*Sample
Flagments


※話は繋がってないです


序章


 暗闇にこつ、と小さな音が数度響く。かと思えばドアに取り付けている鈴が小気味よい音を立て、ゆっくりと開いたドアから薄気味悪い館に一筋の光が射し込んだ。
「……恋愛調香師のお宅はこちらでしょうか?」
「陽は我らに毒じゃ。はよ閉めい」
 ドアを開けたまま首だけを差し込んで伺ってくる無粋な人間に視線も向けないままに言葉を放つと、その人間は慌てて開けきっていないドアの小さな隙間に身を滑り込ませ、勢いをつけてドアを閉めた。開けたときの小気味よい音とは違う、じゃらじゃらとけたたましい音を立てる鈴に思わず眉が寄った。
 慣れている人間ならこんな失態など犯さない。ということは必然的に導き出される答えはただ一つ。イザベルのもっとも嫌う新規の客だ。
「……ほう。我に何の用じゃ、人間」
 手入れをしていた杖を横にして膝に置き、下げていた視線をゆっくりと人間の方へ向ける。成人は迎えているであろう冴えない男の姿をしたその人間は、部屋の奥でクッションに座ったまま宙に浮いているイザベルを恐れてか一向に用を話そうとせず、視線をうろつかせながら何も発しない口を開閉するだけだった。
「用がないのに居座るでない。老いる先の見えぬ我とて暇を持て余しているわけではない」
「……あ、そ、そうですよね、すみません」
「謝罪はよい。はよお主の要望を言うてみよ」
 クッションに座ったまま滑るように部屋の奥から男の前まで近寄り、金色の瞳で男が口を開くのをじっと待つ。それに怖じ気付いたのか一歩退こうとし、しかし意を決したように生唾を呑んでその場に踏みとどまった。
「……想い人を惚れさせる香を、お願いしたいんです」
 男から流れ出る尋常ではない汗に一つ笑いをこぼし、杖の先からカモミールを摘み取って男へ渡す。おそるおそる受け取る男に香りをかぐように伝えると、少ししてから一輪だけのそれにそっと鼻を近づけ、ゆっくりと息を吸った。
 イザベルとのにらみ合いに勝てる人間であるならば、この先が期待できる歓迎するべき客だ。男が好む香りかは分かりかねるが、効能自体は証明されている花なので問題はないだろう。今ここで倒れられても追い出すのはイザベルの役目であり、そうなることは非常に厄介なのだ。
「想い人の香か。……まあ良いが、ちと材料が足りんでの。集めることが出来ればお主に香を作ってやらんでもない」
「ほ、本当ですか」
 男が顔を上げる。その表情には先ほどよりも少しだけ色味が戻っていた。
「モウソウチクの花、ツキヨタケ、イタドリの実……といったところかの」
 脳内にある香の材料を言っていくと、ほとんどの物を聞いたことがないのか男は首を傾げる。その様子に少し不安を感じ、滑るように机に寄ってから紙にイタドリの特徴と実の絵を書き、小さく折って男に手渡した。
「……まあ、幸い今日は暇な友人がおる、お主にはイタドリの実のみ頼もう。それを持ってくることが出来たら、お主に香を渡そうか」
「……ありがとうございます!」
 男が顔を輝かせる。それに笑みを返してから近くにあるソファへ男を座らせた。来客に茶の一杯でも出そうと相変わらずクッションに座ったままイザベルが奥の部屋へと引っ込むと、ようやく落ち着けたのか男は不思議な物ばかりある館をぐるりと見渡し、一つ息をついた。
 そこかしこに野生化したかのように生える植物に大量に積まれた本の山、世界中の謎を詰め込んだようなまるで統一性のない置物たちといったふうにお世辞にも綺麗とは言えない館の中を見て何も思わない人間がいることはまず無い。この男も例に外れず不思議そうな目で館を観察した。
「……あれ?」
 部屋の隅にある、ただのボロ布の山のように見えていたそれが揺れる。先に火の灯っていないランタンの付いた長い杖を抱き込むようにして丸まっているのは、一見ただの人間だった。
「いつの間に……いつから、いたんだろう」
 ソファから立ち上がり、少しずつそのいきものに近づく。どこからどう見ても見た目は居眠りをしているただの人間だが、この世界での力の象徴である杖を持つ者は皆人ならざる者だと言われているのだ。目の前にあるそれも、例外ではないのだろう。
