即興小説お題「彼の馬鹿」
傾向(NL)


 いつだって笑って見過ごしてやっていたのだ。どれだけ酷いことをされようと、時には苦痛が伴うことをされようと、笑ってやったのだ。なぜなら私は曲がりなりにもこの男の彼女だから。
 彼女は彼女らしく、日本の女子よろしく三歩後ろを付いて行けばいいのだ。
 男を褒めちぎり、愚行を喜び、盲目的に愛し続けることが、それこそが彼女の役目だ。

「……だからって、これはさすがに」
「なんで?」
 ドアを開け、中を見た瞬間瞬間苦い顔をした私に部屋の中心で仁王立ちしていた彼はまっすぐな目を向けて疑問を口に出した。
「……人の物に”それ”を使うのはダメだって言ったよね?」
「そんなこと言ったっけ」
「言いました……」
 さすがに呆れて一つため息をつくと、彼はやはり分からないといった風に首を傾げた。
「まあいいや、今日は僕の”さいこうけっさく”ができたんだからね。褒めてくれないと」
 そう言って彼が部屋の奥を指さす。
 そこには彼曰く最高傑作……私から言わせてみればクレヨンでいたずらされただけの私の制服がハンガーにかけられ部屋の中心に飾られていた。
 ああ、またフックを取り付けるためだけに壁に穴を開けたのか。賃貸を舐めている。本当にどうしようもない。
「明日から学校どうしよう」
「これを着ていけばいいじゃないか」
「嫌です」
「……なんで」
「貴方のいないところで笑いものになるのは御免です」
「きっとみんな褒めちぎると思うぞ!なにしろ僕の”さいこうけっさく”、」
「はいはいそうですね。貴方の作るものはいつだって素晴らしい。だからそれは紙に書いてください」
 子供のような……否、子供そのものの自信満々な態度で制服を汚したことをあっけらかんと肯定されても正直対応に困るだけだ。
 何故私はこんな男の傍にいなければならないのか。醜く狂っていったこんなどうしようもない男を。
「なあ、今日は何してあそぶんだ?」
「……私の名前、言えますか」
「?」
 突然の私の問いにどう反応するべきか悩んだのか、それとも本当に私の名前が分からないのか……おそらく後者だということは分かりきっているが、彼はこてんと首を傾げた。
「……本当に、貴方と言う人は」
 こんななりでも、昔は素敵だったのだ。素敵な、自慢の彼氏で、頭が良くて、花が綻ぶように笑う人で、落ち着いた雰囲気をまとっていて、何より私を一番に愛してくれて、
「私は、あなたを愛します。永遠に。貴方がそう望むのなら」
 恭しく首を垂れると、彼は困ったように私を撫でた。嗚呼、そういう仕草は昔と全く変わらない。憎たらしいほどに。
「大丈夫、だいじょうぶ」
 その口から発せられる声は幼い訳ではない。喋り方が幼いだけだ。

 若くして衰退するしかなかった優しい彼がどう変わろうと、私は醜く彼に縋りつくしかなかったのだ。