夜風が頬を優しくくすぐった。偶に強い風が吹くたびに、フードが持っていかれそうになる。それを誤魔化すように頭を大袈裟に抑えてみると、シューヤが心配そうにこちらを覗き込んだ。
「外に出て大丈夫なのか?」
「え?」
隣を歩くシューヤの言葉が理解できず、軽く問い返す。
「だからーーーって、おい?!」
ーー忘れていた。すっかり忘れていた。
私は大怪我を負って、貧血を起こしていた身だということを。
前を歩くカゼマル少年もその声に驚いて振り返った。
「ふぎゅ!?」
ああ、地面さんこんにちは。
低速度で再生される目の前の光景に、思わず低脳な挨拶を呑気にかました。
しかし、完全にごっつんこする前にシューヤに助け起こされる。
「お前は……本当……」
「あ、はは…」
「だ、大丈夫か!?」
取れかかったフードをシューヤが、バレないようにこっそりと直した。
さり気ない気遣いが、目尻を緩ませる。辺りには深い藍色が立ち込めていて、心底安堵した。
「……りーぬ、今日はサッカーするな」
「…ハイ」
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「行くぞ豪炎寺!」
「ああ!」
合図と共に2人が球体を蹴り上げ、飛び上がった。
武闘家顔負けの跳躍力だと思う。シューヤに至っては空中で一回転して見せてから、球体に向かって足を伸ばした。同時に飛び上がっていたカゼマルも、力強く足を前に蹴り出す。
「「炎の風見鶏!!!」」
息の合った声かけと共に、藍が、神々しい赤の色に染まった。
球体……もとい、ボールと呼ばれたそれが、炎の鳥へと変貌し、凄まじいスピードで網へと突き刺さる。
「すごい……」
純粋な感嘆の声が、空気に触れた。
地へと落下したボールは力なく2度跳ねて転がり、やがて動きを止めた。
あの空気の動き。魔力とは違う、何かが動いたような感覚があった。
魔法と似てはいるけども、違う何か。現にボールは燃えていないし、餌食となった網も燻り一つ残っていない。
今の現象…いや、技について仮説を立てるとすれば、個人の持つ気や、蹴り出した時に出すパワーやスピード、角度その他諸々の要素がエフェクトとなってボールに纏わり付いているのだろうか。もしくは、パワーやスピードをエフェクトが表しているのだろうか。
前衛職の者たちが、斬撃や技を繰り出した時に現れるそれに類似しているから、あながち間違ってはいないだろう。
どちらにせよ、魔力の動き、放出は感じられなかった。
ーーーやっぱり、この世界には、
「魔法使いは存在、しない…」
即ち、魔法を使う必要は、武器を持つ必要さえも、何処にもないということだ。
良いことではないか。平和の証だ。
魔物もいない、文明は発達し、ーー馬を引かなくても、猛スピードで進む車に何度も驚いたーー皆、穏やかに暮らしている。
私が望んだ、ユートピアそのものではないか。
それなのに、何故?
この心に残るのは一抹の寂しさと、隔たりと、それともつかない何か。
「魔法じゃないぞ?」
突然、自身の近くから聞こえた声に、びくりと身を竦ませた。
ーーカゼマルだ。
どうやら呟きは断片的にしか聞こえていなかったらしく、ホッと胸をなでおろす。
隣いいか?と聞くカゼマルに、頷きと笑みを返事として送った。
「さっきのはシュート技。炎の風見鶏って言って、豪炎寺と俺との連携技さ!」
「シュート…ですか?」
「ああ!カッコよかっただろ?」
「はい、とっても!」
そう言うと、カゼマルは満足そうに笑った。
「…俺、シュート技を習得するのは初めてなんだ。いつも豪炎寺の後ろでゴール前を守ってるから、最初は出来るか不安だったんだ……って、ごめん、サッカーのルール分からないよな」
「へっ…あ、す、すいません……」
「いや、りーぬがあやまることじゃないさ。まぁ…とにかく不安だったんだ、…見ろよあれ」
視線を前に向けると、丁度シューヤが夜空に舞い上がったところだった。
星の輝きさえ劣るような、強い光を背負った少年が、そこにはいた。
「ファイアトルネード!!!!」
満月を背に受けて、あの、深い漆黒の瞳が瞬く。
先程の連携技よりも、細く鋭い炎を纏ってゴールへと突き刺さった。
ーーー目を、奪われる。
その様はいつか絶望を浮かべた空に見た、流星によく似ていて。
尾を引いて、星屑を従えて、あの日流れた星が、鮮やかに脳裏に蘇った。
きらきらと、手を伸ばしても、伸ばしても、届かないお星様。
あの日、星を見た私は、泣いた?笑った?
いや、それとも。
「…りーぬ?」
「…かっこいい…ですね、とっても…綺麗…」
「だろ?アイツはさ、俺たちのエースで、英雄なんだ…、っ…りーぬ?」
「えっ、な、何ですか?」
「お前……すごい顔してるぞ」
「……え?」
思わず顔にぺたりと手を添える。
まさかと思ったが、お馴染みの涙は流れていない。
浮かんでいたのは、少なくとも負の感情ではない。涙が流れていないのは当然の筈だ。
しかし、目の前のカゼマルは、心底心配そうな表情をしている。からかいで酷い顔と揶揄したとは、到底思えない。
「あの…カゼマル…!酷い顔ってどん…」
「ごめん、もう行かないと。休憩ばかりしてるとお前の保護者様に怒られるからな!」
「あっ、ちょっと…!」
悪い、りーぬ、また後で。
駆け出したカゼマルの背を見ながら、もう彼はあの質問には答えないだろうと、心の中で確信した。
立ち上がった時の彼の口元が、きつく結ばれていたから。
色白の顔には、何も、何も描かれていなかった