料理を落とさないような速度で小走りをしていたハルマンがトウガに追い付けたのは執務室への道のりが半分にさしかかったところだ。道中すれ違った兵達は何事かと二人をちらちら見る。
「お待ちください、支部長!」
後ろから声をかければ、トウガはゆっくりと止まった。
「なんだ総隊長、どうかしたのか」
「いえ、あの。すみません、ベンのやつが」
ハルマンがそう言えば、そんなことかと笑う。
「大したことじゃない。私が歓迎されていないのは薄々分かっていたことだからな。私は大人しく執務室で食べるとしよう」
中央から僻地へ。それを厭うのは飛ばされた本人もしかり、そして受け入れる方もしかり。そういった感情を隠さずとも滲み出るのは最もだろう。 だからといってそれをどうにかしろとも、嫌だとも、トウガは言える立場ではなかった。
「総隊長はトレーを持ってどこへ?」
「いえ、その……僭越ながら私もご一緒させて頂こうと」
トウガは瞠目した。 兵士達にも歓迎されていないが、てっきり目の前の総隊長も自身のことをあまりよくは思っていないのだろうなと思っていたからだ。
「自由に仲間と食べればいいのにな。ああ、そうか。今日一日は私の補佐だったな。手間をかけさせてすまない」
「いえ」
そういう理由もあるが、ハルマンはただ先程のトウガの一瞬だけ見せた寂しそうな顔が気にかかっただけなのだ。感情のままに追いかけてきてしまったことを恥じる。 それ以上、黙り込んでしまったハルマンにトウガは少し考える素振りを見せた。
「……総隊長のご厚意に甘えるとしよう。一人の食事は寂しいものだからな」
執務室は先程二人が出ていったときのままだった。 トウガは真っ正面に見える自信の仕事机ではなく、応接用の机にトレーを乗せてソファーにこしかけた。 おずおず、といった形でハルマンも向かいに座る。 器に盛り付けられてからさほど時間の経っていないシチューは湯気がたち、添えられたライ麦パンは少し火で炙られている。それだけでも十分に食欲は沸いてくるのに、最後の止めとばかりにミディアムレアに焼かれた肉が薄く数枚ほど皿に盛り付けられていた。
「驚いたな、極寒の地だからてっきり保存食ばかりかと覚悟していたんだが。これじゃあ中央の飯よりもおいしそうだ」
これでワインがあれば最高だな、とトウガは思ったがまさか執務室に酒を持ち込むわけにも行くまい。
「うちの飯は兵士からも評判です。時間が空いている兵士数名で森林の浅瀬に潜って狩りを行っているんです。鹿や、運がよければ猪も採れます。年に数回は熊肉も」
「熊肉か……私は食べたことないのだがこの支部にいればいつかは食べられるということか。楽しみにしておこう」
そういった肉は地元でしか回らないものだ。中央に流通するのは鶏や牛、豚がほとんどなのである。 トウガはシチューを一口頬張る。しっかり煮込まれたであろう肉は柔らかく、野菜もほくほくとしていた。
「いつか……ですか」
自然と漏れてしまった言葉に、ハルマンはしまったと口をつぐむ。いつか食べられる、という曖昧な言葉はハルマンの心を刺激するのに十分であった。 ゆっくりと顔をあげたトウガは困ったように笑う。
「どうせすぐに消えるのに、……なんて言いたげな顔をしているな」
「…………申し訳ありません」
取り繕いようがない。ハルマンは深く頭を下げた。不敬罪と取られてもおかしくない状況だ。 トウガはひらひらと手を振った。
「ここに来るまでに、歴代の支部長の件に関しては目を通してきた。皆ここの過酷な環境に耐えられなかったものや、中央での栄光を忘れられずに去っていく。だから君達が私についてそう思ってしまうことも、たいして期待していないことも承知の上だ」
一年と続いた支部長はいない。 目の前の支部長もまた、どうせ同じなのだと誰もが思っていた。
「しかし予想を裏切って悪いが私がここから消えることはないだろうな。それこそ、熊肉を飽きるほど食べるくらいには」
言外に何年もいる、と言ったトウガにハルマンは目を見張った。 そしてそんなハルマンの様子を無視する形でトウガは口元を歪めて言葉を続けた。
「残念ながら私が去りたい去りたくない、という意思の前に私は『ここにいなければならない』のだからな」
「それは一体どういう……」
トウガの意味深な発言に眉を潜める。 だがそれ以上を言うつもりはないのか、トウガは肩をすくめて食事を再開させた。
「総隊長、せっかくの料理が冷めるぞ」
「そう、……ですね」
ハルマンは渋々と、美味しいシチューを口に入れた。
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