「イルリア、お前たまには有給消化したらどうだ」

その言葉に俺は机から顔を上げる。
同じく机に向かって書類仕事をしていた隊長が頬杖をついてこちらを見ていた。コーエンがそばにいないからって、手を止めていると後で怒られるだろうに。

「なんですか藪から棒に。なんか俺に休んで欲しい日でもありましたか」

「特別そういった日は無いんだが。お前、定休以外休まないよなあって」

輪番で定期的に休みが回って来るのだから、そこでしっかりと心身の休息は取っている。体調管理は軍人の基本だ。

「定休で休んでいれば十分じゃないですか」

「いやいや、なんのために有給があると思っているんだ」

「病気したときのためでは」

そう答えた瞬間、隊長は額に手を当て嘆くような振りをした。
今日はやけに芝居がかっている。一体なんだと言うのだろうか。

「お前、そんな……枯れたようなこと言うなよ。何でもない日に休日を取って、一日を無為に過ごしてみたり、趣味に没頭してみたり、はたまた気ままに街を散策したり。若いうちの特権だぞ」

「隊長も若いじゃないですか」

「俺は若いし有給もしっかり取っている。まずは上司が休むところを部下に見せるのも大切だからな」

「じゃあ上司の務めは隊長が果たしているということで」

「待て待て待て待て」

書類に視線を戻そうとした俺を隊長は必至で引き留める。
妙だ。何かを企んでいるとしか思えない。
だが心当たりは無かった。
俺という王族に見られてまずいような仕事など無かったはずだ。そもそもそういう時は事前にもっと匂わせてくるし、休みではなく別の仕事が入るだけだ。

「俺は心配だ。一年間で一度も有給を使わず、たまの休みも鍛錬。お前、そんな、家庭内で邪険にされている休日の父親みたいな……」

「残念ながら家庭も無ければ子供もいないので」

第三王子という身分は軽々しく結婚したり、ましてや子供を作れるような年齢ではない。
権力争いの火種になるような未来が分かっていてどうして子供など作れようか。
そもそも俺に誰かを付き合わせること自体が不幸で可哀想で、俺は諦めているのだ。

「大体俺は末の第三王子で公務もなければ権限もない、身分だけが高い厄介者ですよ。休日を態々取ったって何をしろって。せいぜいうるさい親父に捕まる可能性が増えるくらいです」

「まあ悲しいことを言うな。その分、お前には『自由』というかけがえのないものがあるだろう」

「それは、そうですけど」

自国の国王をうるさい親父呼ばわりした俺を華麗に無視した隊長は、きりりとした顔で命令した。

「お前ももう二十歳になるんだから、ここいらでひとつ、肩の力の抜き方を覚えてこい。ということで明日は一日出勤禁止だ」



強制的に隊から追い出されたような気がする。
俺はため息をつきながら、現在城下町へと足を運んでいた。
別に馬鹿正直に命令を守らなくても良いのだが、城で好奇の目に晒されるくらいなら一日外でぶらついていた方がいくらかましだった。
上二人の兄ならいざ知らず、護衛が付くような環境でも、そして御忍びが必要な立場でもない。顔が知られていない俺はここではただの一般市民同然だった。
どうせだったら今日はお気に入りの武具屋に顔を出して自身の獲物を新調するなり研ぎに出すなり、それから足りなくなっていた日用品を吟味したり。なんだか隊長の思惑通りになっていることに少々納得はいかないが、生産性のない一日も御免だった。
たまに同僚と町へ繰り出すときに使うカフェで軽食するのもいいかもしれない。
こうしてみるとこんなにじっくり街並みを見ること自体が久しぶりで、店の入れ替わり、人々の流行の移り変わり、と記憶の中のそれとは若干違う。
隊長の言う通り本当に力の抜き方というのを知らなかったのかもしれない。
そうして気儘に、充ても無くただ足を動かす。
そんな気の抜けた間隔が久しぶりだったからか、視界の外への警戒を怠ってしまっていた。
あっ、と思った時は既に遅く、向かいから歩いてきた人物と肩同士がぶつかる。
その拍子に相手の腕の中から紙袋がするりと抜け落ちて、俺は思わず手を伸ばした。

「おっと、悪い。怪我はなかったか」

紙袋だけではなく傾きかけた相手の身体まで引き寄せた俺は、少しだけ下にある顔を覗き込む。
フードからさらりと漏れたのは、美しい銀糸だった。俺が引き寄せた衝撃で、かぶっていた外套がはらりと落ちた。
うわ、と思わず口からとび出そうになった言葉を飲み込む。

「いえ、大丈夫です。……あの、その」

この国の者ではないことは一目で分かった。しかしそれ以上に、その美しさに目を奪われたのだ。
ぱちりと、紫水晶の瞳が困惑気味に俺を見上げていた。

「……あっ、いや、悪い。咄嗟に思いっきり支えちまって、痛くなかったか」

俺は慌てて触れていた手を放す。軽々しく他人に接触するものではない。
それから反対の手で抱えていた紙袋を恐る恐る彼へ差し出す。
そう、このどこまでも美しい人物は俺とさほど身長も変わらぬような青年だった。
受け取った紙袋の中身を見た青年は、少しだけ顔をこわばらせた。それもそうだろう、先ほど俺が抱えた際に勢い余って抱きつぶしてしまったのだから。もしやこれは素直に地面に落ちていた方が被害が少なかったかもしれない。

「本当に悪い。俺がよそ見してたばっかりに」

「いえ、その。自分も上の空だったので、気にしないでください。貴方が支えてくれなければ転んでいたところですし」

青年はそう言って優しく笑う。
その笑顔の眩しさと隠しきれていない悲しみは俺に罪悪感を植え付ける。俺はこれ以上野暮と思いつつも口を開いた。

「いや、やっぱり俺の気が済まない。焼き菓子を駄目にした謝罪代わりに、お茶でも奢らせてくれないか?」

突然の申し出に驚いたのか、一拍おいた後彼は恐る恐る口を開く。

「それって……、デートのお誘いですか?」

その予想外の言葉に今度は俺が目を剥く番だった。

「デェッ……、……いや悪い軽率だったな。忘れてくれ。素直に焼き菓子だけ弁償するよ」

そんなつもりで言ったわけではないのだ。決して、一切、下心が無かったと誓おう。
ただそんな顔をするものだから、何かをしてあげたくなったのだ。
俺が一人で百面相をしていると、クスクスと笑い声が聞こえてくる。どうやら俺の滑稽な姿が彼のツボに入ったらしい。
ひとしきり俺のことを笑った青年は、いまだ笑い声の出る口を手で押さえながら返答した。

「いいえ、是非お茶を一杯頂きましょう。この国の美味しいお茶を飲んでみたかったんです」






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