強引に、眠りを訴える瞼を持ち上げると、そこには。
「……ッ!?」
首に添えられた温かい手、見慣れない、旅には向いてなさそうな服装。逆立てた、 乳白色の色素の薄い髪に。
歴戦の戦士よりも熱く、静かに燃える炎を宿した漆黒の瞳が、こちらを覗き込んでいた。
驚きに見開かれたその目が、私の、声帯を飲み込む。
言葉を発することさえ忘れて、その切れ長の"それ"に捕らわれる。
不思議な瞳を持ったーーー人間だ。意識外の私がそんなことを嘯いた。
「………大丈夫か?」
少年の、低く掠れた声が、静寂を貫いた。その言葉が、ようやく思考の歯車を回し出す。
この一言がなければ、私達はずっと見つめ合ったままのおかしな格好をしていただろう。
「……えっ、あの、えっと」
ちらりと少年の手ーー添えられた方ーーを見やると、すまない、と言ってパッと離された。
「…いえ」
お気になさらず、そう言って目尻を下げようとした時だった。
頭に、火花が散った。目の前が一瞬白く瞬き、意識が持って行かれそうになる。
「おい!」
少年が後ろに傾く頭を支えてくれていた。ああ、細いけれど、力強い腕だ。また、思考に靄がかかる。
あっダメだ、目の前の少年が困惑してるぞ。
「あっ、あの、えっと、だ、大丈夫です!!すみませんが、僧侶さんを呼んでいただけませんか…?」
感じた痛みは、久しぶりにどうやら大きな怪我を負ってしまったことを示していた。早く治癒魔法をかけて貰わなければ。私は一刻もこの町を離れなければならないのだから。
…ん?この町…、この町…?
「…あの、すいません、ここはどこでしょう?」
眉間に皺を集めに集めまくった目の前の人間は、ついに項垂れた。
「……その、僧侶とやらに会ってどうするんだ」
「も、勿論治癒魔法をかけて貰おうと」
「…残念だが、この世界にそんな能力を持った僧侶はおろか、魔法を使える奴は一人もいないぞ」
「……えっ!?」
今度は私が困惑する番だった。
魔法を使える者がいないとは、どういうことなのか。
ーーー見慣れない風景、見慣れない服装。ちらりと目を動かせば、見たことのない機械が落ちており、私が先程まで体重をかけていたそれは、大木とも、神殿の冷たい柱とも違った何か。
どんどん頭の中が嫌な答えを導き出す。
いや、そんな、まさか。
「そして、残念だがこの世界にエルフは存在しない」
その言葉で、鈍器で殴られたような衝撃を受けた。いや、もう似たような傷は負ってるわけなのだけれども。
つまり、要するに私は。
「……わぁ素敵ね」
「ふざけてるのか」
「だ、だって私にどうしろと言うのです!」
異世界に来てしまったというわけなんだろう。
ああ、どうしよう。
この世界にエルフはいない、つまりだ。私は捕まって見世物にされ…いや、見世物にされるだけならまだいい。人間とは違う長い耳と羽は蔑まれ、挙げ句の果てには、エルフの生き血だとかなんだかいって殺されてしまうかもしれない。
いくら生まれた村で天才だと評され(とても不本意ではある)、強大な魔法を身につけていても、だ。ちっぽけな魔法使いには 、体力も無ければ、人を殺す度胸すらない。
魔物と化した人間を泣きながら討ち、行きずりパーティメンバーに呆れられたことだってある。
因みにその晩は眠れず、翌日は魔法を一発も撃てなくなった。
ーー終わった、早く帰らなければ、本当に人生が終わる。
まだやり残したこと、いっぱいあるんだ。
最早涙目どころかポロポロ涙を零し始めた私に、少年ははぁ、と溜息をついた。
「お前、名前は?」
「……っ……りーぬで、す」
「…そうか」
情けない。自分とそう歳も変わらないような人間に呆れられている。
刹那、ぐい、と少年の方に引き寄せられた。
「…あ、あの?」
「静かにしろ、人が来る」
ここにエルフがいると騒がれてもいいのか、と聞かれ、ゆるゆると首を振った。耳を隠すように腕を回されて、ああ、この人は優しい人なんだなあ、と混乱した頭で考えた。
涙が、名前も知らない人間の服を汚す。
ーーーあたたか、い。
他人の肌に触れたのはいつだっただろうか。
その温かさは、温もりは、次第に意識を溶かし、眠りへの世界へと誘っていく。