「昼の者が、」
「ひっ!?」
 音もなく背後に現れたイザベルに男が情けない声を上げる。驚きに身を竦めた男の首根っこを引くと、あっけなく腰を抜かしてその場にへたり込んだ。
「昼の者が、不用意に夜の者に近寄るでない。彼らの怒りを買おうものならあっという間に呪われて、意志のない肉人形にされてしまうぞ」
 イザベルが喉の奥でくつりと笑う。それに恐れをなしたのか、男は慌てて這い出るように館を後にした。
「……肉人形は」
 沈黙を守っていたそれは不意に目を開け、外套を脱ぎながらイザベルを見上げて不敵に笑った。
「肉人形は、センスが悪いんじゃない?」
「あんな男すら吟味するルナールに言われとうないのう」
 ルナールと呼ばれた女性は両手を真っ直ぐに上げて猫のように伸びをし、杖を支えにして立ち上がった。猫背のせいで高くは見えないが、それでも女性にしてはすらりとしたモデルのような体型をしている。
「モウソウチクと、ツキヨタケだっけ? また飛び回らせるね」
「人の想いを揺り動かすのがそう簡単じゃ悲しいものよ」
 立ち上がったことでイザベルを見下ろす形になったルナールは底の見えない笑みを見せてイザベルの頭を一度撫でた。
「じゃあしばらくここを空けるよ。せいぜい死なないようにじっとしておくんだよ、お嬢」
「いい加減そのお嬢というのをやめてくれんかのう。老いぼれ相手だと分かっておるであろうに」
 杖を使ってルナールの手を押しのけて机まで移動し、無駄になった紅茶を飲んでしまおうとポットから湯気の立つ紅茶をカップにそそぎ込んだ。
「まあ、紅茶くらいは飲んでいくと良い」
「お嬢の紅茶なら喜んで飲むさ」
 ルナールは先ほどまで男が座っていた部分を避けて座り、砂糖も入れずに熱い紅茶を喉へ流し込む。カップを傾けたまま口を離して一つ息を付いたと思えば、再び机に戻したカップにはもう紅茶は残っていなかった。
「もう少し味わって飲まんか」
「腹の中で味わってるさ」
 もう立とうというのか、ソファに立て掛けていた杖を手に取り腰を上げる。それとほぼ同時に鈴がじゃらじゃらとものすごい音を立て、開け放たれたドアの向こうから一気に光が射し込んだ。
「おはようみんな、今日も良い風が吹いてるよ! サンドイッチでも作ってピクニックにでも行かない?」
 強い光に顔をしかめたイザベルとルナールを気にする様子も一切なく入り込んできた女性は、彼女らと同様に杖を持ち、人間と変わりない姿かたちで暢気な笑みを見せた。
「……レガータ、お主はいい加減入り方を……いや、何でもないわ」
 明かりに晒された視界を元に戻そうと長すぎる髪で視界を覆いながらイザベルは諦めたように深いため息を吐き、クッションに頭が付きそうなほどに丸まった。慣れていない目に突然光を取り込むと頭の奥の方が痛んでしょうがないのだ。
 それすらも気にしていない様子でレガータはきょろきょろと辺りを見渡し、足りないものでも見つけたように軽く首をひねる。
「? そういえばラウラの姿が見えないねえ。今日はまだ来てないの?」
「あれは今日は来ておらんよ。お主と一緒におるかと思ったが、そうではないのか」
 増えた客の分も紅茶を注ぎ、机に近寄ってきたレガータの方へとカップを押すと、側に置いておいた壷から角砂糖を三粒取りだし全て放り込み、スプーンでかき混ぜてから幸せそうな顔で口を付けた。
 レガータの登場も落ち着いたと思った矢先、もう一度けたたましい音を立ててドアが開く。その先にいたのは案の定最後の一人、ラウラの姿だった。
「おはようみんな! やっぱりここにいた!」
「キミら、ほんとにそろそろお嬢の怒りを買うよ」
 部屋の奥で二度目の光の侵略に苦しむイザベルを横目に見ながらルナールが忠告するも、当の本人たちは全く気にしていないように談笑を始めてしまった。
「……今日は、夜から立つことにしようか」
 友人の訪問に逃げることを諦め、ルナールは一人空いたカップを見つめて小さく息を吐いた。


