!?どうしてっ」
「こっちへ来てはダメだ!逃げなさい!」

血を流して叫ぶ両親。

「うるさいよ。」
──ザシュッ

黒い服を着た、知らない人。

私がそれらを認識した頃には父の首から大量の血が吹き出していた。首の肉と血管が断ち切られ、吹き出した真っ赤な血が壁を、床を、天井を染め上げる。嗚呼、お母さんもお父さんの赤色を浴びた。

「ヒッ……お父さんっ…!」

父の元へと駆け寄ろうとした私を、それよりも早く母が抱きかかえた。細い腕で痛いくらいに私を抱きしめる母の手や身体は傷だらけで、赤色は父のせいだけではなかったようだ。

「お母さん!お父さんがっ……いや!離して!!」

父を置いていけない、と必死で手を伸ばすが母は歯を食いしばって、ボロボロの体でその場から逃げるように走った。ふらつく足取り、それでも私を抱きしめる手だけは緩めない、アイツから守るために。

「理冬…よく、聞いて。っ…はぁっ……あなたの本当の名前は、リト……リト・アールシャナよ!」

苦しそうに母は言葉を紡ぐ。息も絶え絶えに語る母の瞳は血の赤にも負けないぐらい深い紅色をしていて、髪も一束だけキラキラと銀色に輝いていていた。それは初めて見る母の姿だったが、今にして思えば、それが母の…アールシャナ家を継ぐ者としての本来の姿だったのだろう。

「なに…何言ってるの?お母さん!」

わからないよ!本当の名前?アールシャナって、何なの!?あの黒い人は誰?どうして、お父さんを……っ!

頭が混乱して、私は狂ったように叫んだ。幼い私には、瞳や髪色の変わった母も、父の身に起こったことも、自分の出自についても、受け入れられるはずがなかった。

「それは…あっ!」

もう母の体は限界なのか、段差も何もないところで足がもつれて転んでしまった。それでも母は私をギュッと抱きしめ、私はどこも打ちつけることなく母の体温に包まれていた。これが、最後の抱擁であり、母の最期の温もりだった。

「お母さんっ!!」
「…っ…リト……あなたは、生きて!何があっても、強くっ…生きて…!」
「おか…あ、さん?」

母は痛いくらい私を抱きしめ、いつもの優しい笑顔を向けて私に言う。

「リト……私達の大切な…」

刹那、母の口から一筋の血が流れた。ゆっくりと下を見ると私の着ていた真っ白なワンピースは赤色へと変わっていて、母の重みがずっしりと私にのし掛かる。

「あ……おかぁっ…さっ…?」

母の胸を貫く刃物……いや、黒い人の腕。

───グチョッ
黒い人が腕を引き抜くと母の体から今まで以上に血が流れ出た。人間の内側はこうも美しいものなのか、赤い中身とピクピクと僅かにまだ臓器が痙攣しているのが見えた。私の手にべっとりとついた母の血は生暖かく、顔についた血は鉄の味が……臭いが……────私の五感を支配する。

「いっ……いやあぁぁああーー!!」
「まったく……人間は脆いね」

泣き叫ぶ私を見下ろす、黒い人。
私はこの日、地獄を見た。



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