紅の幻影 | ナノ


諦めない 3  


(リトside)


世界を滅ぼす力があったとして。それを操るすべを知らない私は結局利用されるだけの存在だった。
子どもの頃から何一つ変わっていない愚かな私。所詮は躍らされるだけの傀儡なんだと、悪魔は笑う。

彼は笑う。嗤う。嘲嗤う。

その声は私の中で憎悪を胎ませ、悪意を育む。ゆっくりと時間をかけて浸食するそれは、私の中で黒い感情となり、いずれは私を飲み込んでいくのだろう。

色鮮やかな服を着れなくなった私。
彼と同じ黒に染まっていく私。

鮮血にまみれ、宵闇にまぎれろ。陽の光の当たらない世界こそが私の居場所であり行き着く先だから。

望んではいけない、あの人を。
求めてはいけない、あの感情を。
知らないままのほうが幸せだから。
気づかなければ辛くないなから。

私を彩る感情は憎悪と悪意。
それ以外の心なんて……いらない…………。







「───……っ」
「やぁ、目が覚めた?リト」

未だぼんやりとした視界の中、自分を見下ろすエンヴィーの姿だけが目に入った。
あの日の記憶と変わらないと感じてしまうエンヴィーの姿は、事実、本当にこれっぽっちも変わっていない。不覚にも懐かしさを覚えてしまった。

「……………」

ここは?などという質問をする前に手を引いてエンヴィーに体を起こされ、服についた土埃を払われる。本当にあの時と同じだ。

……あの時?あれ、私……なんでエンヴィーと一緒にいるの?今までどこにいたっけ?何をしていたんだっけ?私は……何だ?

思考がまとまらない。私はただ意味もなく両手を見て、ゆっくりと握ったり開いたりを繰り返す。

「リト……?」

名前を呼ばれるが、何故呼ばれているのかわからない。呆けた顔でとりあえずエンヴィーを見た。目の前の彼以外、全てにぼんやりと靄がかかっているようで何も見えない。きっと私の瞳にも光は灯っていないのだろう。

反応の鈍い私を見て苦笑しながらエンヴィーは右手の人差し指で頬を掻くと、私の両肩を掴んで向きを180度反転させた。そして両手を私の肩に置いたまま、後ろから耳元で囁く。

「ほら、見なよリト……」

エンヴィーに促された先にはセントラルの街があった。

セントラル…?

今更ながら周囲を見渡すと、自分が今立っているのはひどく見慣れた場所だということが分かった。

「ここは……時空の丘…?」
「そ、正解♪」

後ろでエンヴィーがクスクスと笑う。
私は一歩ずつ前へと足を進めた。

ここは時空の丘。アールシャナ家にとって…、私にとって始まりの場所。タイアース・アールシャナはここから現世へと行き、リト・アールシャナはここから“世界”へとやって来た。だから、ここは始まりの場所。
時空の鍵を使って、私は……───っ

「あ……ぁあ…」

徐々に意識と記憶が戻ってきた。鮮明になっていくそれらに比例して体が震える。虚ろだった瞳にも光が灯り、今ははっきりとセントラルの街と暗い空を映している。紅い瞳に映る世界は絶望そのものだった。

「そん、な……どうして?」

暗雲を走る雷と地鳴り。かつてない規模の時空の歪みが世界を覆っている。いや、この世界だけじゃない。

「なんで…現世が……っ」

雲の間から見えたのは反転した現世の街並みだった。

何が起こっているの?と、頭の中に浮かんだ文字は一瞬で消えた。
普通なら情報処理能力をオーバーした現象だが、生憎と今の私は全てを理解することが出来る。そして、その原因が私であることすら……理解してしまった。

「美香……みんな……、嫌だ…っ」

大好きな現世。大切な親友たちの気配がいつも以上に近く感じる。なのに、少しも嬉しくない。寧ろこの感情は恐怖以外の何ものでもない。正気になった思考がこの絶望的状況の説明を脳髄の奥に叩きつける。

「っ、世界と現世が融合する……」
「正解。やっぱりリトは賢い子だね…──」

──ガッ ドサッ
呆然と立ち尽くす私をエンヴィーが組み敷いた。背中がジンジンと痛い。よかった白いコートじゃなくて、なんて場違いなことを考えてしまった。

エンヴィーは慣れた動作で腰の上に膝立ちになり、私の両手首を地面へと縫い付ける。視界がエンヴィーでいっぱいになった。

「………っ」
「今、2つの世界は時空の鍵によって強く引き寄せ合っている。分かるよね?感じるよね?時空の番人なんだから」
「……わかり、ます」
「あはっ、よかった。じゃあ、これも分かるよね?後は世界の間にある扉を壊すだけだってことも……」 

