ネモフィラ外伝 星影十夜
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ネモフィラの渓谷
外伝 来し方の姫君−上−
「春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる――」
当ても無く城下街を散歩していた時、聞き慣れぬ言葉がふと耳に入った。異国の言葉。古ドーラ語だ。
カイザは辺りを見渡し声の主を探した。するとその女性はすぐに見つかった。
彼女は小さな輪の中に座っていた。黒い椅子に腰掛け、物語を語る。いわゆる語り部の類だろうか。
ふわりとカールした黒髪が冷たい風になびき、胸辺りまで伸ばされたくせっ毛の髪は毛先は好き放題の方向を向いていた。
彼女は小柄なほうだった。スッと通った鼻筋はプライドの高さを想像させる。だが真直ぐに伸ばされた背が実際よりも大きく見せていた。
だがカイザが最も興味を引かれたのは黒々とした瞳に輝く橙色であった。
シザール国の住人ならば黒髪や黒瞳はさほど珍しくない。しかし二色が混ざり合った瞳と言うのはドーラ国に住む民族特有のものだ。
物語に聞き入る観衆の中、女性はシザール語で解釈を入れていく。
「春の夜と言うものは、道理をわきまえないものである。梅の花の色こそ見えないが、その香りは隠れようか。いや、隠れはしない」
流麗な解釈には不思議とレダン語なまりが交じっていた。
シザールの人間ではないのだろうと思い、輪に加わる。
するとその時、知らぬ間にカイザを導いてきたものに気が付いた。彼女の足元にネモフィラの花々が飾られていたのだ。
そうかこの香りに惹かれてきたのだな、と微笑んだ。
彼は前置きを終えた女性の声に耳を傾け、しばし異国情緒に浸ることにした。
「梅の香匂ひたる頃、つれなし女君双無し悪業謀りて、あてなる人果か無くなりにけり」
――梅の花が香り始める時。ある薄情な女性が比類無き悪事を企て、高貴なお方はお亡くなりになってしまった。
それは先代の王が自ら選んだ道だったが、お隠れになってしまったがゆえに、もうあのお優しい声を聞くこともないのだろう。私は茫然とした気持ちのまま、どうしたら良いか分からない。
ああ、昔の王宮はどこへ行ってしまったのだろうか。はるばるやって来た西方でも、あの素晴らしい花は、故郷のものとさほど相違があるように思えない。
私は過ぎ去りし過去の姫君に、どうにかして逢いたいと思い申上げる。
だが元来た道も分からぬほど幾重にも重なった雲々が、美しいお顔、涼しげなお姿を隠してしまい、やはり辛いものであるよ。
しかしそうは言っても、私自らが故郷に戻ろうとすれば――
どこか胸を震わす物語だった。
それは女性の語り口か物語の筋か。淡々と語られる中の何が涙を誘うのか分からなかったが、聴衆はしみじみと聞き入っていた。
それから切りの良いところまで語り終えると女性は礼をした。
続きはまた明日と言うことなのだろう。称賛の声、鼻をかむ音、立ち去る足音。人が減っていく様を見守りながら、カイザは最後までそこにいた。
そしておもむろに女性へ近寄り、声を掛けた。
「悲しいけれど、素敵なお話しでしたね」
素直な感想に相手は微笑を浮かべた。少し屈んで鉢植えを持ち上げる。
それをスッとカイザへ差し出すと、二色の瞳を細めて礼を述べた。
「ご静聴ありがとうございました。良かったらこれ、差し上げましょうか」
橙色に染まった広場に、瑠璃色が際立つ。
「貴重な花なのに」
「遠慮しないで。貴方、この花が好きなんでしょ」
予期せぬ返答に面食らった。当たってはいるが、いつそんなことを告げたのだろう。
この女性とは初対面だったし彼女がその事実を知る由もない。
カイザが口ごもると相手は軽い口調で肩を竦めた。