 人間と人ならざる者が共存する不思議な街で暮らす四人組の、小さなお話のはじまりはじまり。


***


闇を灯す光*ルナール・タンペット


 フードが揺れる。屋根の上はさすがに風が強く、下手をすれば体ごと吹き飛ばされてしまいそうだった。
「……シエル、エト。おいで」
 腕輪に触れ、夜の街を歩いているであろう愛しい人形を呼ぶ。五分もしないうちに現れた双子の人形に目配せをすると、二人は何をするべきかすでに分かっているようで一つだけ頷いた。
 腕輪に口づけ、火の灯ったランタンをかざす。その炎を見た彼らは次第に目つきを変え、その瞳に炎と同じ色を宿した。
「……さあ、今日も愛しい夜を守っておくれ」
 その声とともに人形は駆け出し、屋根の上から夜の街へ飛び出した。
 シエルとエトワールはスラム街で拾った双子の青年だ。美しい容姿をしているにも関わらず二人で身を寄せ合って最低限以下の暮らしをしている彼らに情が沸いたとでも言えばいいのか。今よりは良い暮らしを保証するというそれだけの条件で彼らはあっさりと首を縦に振った。それからは契約を交わし、彼らの第二の意思を腕輪に閉じこめる代わりに、ずっとルナールが彼らの世話を焼いている。
 能力発動時以外は人間として生きているときと変わりはないので好きなように生活させているが、街に蔓延る悪を排除する際には力を貸してもらうのだ。
「……また下級の類か。いつも通り頼んだよ」
 シエルとエトワールを通して街を見渡す。そこにはぶよぶよとした球体を弾ませて人間の家に侵入しようとしている人ならざる者の姿がいくつか見えた。
 夜は人間が眠りにつく時間なので、人ならざる者はこの時間の活動が特に活発になる。それも悪さを働く人型もとれないような下級の者たちばかりだ。そんな奴らに慈悲の心など必要ない。
 街に災厄を持ち込む者は例外なく排除する。人形師として生きるルナールがこの街で杖を持つ者として生きるために人間と結んだ契約だ。
「……エト?」
 下級の相手をしているシエルの視界からエトワールの視界へ移す。そこには今まさに人間に食らいつこうとしている者の姿が見えた。
「何で人間が今の時間うろついてんだい、ああもうっ」
 屋根の上から飛び降り、エトワールの居場所へと急ぐ。片眼に写る視界ではエトワールが人間を庇いながら立ち上がれば自分の身長すら超えてしまいそうな犬のような姿をしたそれと戦っていた。人の姿を取っているせいで走っても走っても息が切れるばかりで、一向に進まないことがひどくもどかしかった。
 滑りこむように小道に入ると、エトワールが気づいたように一瞬こちらを向く。その隙をついて犬がエトワールに飛びついた。
「エト!」
 寸でのところでエトワールは自身の腕を噛ませて犬を押しとどめる。今すぐにでも食いちぎられそうなその力に意思を共有している己の腕すら痛んだ。
 杖を掲げて力を増幅させる。次の瞬間エトワールは犬の顎を蹴り上げて吹き飛ばした。ルナールの得意とする鋼をも通さなくなる筋肉の増幅だ。生半可な者では対抗するどころかその場で砕け散る。
「ガ、アァッ!」
 しかし、犬もそう弱くはないようですぐに体勢を立て直すと、ものすごい速度で夜の街へ飛び込み、姿を消した。
「シエルを呼ぶ。エト、追えるか」
 その言葉に返事もなくエトワールは犬の消えた方へ駆けて行く。噛まれた腕を庇っていなかった辺り多少の損傷はあるだろうが骨まではやられていないのだろう。
「……シエル、聞こえるか」
 視界の共有を逆で行い自分の居場所をシエルへ送ると、自分の相手がすでに終わっていたのか、すぐに反応が返ってきた。
『なんだ』
「エトが負傷した。追ってくれ」
『……このクソババア後で覚えてろよ』
 耳元で風を切る音が響く。どうやらエトワールの後を追ってくれたようだ。それを確認してから共有を切り、目の前で襲われかけていた男に目をやる。
「……キミ、大丈夫かい?」
「ひっ」
「あーあー、怪我してるね。こんな夜中になんで出歩いてるんだい」
 転んだ時にできたものなのか、肘を大きく擦りむいているところを見ようとすると、男はさっきまでの腰が抜けた様子とは一転して、慌てて駆け出していった。それを追いかけることはせずに、走ったせいで脱げたフードを深く被り直した。
「……シエル、エト、大丈夫か?」
 視界の共有を行い、双子の様子を伺う。問題なく追い込めた彼らを迎えに行くために地を蹴ったところで、既に男のことなどルナールの頭の中から抜けていた。


