*Sample
カラスは、明けない夢を見る


 影片がValkyrieに参入した時には既に仁兎は物言わぬ人形だった。お師さんこと斎宮の厳しすぎるボーダーラインをクリアできるほどの踊りの才能を持っていながら、声という武器をあっさりとゴミ箱へ捨てられ、歌うことも喋ることも放棄した操り人形。それをほんの少しだけ哀れんだことはあっても、惨めだと思うことはなかった。むしろ、一つでも認められているところがあるという事実をうらやましいとすら思っていたかもしれない。
 影片はすべてにおいて斎宮に認められたことがない。あるとすれば一番のコンプレックスであった二つの色を持つ眼を埋め込んだその顔だけ。顔だけは良い、などという言葉以上に人を貶せる言葉があるのだろうか。顔は埋まれ持った個性、本人ではどうすることも出来ないもの。そんなものを褒められて、他の努力で認められるべき所は一切お眼鏡にかなえないなんて。
 結局斎宮の元から去って行った仁兎は駆け出した先で新しい居場所を見つけて、今では人形の時のそれとは違う彼らしさを発揮している。Ra*bitsと言ったか、かわいいが売りで力を伸ばしつつある。出来立てほやほやの危なっかしいユニットだが、なんとも仁兎らしい住処だと思う。結局仁兎も二年間で“お師さん”埋め込まれた核は変えようがないのだ。自分で世界を選ぶための足を再び手に入れたとしても尚、進む道を無意識に選り分けてしまうほどに。
 それが悪いことだとは思わない。なぜなら、影片自身も同じようなものなのだから。

 授業終わりに荷物をまとめて部室へと向かう。鞄の中には進めかけのぬいぐるみの為の服が入っている。影片にしては珍しく始めた裁縫に思いのほか気が乗り、暇な時間にも進めたい一心で持ち歩いているのだが、斎宮曰く『そそっかしいお前がそんな事をするから何度も破いて余計なところまで修繕する手間が増えるのだよ』ということらしい。今日もまた鞄のファスナーの部分に引っかけてしまったせいでその日塗った部分の大半を駄目にしてしまったので、彼の言うことはあながち間違ってはいないのだろう。
 ちらちらと鞄の中身を確認しながら部室のドアを開ける。部屋の奥には既に斎宮が座りこんで作業をしていた。
「お師さん、今日は何作っとるん?」
「うるさいよ影片。僕は今裁縫中だ」
「んあっ、ごめんなさい……」
 背後から声をかけたせいで視線すらこちらへ向かないまま冷たい言葉であしらわれる。それでも無視やマドモアゼルを介して会話を通さるようなことがなかったあたりは一般人よりはましなのかもしれないのだが。
「……マド姉ェの服つくっとるん?」
 横までまわってそっと声を掛けると、それでも彼の手が止まることはなかったが、ようやくちらりと視線がこちらへ動いた。
「………」
 そのまま無言で鋭い眼光を向けられ、マドモアゼルからは『みかちゃん、今宗くんは集中してるから話しかけない方がいいわよ』と諭されてしまう。
「ええなあ、綺麗やなあ。マド姉ェはお師さんに服作ってもらえて幸せもんやなあ」
 机の上にお上品に座っているマドモアゼルに視線を向けると、人形故に表情が動くことこそ無かったものの、嬉しそうに笑った。その間も斎宮の手は器用に袖口にレースを縫いつけていく。影片にはとても真似できない芸当だ。袖を一周させるだけで何度指を刺してしまうか分かったものではない。
ふと先ほどの休憩時間に鳴上にべたべたと貼られて絆創膏だらけになっていた自分の手を眺める。斎宮のしなやかに動く綺麗な指と違って、影片の手は裁縫で出来た怪我も含めて、切りっぱなしの不揃いの爪も、手入れをしていないせいでできたいくつものささくれも、なにもかもが斎宮のそれとは違ってみすぼらしい。
 手だけではない、声も踊りも頭のつくりまでも、斎宮の望む形になれない影片はValkyrieにとって相応しくない。
 ふと考える、ならなぜ自分は今ここにいるのだろうか。
 鞄の中に仕舞われている半分以上布きれのままの服に指先で触れる。手芸部にいるくせに服の一つもまともに作れない。あの日だってそうだった。仁兎の為に作っていたはずの服、何度も失敗しながらそれでも何とか作れたと思っていたのに、あちこちに斎宮の手直しが入っていた。自分の手だけでは作り上げられなかった。
 一体いつになれば斎宮の望む形になれるのだろうか。いつになればValkyrieに相応しい完璧な“影片みか”という名のマリオネットになれるのだろうか。何を得れば、何を捨てれば、どうすれば。
「……お師さん、おれ、ここに必要やろか」
 ふと、そんな言葉が転がり落ちた。
「ひとしきり喋ったと思えば次は自己嫌悪か。お前は本当に面倒で厄介なのだよ」
 よそでやれ、と斎宮に片手を振ってあしらわれる。ほとんどいつものやり取りと変わらないような対応だったが、なぜかその言葉が影片の心に強く、深く、突き刺さった。
 必要とされていないのにいつまでも縋っていても、彼の迷惑なのかもしれない。
「……ごめんなあ、お師さん」
「お前の中身のない謝罪は聞き飽きた」
 ゆっくりと立ち上がって鞄を手に取る。それを不審がることもなく裁縫を続ける斎宮に怒りだか落胆だか、よく分からない感情が込み上げてきた。口を開けば何か言葉が漏れだすかとも思ったが、吸った息すら帰ってこない頭の悪い口に嫌気がさしてすぐに閉じた。
 くるりと回れ右をして後ろも振り返らずに部屋を飛び出す。ドアも閉めずに出ていった事を彼は怒るだろうか。しかしもうそんな事も関係ない。斎宮は役立たずの飛べない烏の止まり木になる必要はなくなったのだ。これできっと自由になれる。
 どこへ行くか、なんてこと考えていなかった。ただただ斎宮の目が届かないほど遠くへ行ってしまいたかった。



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