そう言いながら私が抵抗しないのを満足げに見下ろすと手を離し、今度は首筋に優しくキスを落とした。
エンヴィーの黒髪が頬を掠め、くすぐったい。

「……世界と世界の間にある扉……『時空の扉』は私の中にあります……」
「そう、だから壊すんだ。それを……」

──…時空の番人を、ね。

いつの間にか首にはエンヴィーの両手が添えられており、ゆっくりと力を加えられていく。嗜虐的な彼の笑みはいつものこと。でも、1つだけ違うのはこの行為の目的だ。私を甚振るためじゃなく、辱めるためでも、からかうためでもない。

「くっ…かはっ……ぁ」
「今まで楽しかったよ、リト」

これは私を殺すための行為。

──そっか、私……殺されるんだ…───

私は身体の力を抜き、ゆっくりと目を閉じた。





──パンッ バシィッ
「っ?!」

迸る錬成反応の光と音。一閃が空間を切り裂いた瞬間、驚くエンヴィーの顔が紅い瞳に映った。刹那に飛沫した鮮血が私の頬から口元にかけて付着する。

私の手には一本の小刀。切っ先に滴る血液はエンヴィーの手首を切り裂いたときのものだ。
少しだけ錬成痕の残る小刀をエンヴィーの額に突き刺し、私はもう一度両手を合わせて地面へと手をついた。

──バシィッ ドゴッ
途端に地面は長方形へと隆起し、エンヴィーの腹部にめり込む。さすがに超重量の肢体を吹っ飛ばすことは出来なかったが、それでも少しだけ地面から浮かせることは出来た。

「がはっ…」

吐血は絶対に浴びたくないので、跳躍で回避。そのまま浅側頭動脈を抉る気持ちでエンヴィーのこめかみを狙って蹴り飛ばす。
エンヴィーが数メートル吹っ飛んだのを見届けてから、蹴り飛ばした反動で抜け落ちたのであろう小刀を拾い上げ、エンヴィーの血を拭ってから自分の左手へと刃を突き立てた。

鋭い刃先が皮膚を裂き、ドクドクと赤い血潮が溢れ出す。なんて綺麗な光景。

「ごほっ……何のつもり?ねぇ、リト?」

赤い光を走らせながらエンヴィーは再生し、私を睨んだ。

あれ?エンヴィーに睨まれたことなど、今までにあっただろうか?
彼はいつも余裕の笑みで私を見下ろしていた。何度殺しても、何度逆らっても、いつだって私はエンヴィーの掌の上で踊らされていた。くだらない人形遊びに耽るのはこの男も一緒だと毒づきながらも、私はそれに抗えないでいた。

それがどうだろう。今、彼は私を睨んでいる。私が思い通りに動かないから、私が拒絶したから。力でねじ伏せることも出来ずに睨むしか出来ないでいる。
とてつもない昂揚感に背筋がゾクリと震えた。

「私は、あなたの傀儡じゃない…!」

あなたの作ったシナリオはもう、踊らない。私は私の歌を唄い、詠い、謳ってみせる。

「まだ反抗期なの?全部無駄だってわかんないかなー。リトがどれだけ抵抗しても、もう時空の歪みは止まらない」
「止めてみせます。私(時空の番人)がいる限り、それは不可能なことじゃない」
「無理だよ。だって、リトは今から殺されるんだから」
「私の未来を勝手に決めないで下さい」
「諦めなよ。」
「嫌です。」
「「……………」」

遠雷を背景に見つめ合う。

これは反抗ではない、反撃だ。これが最後なんだ。もう悪夢は終わらせよう。
ドクドクと真っ赤な血液が流れる左手を撫でれば、右手も赤く染まる。ペロリと唇を舐めれば鉄臭さが口いっぱいに広がった。
これはさっき付いたエンヴィーの血。ホムンクルスも血の味は人間と同じなのかと思うと、なんとも形容し難い感情が胸に込み上がる。私は今どんな表情をしているのだろう。

──パンッ パキパキッ パキッ
紅い氷刀を錬成する。終止符を打つのに相応しいよう集中して凍らせる。

「……エンヴィー、私は諦めませんよ」

絶望すらも凍てつかせ、運命すらも穿ってみせる。

「現世を守る事も、あなたを殺すことも……私は諦めない!」
──チャキッ

錬成した氷刀をエンヴィーに向けて、私はいつもの台詞を口にした。

「時空の秩序を乱すものに制裁を!それが私(時空の番人)の務め。よってあなたを……殺します」
「いいよ、最後の殺し合いを楽しもうか」

その瞬間、私たちは笑っていた……────


2014.03.12


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