静寂に包まれた湖の畔。
水面には月の煌きが揺れる。
その傍らに倒れる少女を、俺はそっと抱き起こした。
そう、陶器で出来た人形を扱うがごとく。
腕の中でぐったりとしていた少女は、小さく呻いた。
閉じられた瞳が、ゆっくりと開く。
幾千の星の瞬きよりなお美しい、流れるような乳白色の髪と肌の中に、対の蒼が浮かんだ。
その瞳が僅かに揺れた瞬間、ぎゅっと彼女を抱き締めた。
「…綺凛」
「…しゅ、うや、くん…」
「……好きだ」
腕の中で、力無く項垂れていた体に、ピクリと反応があった。力なく垂れていた腕を、俺の背中に回す。
本当は、指一本動かすのもつらいだろうに。
「う…ん…」
わたしも、と研ぎ澄まされた刃より冷徹で、硝子細工より儚い少女は、笑った。
出会ってから、今までで一番綺麗な笑みだった。
吐き出された夥しい鮮血が、雪で真っ白になった地面を彩る。
時間は、もう無い。
再び虚ろになるサファイアの瞳を見つめながらそっと唇を噛み締めた。
俺は、俺はまた、何もできないのか。
聖夜。
誰よりも優しく、果敢で、無垢な少女が召されようとしているのに。
「……すまない」
≪prodigium≫
クリスマスーーーサンタからのプレゼント、もとい今日の夢は最悪だった。
俺とアイツの夢。
剣を持った者たちが、魔法を行使する者たちが行き交う世界、そして二人で旅をしていた。
だが、ある城へ向かう途中で、彼女は敵に不意をつかれ、倒れてしまうのだ。湖の畔まで連れて行き、俺はありったけの魔力を駆使して回復しようと試みたが、叶わなかった。
死に際の表情を思い出し、吐き出したい様な感情に囚われる。
何を考えているんだ、俺は。
彼女は、まぁ性格は少し冷めていて元気とはいえないが、体調的には元気に過ごしていただろう。なのにこんな夢をみるなんて。
「……どうかしている」
呟きと同時に電話がなった。
液晶に表示された『円堂』の文字に、学校で会えるのにどうして今かけてきたのだろうか、と、訝しく思いながら通話ボタンを押した。
『豪炎寺、大変だ!今、ーー綺凛が事故にあったって連絡がーーー』
世界は真っ白に染まった。そんな、バカな。話を聞くと、どうやら俺の家のマンションの近くで起きた事故で、彼女の側には包装された赤いマフラーが落ちていたらしい。
修也くんは何色が好きなの。
ーー強いていうなら赤、だな。
ーーーーそう。
数週間前の、何気ない会話が思い出された。
まさか、アイツ俺の為に。
そして、先刻の夢を思い出した。
そういえば、彼女が傷を負ったのは、俺のことを気にかけて、周りに十分な配慮が出来ていなかった、せいで。
着替えもろくすっぽせず、家を飛び出した。事故現場の周りには人集りが出来ていて、人垣の隙間から、救急車に運び込まれるアイツを見た。
白銀の地面に取り残された、破れた包装紙から覗く赤いマフラー。そして、地面に咲き誇る鮮血。
「綺凛……綺凛っ……!!」
白と赤、俺の世界に、それ以外の色が消えてしまった。
この手で、もう彼女を抱き締めることさえ出来ないのか。
素直じゃないアイツに口付けたときに、照れたように笑う様を、もう見ることは出来ないのか。
苦しい。苦しい。苦しい。
俺はどうしていればよかったのだろう。
あの夢の中で、回復魔法を成功させていれば、何か変わったのだろうか。あの時、好きな色なんてない、と言っておけば、何か変わったのだろうか。
そう考えてももう後の祭りで。
ただ腕の中にあった温もりを消すように降り注ぐ雪に、己の罪を問うばかり。
(20150708)
(ちょっとまってまだ死んでない!)
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