御伽噺に準えて
なんだか、とても酷く疲れる戦いをした、気がする。
朧げにたゆたう意識の中で、風の民の小柄な少女はそんなことを思った。

鼻腔をくすぐる風に混じる、異質な匂い。
防具の手袋越しに感じる、岩肌とも土とも違った、固い地面。
私が今、凭れているのはなんだろう。温かみのない…そう、大木とか、神殿の柱に似ている気がする。

"あ、れ、私は確か、行商人の行きずり馬車に乗せてもらって、それから、それから……?"

ーー感じた、恐ろしいほどの違和感を。
そこでようやく、混濁していた意識が、冷水を浴びせられたようにはっきりと浮上する。

固く閉ざされた瞼を、無理やりに押し上げる。
射るように飛び込んできた太陽の光。
次いで、目に入ったもの、は。


*recontre


「じゃあな豪炎寺!また明日もサッカーやろうぜ!」
「ああ、気をつけて帰れよ」
「おう!」

別れ際に飛び切りの笑顔を見せた円堂に、ひらひらと手を振る。
快活な少年は、その動作を3倍のモーションで此方へ投げ返し、ごはん!ごはん!と足早に走り去っていった。

全く慌しいヤツだ。
途端に、あたりは閑静な住宅街へと変貌する。

俺が再びボールを蹴るようになってから、数週間が過ぎた。弱小、とまで揶揄されていた雷門イレブンも、ついにFF地区大会決戦で、正々堂々帝国を破り、軌道に乗り始めている。
数ヶ月前の、1人暗闇に閉じこもっていた自分が、本当は虚構の世界の人物だったのではないかと思うほど、心は穏やかに晴れていた。それも、あの太陽の如く周りを照らすあの諦めの悪いキャプテンのおかげであろう。
そんな中、一点だけ影を落とすのはやはり夕香のことだ。ボールを蹴ったことに後悔はない。しかし、あの白い部屋で一人眠る夕香を思い出しては、度々感慨に囚われるのだ。

特に、今のような、静けさの中では。

今日は父親は夜勤、家政婦のフクさんも夜は休みのはずだ。夕香が事故にあってからは、面倒を見るのが俺一人になってしまったので、家へ来てもらう回数を減らし、病院の方へも足を運んでもらっている。
特に不便は感じていないが、やたらと付いて回るこの虚無感はなんだろうか。

夕焼けの朱に藍が混じり始め、もう面会時間はとうに過ぎていることを知る。
この時季の日暮れは遅い。
家族権限を使えば入れないことはないのだが、父親に息子が来たと知れるのが何となく嫌だったので、とぼとぼと再び帰路をたどり始めた。

疲れた。戦国伊賀島戦に向けて、益々練習はハードになってきている。
疲れた、本当に疲れた。こういう日は早く帰って寝るに越したことはない。

フクさんが作り置きしてくれている筈のご飯を食べて、お風呂をいれて、そしてそれからストレッチとマッサージ。筋トレに、ああ明日の小テストの勉強もしておかなければ。サッカーばかりに励んで父親のお小言を頂戴するのは本当にごめんだ。
ベッドに入るのは随分と先になりそうだと思うと、自然と疲労感が増し、項垂れる自分がいた。

まあ、そんな日にこそ厄介ごとは増えるわけで。
柄にもなく地面に吸い寄せられた頭を再びあげると、あるものが目に入った。

二つ先に佇む電柱。
その陰から、二本の足がはみ出しているのだ。
真っ赤なブーツに覆われたそれが、道路に向かって伸びている。
酔っ払いが地面と仲良くする時間にしては早すぎるし、浮浪者はあんな上等そうな、かつ派手なブーツは履かないだろう。

だとすれば。

自然と、足の速度が早まる。
ポケットから携帯電話を取り出し、医者である父親の番号を引っ張り出しておく。

遠目からはそこまで分からなかったが、足はかなり細く、華奢だ。
それを視界の隅に認めた時、すでに走り出していて。
煤けた緋色が、だんだんと近付く。


ーーーーそして、息を飲んだ。
カツン!と小気味良い音を立てて、手にした携帯が落下する。

足の主、もとい電柱に凭れかかる少女。
瞳は閉ざされて、こちらを映し出すことは、ない。

俺と少女との間に、一陣の風が吹く。

新雪よりも真っ白な髪が揺れて、色白の頬を擽る。
その小さな顔には、乾いた血の跡がベッタリとこびりついていて、肌とのコントラストが痛々しい。
異国風の変わった服装は、土や泥の汚れだけではなく、所々燃えたような燻りが広がっている。
一箇所だけ露出された、ブーツとハーフパンツの間の足は、切り傷や痣、火傷などの怪我で描き殴られていた。反対の足がコートのような、スカートのような、形容し難い形状をした布で覆われていなければ、見るに耐えなかったかもしれない。そんな、ボロボロの足だった。

そっと、壊物に手を添えるように、近付いて首筋へと手を沿わせた。
大丈夫、脈はある。

そしてその時、初めて気がついたのだ。
人間には"無い"もの、の存在に。

夕陽を受けて煌めく、背中から生えた、羽。
長く、そして尖った耳。

「う、ん……?」
「……ッ!?」

真っ白なまつ毛が震え、現れたその双眸に、俺は全てを持って行かれたような錯覚さえ覚えた。
アクアマリンの輝きに、視線が、絡め、取られる。


ああ、可愛らしい御伽噺の世界の住人だと思っていた、妖精…もとい"エルフ"が、今確かに目の前に存在しているのだ。



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