***


やさしいせかい*ラウラ


 風の吹く小さな街に生まれ育ったということは、どことなく覚えている。街が廃れ、師と世界を巡る旅に出るまでのほんのわずかな数年間、ラウラはもう顔も覚えていない親と過ごしていた。
『ラウラ、君にいつか溢れんばかりの幸福を願って』
 その師もほんの少しの形見だけ残して命を散らしてから。それからはずっと、一人で旅を続けていた。
 故郷と同じ、風の吹く街に出会うまでは。


「ラウラ、何してるの?」
「常備薬〜」
「イザベルのところの植物勝手に取ったら怒られるよ?」
 ぶちぶちとそこら中の植物を適当に引き抜き、手のひらにおさまる分だけを包み込む。次の瞬間光り出した手の中に集中して、あふれ出す力を手の中に押しとどめた。
「ひい」
 レガータが慌てて耳をふさぐ。また自分のピアスが耳鳴りのような酷い音を出しているのだろう。しかし、不思議なことにラウラ本人には聞こえないので改善のしようがない。
「……できた!」
 手の中に残った不思議な粒を杖から生えている葉を摘んでくるみ、鞄の中へしまう。なにが出来たのかはよく分からないがおそらく気管支に効く薬だ。
 誰か風邪を引いている人間がいたか考えを巡らせたが、特に思い当たらなかった。
「はー……相変わらずすごい音だねえ。本当に聞こえないの?」
「うん、ぜんぜん〜」
 薬をしまってからリュックを背負い直し、床においていた杖を拾う。自分がこの薬を無意識に作ったという事はこの街で誰かが風邪で苦しんでいるという事だ。確証はないのだが、いつも何故かそういうものができあがる。
「んじゃ、いってきます〜」
「いってらっしゃい」
 イザベルのお叱りを受ける前に家を出る。少し歩いて振り返ると、もうそこにはイザベルの家のかけらも残っていなかった。いつも通り魔法で隠されているのだろう。誰も追いかけてきていない証拠だ。
「まあイザベルちゃんは外に出ないし〜、レガータちゃんは僕のこと庇ってくれるし〜」
 色違いの石畳をねらってステップを踏む。そのたびにリュックの中身ががさがさと音を立てた。あとひとつ、大通りに出るまでの最後の石畳を踏もうとすると、突然足下を風に掬われて思いきりしりもちをついてしまった。
「逃がさぬぞ、この泥棒が」
「あ、あれ……イザベルちゃんだ〜」
 尻餅をついたことで一気に下がった視界に頭上から降るようにイザベルが現れた。
「我の部屋をいじるなと何度言えば分かるんじゃこの阿呆」
「いやあ……不思議な植物がいっぱいあるから、つい?」
 てへ、とおどけてみせると、逆効果だったようでイザベルは目を閉じて深いため息をついた。