「あら、何もそんなに驚かなくても。カイザ王子がネモフィラ好きって言うのは、有名な話じゃない」
余所者だから知らないとでも思ったの、と彼女は笑った。
だがそれだけで納得出来るカイザではなかった。何故なら彼は国王ではなく王子――つまり貨幣に描かれている弟と異なり、カイザの顔は世間一般に知られていなかったのだ。
「君、僕の姿を見たことが?」
すると彼女は否定の仕草をして見せた。
「いいえ。でも分かるわ。王族だとか国王だとか、貴方と同じような人達を長年見て来たもの」
国は違えど皆雰囲気は似ているものよ、と鋭い観察眼を披露する。
自信満々に語る女性に漸く納得し、カイザは苦笑いを浮かべた。否、この場ではそうするしかなかった。
彼は差し出された鉢を受け取る。
ふわりと、優しい芳香に包まれた。
「それじゃあ一つだけ、有り難く頂きます」
「ふふ、素直で宜しい!」
同い年くらいだろうか。二十五にもなって子ども扱いをされるのは奇妙な感覚だった。だが嫌ではない。相手が王子と分かっても、必要以上にへりくだらない態度が心地よかった。
「そういえば古ドーラ語上手かったけど、何処かで習ったの?」
「ええ、母がドーラの生まれだったから。私はドーラ育ちではないけど、色々教えられたのよ」
華奢な外見の割に、なんとなく男らしい女性であった。
彼女は手持ちぶさたになると今度は何かを作り始めた。器用にネモフィラの花々を束ね、淡い色の布で包む。そして金や紅の紐でリボンを作る。と、あっという間にネモフィラのブーケが出来上がった。
語り部は花束を傍らに置き、手慣れた手付きで新しいブーケ作りに取り掛かった。
「ついでだからこれも持っていく?」
「遠慮するよ。置き場ないし」
「良い人に贈れば良いじゃない。ネモフィラの花言葉は『成功』よ」
「残念だけど……」
カイザが口ごもると、彼女は僅かに瞠目した。
「意外ね、あなたなら選り取り見取りでしょうに」
ごめんなさいね、とさして悪びれた様子もなく華奢な首を傾げた。
「ブーケ作り慣れてるんだね。何かに使う予定なの」
「特にないわ。ただ……昔からよく作ってあげてたから、日課のようなものなの」
――誰に、とは聞けなかった。
一瞬彼女の手が止まり、何かを懐かしむように遠くを見つめる。橙色と黒のコントラストは夕日に照らされた街に似て、酷く息苦しくなった。
「明日も続き聞きに来て良いかな」
「どうぞ。でも、近頃危ないやつが出るからお気を付けなさいな」
「あ、あはは……了解です」
まさか女性に心配されようとは。曲がりなりにも戦場で指揮官だった彼にすれば、その気遣いは無用に思えた。だが、まぁ悪くないかもなと笑い、彼は別れの挨拶を告げた。
*****
それから一ヶ月。カイザは暇があれば街へ赴いていた。
仲良くなった随分後に知ったのだが、あの語り部はリリスと言う名前らしい。
「可愛い名前の割りには、男っぽいんだよねー」と苦笑する。
外野の侍女達は「恋人が出来たのでは」と陰で噂を立てていたが、ただ物語を聞きに行くだけなのだからそんな甘いものではなかった。秘密の親友――こんな言葉がふさわしかろう。
しばらく歩いていると曲がり角が見えて来た。あそこを曲がれば例の広場である。早く行かなければ話が終わってしまう。そんなことを考えていると自然と早足になっていた。
しかし、急いでいる時程厄介なことは重なるもの。カイザは、前方から曲がって来た人間に衝突してしまった。
ぶつかった相手は年老いた男だった。白髪交じりの頭に、鼻の下に鎮座する真っ白いヒゲ。優しそうな瞳の中に、厳格な光が宿っているのを認めた。
カイザが咄嗟に男を支えると、相手は慌てて謝罪を述べた。
「も、申し訳ありません。少々急いでおりまし――おや……? これは、カイザ様ではありませんか」