***


選ばれた場所*レガータ・ヴェント


 体の周りを風が渦巻く。足下の草が高らかに謳い、光が視界一杯に踊り、風は耳元で囁く。それら全てに耳を傾け、異常を知らせる声がないかくまなく探した。
――朝だ、新しい朝だ、闇は消えた、光は満ちた、遊ぼう、陽の元で遊ぼう、神の祝福を祝おう!
「……よし!」
 恐ろしい声は一つもない。本日も良い一日の始まりである。

「レガータちゃん〜」
「あれ、ラウラ。こんなところでどうしたの?」
 さくさく、と軽快に草を踏み鳴らす音と共にバックパッカーのような大きな鞄を背負った少女が駆け寄ってくる。
 街を見下ろすための小高い丘は、普段ならばこの時間帯に風読みの一族がいることを知っているので人間はもちろん人ならざる者もあまり近寄らない。のだが、ラウラはそういうたちの話をあまり気にしないので逐一説明しても無駄だろう。
「レガータちゃんが怪我したって聞いて、参上したよ!」
「怪我? ……ああ、ついさっき転けた時の事か」
 ラウラの言葉にようやく丘に来る途中で出来た肘の傷を思い出す。腕を捻って傷を見てみると、何か尖ったもので引っかいていたのか擦り傷ではなく切れたような傷が出来ていた。大したものではないと思っていたが、こびりついている血が少し痛々しい。
「とりあえず傷口洗うね〜」
 鞄を地面に置き、その中からペットボトルに入った水を取り出し、レガータが突き出した腕に惜しむことなく水をかけた。そのまま指で少し擦ってこびりついた血を落とすと、次に出した桜の葉に包まれた薬をべたべたと塗りたくった。
「ほんとにレガータちゃんはよく怪我するね」
「そうかな? 昔からだからもう慣れたものだけどねえ」
「僕の作り置きの薬がすぐに無くなるくらいだもん。結構怪我してるよ〜」
 子供のように屈託のない笑い方をするラウラを見て思わずレガータも笑みがこぼれる。ほんの数ヶ月前にこの街に来たばかりの少女はもうすっかりこの街に馴染んでいた。
「今日もイザベルちゃんのおうちに行くの?」
「そうだねえ、どうしようか」
 塗った瞬間から痛みが引いていく不思議な薬の力を感じながら目を閉じる。それだけで風は楽しげにレガータの耳元を駆け抜けて囁いてくる。遊ぼうと、一緒に飛ぼうと。
「(ごめんね、アタシはアンタたちと違うんだ)」
 風の声を信じて飛んだ幼い日の記憶がよみがえる。特殊な力など持っていない、声を聞くだけに特化した体が浮くことなどもちろんなく、無様に丘から落ちたあの日。あの日にレガータは思い知ったのだ。自分は特別な存在ではないと。ただ声が聞けるだけの、それだけの存在なのだと。
「レガータちゃん、はやくイザベルちゃんのおうちに行こう!」
 待ちきれないと言った様子でラウラは笑みを見せる。天才だと噂されるラウラが何故レガータに懐いてしまったのかは分からないが、向けられる好意は嫌いではない。
 ただ、何も持たない自分が少しだけ哀しくなるだけで。
「ラウラはせっかちだねえ」
「じっとしてられないよ〜、時は金なり、だよ!」
「ラウラにしては難しい言葉知ってるじゃないか。感心感心」
 同じように杖を持ち、同じように人間から信頼をもらっている存在なのに、レガータにとっては同じ存在のラウラすら羨望の対象なのだ。
 息をするように薬を作り、数多くの人間の命を救える薬師は立派だ。それに対して災厄を知らせるだけの、対抗する力も持たない風読みのなんと非力なことか。
「(……歴代最高峰が、なんだっていうんだろう)」
 隠した腕がつきりと痛む。無いはずのそれが痛むのは良くあることだった。