「あぁ、君」
老獪な男は、杓子定規な礼をした。
記憶が正しければ入国管理部の長官だ。お互い、ここにいる理由に疑問を抱く。が、同様に急いでもあった。
「わたくしは急用がありますので」とそそくさ去る長官を訝しげに見送り、それ以上追随はしなかった。
「あー間に合わなかったか。……もう終わっちゃった感じだね」
「残念ーご愁傷様」
カイザが広場に到着すると、既に聴衆の輪は散り散りになっていた。「あーあ」と残念そうに嘆くと、皮肉った台詞が返る。
リリスは腕組みを解くと、青い花を一輪差し出した。
「はい、頑張ったのに報われなかった貴方に、プレゼント」
「あはは、嫌味でも嬉しいよ」
出会った当初と同じネモフィラを受け取ると肩を竦めた。そして普段ならそこで相手が皮肉を連発するのだが、今日は少々違うようだ。
彼女は深々と嘆息し、苦々しげな笑みを浮かべた。
「はーあ……そろそろここも引き上げ時かしら」
「どういうこと?」
「ただの独り言。貴方は、知らなくても良いことよ」
突き放すような台詞に眉をひそめた。どうもリリスには秘密主義な面がある。
そもそも、至極ドーラに詳しい、かつレダンなまりがあるなど珍妙過ぎるで々と礼をした。カイザはこの黒スーツの人間に見覚えがあっはないか。この一ヶ月不干渉を貫いて来たが、今こそ止めるべきだと決心した。
「あのさ、困ってるなら力になるよ」
「……へぇ……力に、ねぇ?」
完全に信用してない。というより、頼りにしてないと言ったほうが語弊は少なかろう。
冷たい視線に耐えながらも、彼はしっかりと頷いた。その真剣さに、語り部も考え直したのだろうか。しばらくの間、吟味。それから懐をまさぐると、何点かの小物を取り出した。
「それじゃ、これもらってくれないかしら」
「もらうって……また、どうして」
「理由はどうでもいいじゃない。ね、ドーラ製の良品だから貴重な品よ」
手のひらに乗せられたそれは、ずしりと重かった。良品ということに嘘はないようだ。
――ほかの品々はどうにでもして良いが、櫛だけは誰にも渡してくれるな。
最後にそう一言付け加えて、品物が手渡される。
カイザが手に入れたものは、漆塗のくし、薄汚れた小さな本、そして紅い手鏡。全部で三点だった。
包みに入れたのを見届けると彼女は細く息を吐いた。
「ありがとう。助かったわ」
「これくらいならお安い御用だよ」
リリスを称えるに咲き乱れる希少な花々。するとリリスは片眉を上げて、首を縦に振った。
「もっちろん! そりゃーもう!」
おどけて返されるも、嘘っぽい。今度はカイザが冷たい視線を送る番だった。
しかしリリスはすかさず背を向け、結局のところ彼が負けるはめになる。
仕方ない、また今度聞いてみるか――振り回されていると了解しつつ、カイザはこれ以上の追求は諦めざる得なかったのだった。
一見落着すると、飄々とした語り部は再びブーケを作り始めた。近頃は花束も生活の足しにしているようだ。
カイザは紅のリボンで飾り付けられたそれを一つ、手に取った。子ども、または小柄な女性が持つような大きさだった。
「あのさ、このブーケ」
「なに?」
――誰のために作り続けているの。漠然と、そんなことを思う。
けれど彼の口から出たのは「なんでもない」一言だった。
不意に冷たい北風が飾り用のリボンをさらっていく。
耐寒性の強いネモフィラの花々が可愛らしい頭を垂らした。リリスは咄嗟に手を伸ばしたが、紅のリボンはあっという間に手の届かぬところまで運ばれて行ってしまった。
カイザは何も言えないまま、その行方を何時までも見守っていた。
続く
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