***


さよならさんかく、またきてしかく*イザベル・フローレス


 杖を持つ恋愛調香師の頂点であり、不老不死の呪いを持つ御年五百の化け物。それがイザベルだ。
「……くあ、」
 そんな者が最初は人間として生を受けたと言って何人が信じるだろうか。
「何だいお嬢、人に片づけさせといておねんねかい」
「んん、いや……体が重い」
 クッションから降りてソファで丸まっていると、察しの良いルナールは部屋の奥からタオルケットを出してかけてくれた。ルナールは口は悪いが基本的には人を放っておけない優しい性格の持ち主なのだ。
 もらったタオルケットを巻き込みながらさらに丸まり、ルナールの定位置を聞く声に返事だけ返す。そのまま半分夢の中へ入ろうとしていると、不意に肩を叩かれた。
「お嬢、この人誰だい?」
 タオルケットの中から顔だけ出してルナールが差し出したものを見る。埃の被った枠の中に入った半分以上消えかけているそれは、今と変わらない姿のイザベルと男のツーショットの写真だった。
「ずいぶん古い写真なのにまだ分かるね。腕のいい写し屋じゃないか」
「……我の婚約者じゃのう」
「お嬢キミ婚約者なんかいたのかい」
 ルナールが信じられないものを見るような目でイザベルを見る。それに一つ鼻を鳴らしてから再びタオルケットの中にもぐりこんだ。
「……もう四百年も昔の話じゃ」
「その人は人間だったのかい?」
「人間の中でも特にひ弱そうなダメ男じゃったのう」
 掠れて上手く顔も思い出せない彼の記憶を掘り起こす。五百年も生きた自分の膨大な記憶から彼の記憶だけを思い出すのは不可能かと思ったが、特に考えずとも思い出は次から次へと溢れてきた。
「お嬢がそんな人間と一緒になるなんてね。もしかして世話を焼きたいタイプだったりして」
「まだまだ我も呪いを解こうと必死だった頃じゃからの」
 不老不死の呪いを受けてから、イザベルは何個かの街を渡り歩き、その度にあるだけの図書館や本屋でで呪いについて片っ端から読み漁っては調べていた。十年かそこらで老いることのない自分への不信感が町の住民に沸く前に出ていき、また新たな街で新しい情報を探す。そうやって百年ほど生きていた。
 もちろん他人に興味など無かったし、色恋ごとなど年を同じように歩めない自分には関係ないものだと思っていた。
 ただ、とある街で毎日斜め前の席に座っては本の山を両隣に拵えている自分に対抗するかのように、たくさんの本を積み上げて朝から晩まで読みふける謎の男が現れてから、イザベルの世界は変わった。
「良い男?」
「……あの頃の我にとっては、良い男じゃったろうの」
 知識を共有することは純粋に楽しかった。各地を回り百年生きたイザベルですら知らなかったことを彼はいくつも知っていた。不老不死の呪いを解くためだけに始めた勉強は、いつしか彼と時間を共有する楽しいものへ変わっていった。
「へえ、好きだったんだ」
「そうかもしれんの。……まあ、全て海の底に捨ててきたことじゃ」
「先立たれたのか」
「二人とも馬鹿での、海に沈めばさすがの不老不死でも生き返れずに死ぬと思ったのじゃ」
 程なくして付き合うようになり、彼から永遠の愛を誓われた。イザベルが不老不死と分かっている唯一の人間である彼の言葉に、イザベルは簡単に絆された。
 死ぬならば彼と共に、そう思ったのだ。



Back